経営方針は、その時点その時点で会社や社員一人ひとりが進むべき方向を示したものです。
ですから、一定ではなく、一定期間、あるいは、状況の変化に応じて見直し、必要に応じて変更します。
経営方針は、基本的に趣旨、目的、全体の方針、各部門の重点施策によって構成されます。
また、補足的に基本的考え等を示します。

経営方針は、経営理念を基とします。
趣旨とは、元となる考え方で、目的などの根拠となる事柄。
目的は、達成すべき事で、目標は、目的を具体的な数値などに置き換えた事。
方針は、進むべき方針や考え方、要点を示したこと。
重点的施策とは、優先的に取り組むべき課題を指します。
基本的考え方は、方針を具体的にした事で原則に準じる。
基本的考え方とは、実際に、仕事を進めていく際の指針や制約を言います。(日限とか、予算、目安など)
原則は、仕事を共同で進める上でのルール、制約。

趣旨と主旨、厳密に言えば若干違うが、仕事では、基本的には同じ事だと考えていい。
趣旨で根拠を示し、目的で、達成すべき事を明らかにし、目標で基準を設定する。
趣旨とは、方針の背景とか、動機、経緯などをまとめたものです。
資料としては、現在、業界が置かれている状況とか、展望、技術革新、自分たちが描く構想など。
市場の分析、同業他社の動向。
自社の現状。
前記決算の総括、中間決算、予実績分析、決算見通し等を参考とする。
基本的にはシナリオであんまり厳密にするより、社員や関係者にアピールできる程度でいい。

趣旨以外に目的を設定するのは始点と終点を一点に絞るため。

結果は目的、目標に照らして評価する。
方針というのは、仕事を進める上で、方向を示す指針みたいなことだから、必ずしも一定としていない、状況の変化や進捗に従って変化するので進捗状況や状況の変化に従って都度確認し、必要に応じて変更する。
ただし、方針の変更は、周知事項。 例えば、今期の経営方針は、三年計画の基礎をつくるとか。

経営理念と経営方針とを混同しているものが多く見られますが、明確に区別しておく必要があります。
経営理念は、会社が最終的に目指すべきゴールや実現しようとする状態、哲学みたいな事。
経営方針とは、経営理念を実現するにあたってその時点その時点での目指すべき方向で、経営理念は不動な考えなのに対し経営方針は、必ずしも一定な事とは限らない。
必要に応じて見直し、変更します。
経営理念は不動と言っても長い目で見れば、大きな転換点や、変革期は、経営理念から見直す必要がある。経営理念は、理念というけど、現実は、一人の人間の考え方で統一しないと整合性がとれなくなり、組織が分裂してしまう。
理念は、抽象度が高いから、それを、実現するときは人で統一する。
つまり、最終判断、決断は、トップがする。

経営理念とは、普段、トップが口にしている、こう言う会社にしたいとか、会社は、かくあるべきだとか、この点は改めるべきだと言っていることを成文化したもの。
先に小難しい理論とか、制度があるわけではない。

肝心なのは、素朴な疑問、当たり前な疑問なんだ。

どうしたいのかが、明確でないと、仕事のしようもないし、段取りも組めない。
しかも、全体の足並みを揃えなければならないだからね。
だから、最終的にどんな形な形に収めるのか、それを明らかにする作業が、経営方針だよね。
自分たちの考え、合意に基づかなければ意味がない。
自分の考えでなければ、どうしたらいいかわからならいし、意味も解らない。
要は、中心人物が何をしたいかだからね。

会社の存続は、目的ではなく、手段なの。
だから、経済の教科書にも書いてあるでしょ。
社会に必要とされない企業は、淘汰されなければならないと。
また、働きのない費用は削減しなければならない。
人件費は、費用。
売上は社会的効用を表し、費用は、生産に必要な支出を意味している。
利益は社会的効用と生産に必要な支出の差額。
利益が確保された上での費用であって。

雇用は社会的効用の一つだけど、生産に結びつかない費用は成り立たない。
なぜなら、利益を生まない。費用対効果が成立しないから。

労使関係は、利益を前提に成り立つので、営利事業は、ボランティアではない。
また、単なる金儲けでもない。
社会的効用と生産に必要な支出との均衡上に成り立っている。
働きのない費用は、余剰な支出だから、社会的効用を生まない。

お店に行ってから何が必要なのかを考えるのではなくて、自分たちが何をするのかを先に決めて、予算に基づいてお買い物リストを作ってから、お店に行かないと、自分たちが何を作ろうとしているのかわからなくなるからね。
自分たちが何をしようとしているのかを最初に明らかにしてから、皆の意見を聞かないと本末が転倒してわけがわからなくなる。

中心は誰か、それをハッキリさせることさ。

まず、中心を構成する者たちが、指導者の話を聞いて方針を明らかにする。

ゲームだってゴールが見えなければ、始められないだろ。
ゲームは、予めゴールやルールが決められているけど、会社では自分で設定しなければならない。

自分の考えで決めるから、責任をもって変更したり、修正する事、止めることもできる。

皆は、学校では、決められた事によって行動する事を強要されてきた。
だから、自分で決める事、つまり、変更したり、改めたり、止める事ができなかった。
これからは、自分で決め、責任を持って生きていくんだ。やり抜くんだ。

何が間違いか。

自分の意志で決めないで、他人に、決めてもらう事。
決定に従うにしろ、自分で決めたことが正しい。
いかに未熟に見えても、稚拙に見えても、自分たちが決めたことが正しい。
なぜなら、自分で悔い改めることができるから。
それが責任を持つという事。
自分で悔い改めることができなければ、自分で正せる事ができなければ、正しいか悪いかの判断もできなくなる。

だから、自分の意志で決めた事に基づかな結論は、間違った判断。

難解な理念は虚しい。
なぜなら、多くの者が理解できず、共有できないからである。

一人で決めたら、組織にはならない。
全社員の意見を聞いたらまとまらない。
だから、核となる者たちが納得がいくまで話し合い、合意したところを契約する。
それが結社。
核となる人間たちの絆が全てを決する。

中心は一つ。

中心が割れれば組織は分裂し弱体化する。
中心が定まれば組織に魂が宿る。

なぜ、一点なのか。それは、組織決定は一つしか選べないからである。

いくら沢山の案があっても、採用されるのは一つしかない。
補佐するものの仕事は、決定権者が間違った決定をしないよう状況を分析したり、正しい情報や対策を提供する事で、批判したり、批評したり、分派行動を煽ったりする事ではない。

全ては、一点から発散し、一点に収束する。

そして、決めなければ何も始まらないのだ。