組織は、人の集まりであり。
人は生き物である。
故に、組織は、生き物である。
組織は、情報系である。
生き物の情報の働きは双方向である。
組織は生き物だから、組織の情報も双方向でなければならない。
一方方向にしか情報が流れなくなったら、組織は末端から機能しなくなっていく。
壊死していくのである。
情報は循環する事で全体に伝わり、浸透し、進化する。
予算は、情報の基であり。
組織を活かすために作る。

組織は、生き物であって、指先に針が刺さっても痛いと感じるようでないと、身を守ることはできない。
どこを切っても血が流れるようにしろと。
痛みを感じなくなったら、組織は自壊する。

組織は、人工的構造物であるから、設計、デザインする必要がある。

組織をデザインする時、一番大事なのは、思想である。

思想というと難しく思えるかもしれないが、要するに、思いである。
組織とは、社会である。
組織というと軍隊のようなものを思い浮かべるかもしれないが。
組織の素は、人の集まりである。
三人寄れば、自然に組織が産まれる。組織とはそういうものである。
つまり、組織の大本の考え、本質は助け合いである。
故に、組織は、共鳴、共感がなければ生まれない。

組織は、目的でも利害でも何かを共有しないと成り立たない。
組織ありきではない。

最初は、何もかも、混沌としている。
最初は、得体のしれない、ドロドロとした、モヤッとした、漠然とした思いである。
それが、寄り集まって純化され。

一人、一人と同じ志を持つ者が呼び合い、集まる。
そして、ドラマが始まるのである。

まず、コアとなる人達が、思想。
つまり、思いや志、どんな、組織にするかを、徹底的に話し合い、共有するところから入る。
わかりましたという程度では、不十分。
血肉となるまで、徹底する。
なぜなら、それが、組織の種、魂、命だから。
それが、固まっていないと組織は、発展拡大するにしたがって解体していくから。
内に核のない組織は、外枠で締め付けて、崩壊を防ごうとするようになる。

中心は熱く、硬く、心を一にする。
そして、組織の深層部分に、基底に、志し、思想を埋め込む。
それが、儀式であり、式典である。

コアとなる思い、志し、思想によって人と人とを結びつけた集団が組織なのである。

組織は、分業によって生じる。
組織化される以前の人の集まりは、何のかかわりもない人の群れである。
組織は、分業、つまり、何らかの共通の目的を、助け合いながら、実現しようという集団の意志によって形成される。

組織の形は、コアとなり考え、思想が凝縮される過程で定まる。
中心となる思想、思い、志が失われた時、組織は滅びる。
魂のない抜け殻となる。
組織の再生は、魂を甦らせるころから始まる。
最初に形があるのではなく。
始まりは、人の思いである。

なぜ、結婚式をするの。
婚姻届けを出せばいいじゃない。
そんなにお金をかけて、親戚中の人を集め。
友達や職場の人呼んでさ。
無駄じゃない。

なぜ、儀式や式典をするのか。
社会は、組織であり、人の集まりだからである。
集団を一つの意志で統一するためには、言葉や、文章では不可能なのである。
全員に見えて、一目で理解し、共有できる体験。
心うち震わせ、感動を共有できる事。
そしてみんなが一様に共有できる体験。
だから、儀式であり、式典なのであり、礼節であり、シンボルなのである。
形が大切なのである。

冠婚葬祭は、無駄だから、面倒くさいから、簡略してしまえ。
会社でも、儀礼禁止。
だから、日本の組織は、ドロドロに溶けて解体し始めている。
組織から、魂が失われているのである。
組織を実感できないのである。
人は、感情で決断する。

反権威主義を気取っている人は、儀式だの、式典だの、儀礼が嫌いだ。
そういう人は、世の中は、人の集まりだという事がわかっていないんだ。

入学式も、卒業式も、開会式も、閉会式も、入社式も皆、やめてしまえと。
そうすすると、組織は、すぐに規律が失われ、統制がとれなくなる。

人間も動物の一種なのである。
儀式や式典を軽視すると、人と人の絆や、関係が薄くなる。

中核が整ったら形を作る。
形は、儀式によって、作られ。
指示・命令によって起動する。

日本人は、儀式や式典を、封建的で、全体主義的のものと思い込まされている。
組織は、儀式典礼によって形作られるのであり。
封建的の結果、儀式典礼があるわけではない。
むしろ、民主主義ほど、儀式、式典を重んじる。
なぜなら、国民国家は、国民という思想によって形作られた体制、組織だからである。

結婚式が、意味を失いつつあるの、結婚の本質が失われてきているからである。
結婚の本質は出遭いだよ。
神前結婚式にせよ。
教会での結婚式にせよ。
最近は、人前結婚式なんて言うのもあるが。
結婚する事の意味も考えず。
外見や、見栄、面子ばかりが前面に出るから。
結婚式、ひいては、結婚そのものの意義が希薄となるのである。
儀式、式典を担う者が、本質を理解してない。
結婚は、生まれた時も場所も違う男と女が、出遭い。愛し合い。
これから運命を共にすることを誓い、宣言し、知らしめる事。
人生最大のイベントでもある。
自分の意志で自分の運命を決める、それを、天下に示す事。
金も、地位もなくたって、人種が違ったって、民族が違っても、同性でも。
愛し合う事、共に生きる事を二人で誓い、宣言する場。
認めさせる場。
それが結婚式。
だから、結婚式には、それなりの覚悟がいる。
だから、形が大切なのだ。

組織は、指示・命令によって動く。
指示・命令は、悪い事だと教える学校がある。
悪いとはいわなくても、指示・命令の訓練をしなくなった。
自然に、指示・命令が廃れるようになる。
指示・命令は、号令訓練によって定着する。

指示・命令も、朝礼などの、式典を通じて訓練していく。

組織もシステムである。
システムと同様、いくつかの階層わけができる。

システムには、ミドルウェア、OS、ネットワーク、ハードウェアの四つの階層。
あるいは、アプリケーション、セッション、トランスポート、ネットワーク、データリンク、物理層などの七階層等の区分がある。

組織の階層層は、第一に、思想、目的。組織の根本は思想、目的である。
第二層に、法(外的法、内的法)
第三層に、基準。制度。人事、評価、給与
第四層に、部門や、階級といいた外形。
第五層に、指示命令系統といった情報系。
第六層に、個人。人の配置。布陣。

法は、根本思想によって、働きに差が出る。
規範としての法と支配の手段としての法は、根本が違うのである。
法や規則に対する考え方が違えば、組織の在り様は根本的に変わる。
法には、外的な法、つまり、国法のように組織の外にある法と。
規則のように組織の内にある法がある。
外にある法は、公法、内にある法は私法である。

法の上に制度は構築される。
制度には、人事制度、賃金制度、資格制度、評価制度、会計制度等がある。

この様な概念、法や制度といった階層の上に、ライン&スタッフや、事業部制といった外形的デザインがなされる。
組織の外形に沿って指示命令系統などの情報系が形作られる。
そして、人が配置される。

組織は、権限は、行使する事で発効する。
任命されただけでは、権限は、発効しない。
権限は、指示・命令を発せられてはじめて、発効する。

権限が、委譲されたら速やかに指示・命令せよ。

組織は、規模ではない。
組織は情報系だから、肥大化すると、情報の伝達経路が伸びる。
それだけ、情報伝達に時間がかかり、機動性を失う。

組織は、情報系である。つまり、神経系である。
焼け火箸を握ても、痛みが、脳に伝わらなければ、身を守れない。
組織は、統一されてなければならないのである。

組織の形は、指示・命令によって、どう人と人を結び付けていくかで形成される。
人と人を役割に応じて、いくつかの塊に分けそれをどのような基準で結び付けるかである。
その上で、個々の塊、部分をさらに分業化していく。
組織を構成するのは人であるから、機械をデザインするようにはいかない。

組織は、ピラミッド、ツリー型から、ネットワーク型へと変貌している。
一定方向に流れていた情報も、循環的、双方子的のものへと変化している。
それに伴って組織原則も変わりつつある。

組織原則が、情報技術の進歩と共に革命的に変化し。
管理限界とか、ワンヘッドとか、ワンマン・ワンワーク原則が通用しなくなった。
組織がより生物に近づいてきた証拠である。

組織には、野球、サッカー、アメラグ、バーレーといったいくつかの形がある。
組織の形は、組織に対する思想や目的によって選ぶ。
野球タイプは、守備は、各々の役割、担当が明確に規定され、守備位置が確定し、一定の範囲の守備を担当する。攻撃は順番を決めて行う。
サッカーは、フォーメーションで攻守一体となって行う。
アメラグは、守備チームと攻撃チームが分かれって一定のフォーメーションによって行う。

組織をデザインするときに重要なのは、中心を定める事である。
中心とは何か。人である。
中心となる人物のありよう、権限をどうするかを明確にする。
それが、組織デザインの始点である。
組織の権限、権威は一点に集中させる。
権力を分散させても組織の中心は一点に集中させる。
それが、組織の第一である。
そして、中心を囲むようなして中核を形成していく。

日本人は、中心を、曖昧に、ぼかそうとする。
そのために、往々に制御ができなくなり、暴走する。
創業者がしっかりとしている組織には、柔軟性があるが。
何世代も引き継がれた組織は、中心に対する求心力が弱体化し、形骸化してしまうことが多い。
そうなると、組織の柔軟性が奪われ、組織は硬直化する。

日本で多くの老舗が長い時代生き抜いてきたのは、個になる部分が、冷凍保存されてきたからだ。
しかし、それが、時代の熱に溶けだしたら、危うくなる。
要は、中軸の魂が保たれるどうかだ。

中心が破壊されると組織は自壊する。

組織は、人で統一するしかない。
組織は、統一的な行動が求められる。
常に、決められることは一つしかない。
故に、組織は、人、すなわち、一人の指導者によって統一するしかない。

世の中が激しく変動し、また、状況、環境は一定しない時。
革命の時の様な、価値観も揺れ動いている時は、人に合わせる。
平時は、法に合わせる。

所詮、組織は、人の集まりなのである。
結局、最後は、信じ合い助け合える仲間を見つけることなんだよ。

甘えることや助けてもらうことを覚えるのも大切な事だよ。
人は、一人では生きていけない。
甘えることや助けてもらうことは恥ずかしい事でも、悪い事でもない。

何が本当に大切なのか、何を守らなければならないのか。それをわすれないように。

お互いの至らないところ足りない所を補い合い、助け合うから、仕事はできる。
一人では仕事は出来ない。

自分にできない事、わからない事、欠点や、弱さ、それを認め、受け入れないと、どんな仕事もうまくできない。
他人に見せられないところを医者に見せなければ、病や癒えないし。
他人に見せられないところを見せないと愛し合う事もできない。

家内が子育てで学んだことは、人に合わせるという事さ。
子供を育てるためには、子供に合わせなければならない。
どんなに眠くても、授乳しなければならないし。
子供は、所かまわず、泣きわめくし、ぐずる。
真夜中に熱を出すこともあるし。
いう事だって聞かない。
でも、母親が見放したら、子どもは生きていけない。

女房は、息子が生まれたばかり時は、おむつや着替えを山ほどもって、なりふりなんて構てられず。
おしゃれにあれほど気を使った人がね。
外食もままならず、いつになったら、外で食事できるかしらと。

最初は、粉ミルクで育てるつもりだったのが、粉ミルクを受け付けないで、それで母乳に切り替え当て。
夜は寝つきが悪くて。

でも、過ぎてしまえば。

子育っては、格闘技だよね。
一人では、うまくいかないけど。
自分がしっかりしてないと、子供にすぐに出る。
母親というのはすごいなと。
教育方針も、育児の考え方も、他の人が口出しできないからね。

昼は天使、夜は悪魔。
でも、他人は、かわいいとこばかり見ているから。

そういう中で、家内は、自分を守りながら、他人に合わせる事をね、学びとった。
自分一人では、できない。
人の助けが必要な時は、受け入れる。
そうしないと、自分だけでなく子供も犠牲になる。
他人を受け入れる事を学んだんだよ。

それが、組織の原点。