組織は、情報系だということが理解できない人がいる。

情報系といったも、ケーブルや、通信線、絵にかいた線のような物理的な回線で結ばれているのではなく。人と人との関係、人間関係で結ばれた情報系だと言う事。
組織的に仕事をしようとしたら、先ず人間関係を構築する事が先決となる。

情報系は、情報が流れる事で成り立ち、形成される。また、生成、発展する。
血液が流れなくなるとその部分が壊死するように、組織も、情報が流れない部分は壊死する。
だから、まず情報を流す事を考える。
情報が流れなければ、組織は形成されないし維持できない。
逆に言えば、情報が流れれば、物理的に離れていても、目に見えなくても組織はできる。

組織において情報は、指示、命令、報告、打ち合わせなどによって流れる。
情報を流す手段は、「おかね」と言語、シンボルである。

情報は論理的に伝えられる。
情報の論理を裏付けているのは手続きである。

計画を立てるにしても、ただ、計画を立てればいいのではなく。
計画を立てる過程で、関係部門に情報を伝えるのも重要である。
一人で計画を立ってもそれだけでは、組織は認知しない。
共同して計画を立てるから、組織に情報が流れるのである。
完璧な計画を一人で立っても、組織的には無である。むしろ、組織からは拒絶される。
チャットGPTを使って一人で計画を立っても組織的には虚しい。愚行である。
巧拙にあるのではなく、共同で計画を立てるから、情報が流れるのである。

例えば、経理の責任者を指名し、皆の前で宣言し、指示することで、経理と部門が生成し、指名したものと接続する。
責任者は、担当者を指名する事で経理部門は形成されていく。

脳細胞のシナプスのように、指示命令、報告などと使った情報の道をつっくて一人ひとりを結び付けていく。

計画を立てる場合も、仕事に着手する際も、事前に主旨、目的を関係部門に浸透させておく必要がある。
いきなり結果を求めたり、完成形を提示しようとするのは無理がある。

段々にわかっていくのである。

計画を立て終わってから、主旨、方針を徹底しても意味ない。
日も場所も、主旨、目的、方針に基づいて関係者の意見を聞いて導き出すのであり。
年頭、冒頭に方針確認、キックオフ、入学式をするので。
ごちそうさまが、食後で、いただきますは、食前。
物事には、順序、前後があり、それが物事の道理であり、筋である。
だから、かつての日本人は、道理や筋を重んじたのである。
儀式、典礼作法には意味がある。無意味な事ではないが、組織や仕事の仕組みやプロセスがわからないと理解できない。

進捗状態に応じてイベントを開催して、統制をとっていくのである。

主旨、目的を明らかにしたら、責任者を決め、次に、責任者と打ち合わせて、コアのメンバーを選抜し、その後、責任者はコアとなるメンバーの話を聞いて、方針を定め、組織化にかかる。
順番、順序に定石はあるが、絶対手はない。

都度、イベントや会議、打ち合わせなどを設定し、全体の仕事の整合性、統制をとっていく。

段階的に話を進めていく・
要所々々に、イベント、例えば、結団式、入団式、ガイダンス、オリエンテーション、顔合わせ、キックオフ、スタッフ会議、幹部会、部門会議、全体会議、発表会などを設定して、組織や仕事を組み立っていく。

途中のプロセスを飛ばしたり、省略すると、組織の安全装置が作動しブレーキがかかる。
めんどうくさいと、手抜きや抜け道を通ろう、途中を端折ろうとすれば、組織は動かなくなるし。
裏道、非公式な指示や命令を乱発すると、裏の組織、非公式な組織が、公式の組織に取って代わる。

人間がする事だから、要所ようしょが機能しなくなり、情報が流れなくなることがある。
情報が正常に流れなくなるのは、組織にとって深刻な病である。
その場合は、バイパスを作ったり、圧力を掛けたりして情報が流れるようにする必要があるが、十分に目的を理解し、限定的な処置に留める必要がある。
常態化すると、組織そのものが解体する危険性が出た来る。

指示、命令によって命令系統は作られるのであり、非公式な指示でもそれが通れば、指示命令の回線は作られる。
命令系統は獣道みたいに、情報が流れる道筋が太くなる。
心臓病や脳梗塞の治療をする時、詰まった血管を補助する為にバイパスを取すことがあるが、組織も同様の処置をしなければならない事がある。
ただ、それは一時的な処置である。
それを忘れると、本来の指示命令系統が機能しなくなる。
これが怖いのである。

組織は作っていくのである。
自然に成る(生る)わけではない。

情報が流れる事で、組織は形成される。
情報を、唯、流せばいいというわけではない。
どの様な組織を作るのかを意識して情報を流す必要がある。
情報を流す相手、流し方によって、組織の実体は作られるからである。
また、公式のルートだけで組織は成り立っているわけではない。
非公式な情報系統によって公式の命令系統は補完されている。
ただ、非公式な情報系統が制御できなくなったら、組織は、分裂する。

非公式な手段は、行き過ぎれば掟破りになり、組織も社会も無法状態に陥る。
非公式な手段を講じるのはあくまでも非常的な状況だからである。
非公式な手段は、非常手段なのである。
法や手続きは、裏組織、裏社会に支配されないようにするためにある。
そのためには、非公式な手段は、自ずから規制されるべきなのである。

組織は生物である。

組織は情報が流れる事で動く仕組みなのだから、情報を中継したり、結び付けたり、分配したり、変換するポイントが重要な役割をしている。
最悪なのは、情報を伝達するための要が、情報を受け時に固まって、情報を発信しなくなる事である。

ただ情報を伝えればいいなどと考えると痛い目に合う。
情報は、用途目的によって、伝達の仕方を変える必要がある。
伝達の筋、伝達の仕方を間違うと大変な目に合う。

情報を正しく処理できないと、組織は、制御できなくなる。
組織が硬直化したり、階層化が進むと、情報が流れにくくなる。

また、組織が形骸化し、名目的地位と実質的働きが乖離すると、組織の仕組みが正常に機能しなくなる。
組織が形骸化したら、環境の変化、時代の変化に対応できなくなる。
人は、歳を取る。歳をとると言う事は老化する事を意味する。
地位と役割、働き、責任、権限が一致しなくなれば、当然、組織は形骸化する。
責任感のない者が年長という理由だけで権限のある地位を占めれば、組織の要の役割は果たせなくなる。
老化を防ぐためには高齢者と若者と入れ替わる、交替していかなければならない。
つまり、新陳代謝が必要なのである。
新陳代謝ができないと、組織は老化して、衰退する。

情報の伝達には、単純な情報伝達、元の情報をそのまま伝達する以外にいろいろある。
例えば、
情報を要約して伝える。(前置きを省き、結論だけ伝える等。)
伝達範囲を決めて、伝達する。
条件をつけって伝達する。(口外無用、日付や相手を指定して伝える等。)
情報を部門ごとに仕訳、分類して伝える。
役割を決めて情報を流す。
役割に応じて情報を流す。
情報を伝達先に応じて抽出して伝える。(伝達先の部門に関わる事だけ伝える等)
順番を変えて伝える。(トップダウンかボトムアップか)
非公式に伝える。
情報を作業に変換して伝える。(宿を予約する等)
形を変えて伝える。(言葉を花に等)
手段を変えて伝える。(メールから、直接会って伝える事に変える等)
場所替えて伝える。(会議で伝える。面前で伝える。)
人を変えて伝える。
人を介して伝える。
筋、回線を変えて伝える。
情報を加工して伝える(図や表、グラフなど)。
情報の照合、統合、結合をして伝える。
必要な情報を追加して伝える(状況、条件、経緯等)。
情報を分析して伝える。
情報を通訳して伝える。
情報を相手が理解できるように言って伝える。(優しい言葉に置き換えたり、専門用語を避ける、事情の説明等)等。

情報系という観点からすると、日本の長制度というのは、明らかに限界がある。
長制度は、長という名のつくところに、権限も権威も、処遇も集中させる制度である。
しかも、日本では、年功序列制度が癒着している。
更に横並びの傾向を生み、階層を生じさせる。
必然的に、階層が生じる。
必然的に、ピラミッド、三角形の形になる。
つまり、頂点に向かえば向かうほど、狭くなる。
人数が限られている。
組織が巨大化すると三角形の高さも高くなる。つまり、階層が深くなる。
それだけ情報の経路も長くなり、情報の伝達速度が低下し、情報が伝わりにくくなる。
すなわち、情報の質や効率が低下する。
階層が深くなることで、組織は縦割りになり分断され、横の連絡が悪くなるる。
そのことで、組織の柔軟性が損なわれる。
もともと、情報は組織がフラットの方が流れやすい。
つまり、階層を嫌う。
また、権限と権威、処遇が癒着している事で、既得権益化しやすい。
また、権限(働き)という権力の実体と地位(位置)という名目が乖離し、組織が形骸化しやすくなる。
名目だけで、実体が伴はない役職者が生じ、増殖する。

組織は、必要以上に権限を持たせる事が出来ないので、名目的な役職を増やして、社員の欲求を満たしたりもした。
金融機関では、支店長の下に副支店長とか、次長、支店長代理といった役職を置いたりした。
その結果、組織の効率、生産性が著しく低下した。

長制度の特徴は、年功序列、終身雇用と一緒に成長発展してきたことにある。
その結果、長は、権力であり、ステータスであり、待遇だということになる。
当然、一度、長となれば、なかなか手放さくなくなり、既得権益化する。
長制度では、役職は、評価、報奨、ステータスの象徴となるから、役職本来の役割、権能が失われ、形骸化する事によって、正常な働きをしなくなる危険性が生じる。

これは、日本の閣僚人事などにも表れ、財政の知識、経験のない者が財務大臣に任命されたり、軍事の素人が防衛大臣、法に対するポリシーのない者が法務大臣に起用されたりすることになる。

また、役職が既得権益になると、人事が固定化、硬直化し、組織の機動力、革新性が喪失する。
これが年功序列に結び付くと、更に、組織の硬直化、固定化に拍車がかかる。
高齢化すると、記憶力は低下し、情報の処理能力、学習力が衰える。
高齢者が、要所を占めれば、組織の機動力は著しく低下する。
また、組織の固定化、硬直化は、評価制度の劣化の原因となり、社員の意欲、向上心、モラルの低下を招く。年功序列に結び付くと若年層の登用が難しくなり、若者、離れを促す原因となる。
さらに、名目的組織と実質的組織が乖離する事は、公式的組織と非公式的組織の分離を促すことになる。
実際の組織の動きと名目的組織に働きの整合性が失われるのである。
これは、組織の腐敗、堕落を促し、無法、不正行為の温床となる。
社内規則や規定、規範の効力を失わせ。
必然的に、組織のモラルと士気の低下を招く。
こうなると、組織は、末期的症状を呈するようになる。

このような弊害を考えると、長制度に変わる新しい制度を考案する事が求められる。

肝心なのは要所要所を任された者が、自分の立場、立ち位置、役割を正しく理解することが不可欠である。
組織を構成する者に自分の役割を正しく理解させる事が教育の目的なのである。

兎に角、組織において、情報を止める、停滞させる者は癌になる。

絶え間なく、情報を環流し、流し続けないと組織は死んでしまう。
血液が流れなくなった肉体のように。
流れなくなったところから壊死していく。
情報は常に新鮮ものに更新し続けなければならない。
組織は常に生まれ変わっているのである。
人事の停滞は、組織の深刻な病巣となる。

組織は生物なのである。

成長や変化を拒めば、老化し、衰弱し、死に至る。