世界の統一性を保ち。
この世を存在させる。
自己を超越した何者かの存在を受けいれない限り。
科学なんて成り立たない。
そして、その存在は、唯一絶対でなければならない。
なぜなら、世界の統一性が保たれない、絶対性が保証されないからである。
時空間の統一性を保ち、絶対性を保証する、超越的存在。
その様な存在を神と名付ける。
何故、名付けるのかというと、超越的存在は、本来、無名だからである。
名は、絶対性を崩壊し、存在を分かつ事。
しかし、名をつけないと人は、絶対的存在を対象化し、相対化できない。
故に、便宜的に神と名付けるのである。
その時、存在から、絶対性、神性は、失われ、相対化され、対象化される。
唯一、全体な神は、本来、無分別な存在であり。
善悪、真偽、善悪の基準を超越した存在だからである。
神は、唯一絶対的な存在であり。
存在は、前提となり、神は、前提となる。
分別は、自己が生み出す。
自己は人である。
善悪、真偽、美醜は、人の問題であり。
神は、善悪、美醜を超越した存在である。
相対性は、認識の問題である。
人の命には限りがある。
物的空間は、有限である。

人は、生病老死の四苦から逃れられない。
人は、生まれ、病み、老いさらばえ、やがて死んでいく。
死のうは一定。
人生は、泡沫の夢。

時は、不可逆的に流れている。
失われた時は、取り戻せない。
取り返しのない事。
引き返すことが許されない事。
やり直したくても、やり直すことは許されない。
後悔は先に立たず。
悔いは、心に深く傷を残す。

あれほど平和で幸せだった日々が理不尽に奪われ。
美しい街並みが廃墟へと変わる。
何故と、天を仰いでみても、神は、何も応えてはくれない。

今ほど、幸せとか平和という言葉が重く聞こえる時はなかった。
これからは、自分の意志が問われる時代となる。

人には、自分の力では変えられない定めがあり。
自分の意志でしかなせない事がある。

平和も幸せも人の意志のなせる業。

今この時、人は何を信じ。
何をなすべきなのか。

根源にあるのは、不可思議、混沌。

人生は、一生。
ただ一途に生きるしかない。

人はこれほどまでに残忍になれるのか。

幸不幸は糾える縄の如く。
朝の静穏も、夕べには荒廃する。
無常と言えば、あまりに悲しい。

報いのある事を思わざるを得ない。

信仰の根源は神にある。
しかし、神の名を語って信仰を利用する人間がいる。
神の名のもとに無慈悲な事を繰り返す。
神は、超越者であり、寛容な存在である。
その証拠に、何を信じるかは、人の意志に委ねている。

何故に人は、惑わされる。
神の真実を知らないからである。

神が残忍なのではなく。
人が残忍なのである。

神と自己との関係は、一対一である。
プーチンと神との関係も一対一である。
キリル総主教と神との関係も一対一である。
一兵卒と神との関係も一対一である。
赤子と神との関係も一対一である。
殺された者も神と一対一。
殺す者も神と一対一。
そして、神は、常に見ておられる。畏れよ。
神は、あなたの目をとして見ておられる。

プーチンの死も、キリル大主教の死も、一兵卒の死も、赤子の死も、私の死も、死に変わりはない。
その時、人は、神と一対一に対峙する。

世界を救うことのできるのは、人間の意志か。神の意志か。
自分を裁くのは、自分の行い。
人は、自分の行いのよって裁かれるのである。
罪は、魂の奥底に深く刻まれる。
呪うなら、己の悪行こそ呪え。
神は、自らを助くる者を助く。