反対意見があったら、最初に、意見を聞かれた時に言う。
指名された場合は、最初に、賛成か反対かを言ってから、理由を述べる。
意見、即、反対意見と考えている者がいるが、これは、間違い。

質疑応答と、討論とは違う。
質問なのか、意見なのかをきちんと区別する。

意見は、意見。

黙っていたら、黙認されたとされる。
そうしないと仕事が先に進まなくなる。

指示した者が一番気になるというか、嫌なのは反応がない事。
かといって、闇雲に反対すればいいというのではない。

反対してはならないとは言わないが、反対する場合は、それなりの覚悟がいる。

正当な理由なくして、反対しない。
反対する時は根拠を示せるようにしなければならない。
感情的に反対しない。
反対をする時ほど、礼節を忘れない。
ハッキリ言う。

戦争に敗けてから、単に反対、批判さえしていれば許されるという風潮があるが。
これは、最も愚劣、卑劣だ。
まず、名を名乗れ。裏でこそこそ言うな。
反対するなら、面と向かって正々堂々という。
自分の言った事には責任を持つ。

基本的には前向き受ける。

初の指示は、変更可能、つまり、仮決めだという事である。
なぜなら、最初の指示は、相手の都合を斟酌しない、できない時点で出されるから。
ただし、変更できる時間は限られている。
直後か。直後の確認時が原則で、仕事が動き出してからの変更は原則難し。
それは、他のメンバーにまで影響が及ぶから。
変更を求める場合は、変更を求めた側が対案を示すのが作法。
例えば、今日の五時までにはできませんというところで止めれば、単純に、抗命、拒否と解釈されても仕方がないから。
業務命令は、根本的には、正当な理由なくして拒否できない。
また、今日できませんというだけで、いつならできるのかを示さないと、指示そのものが無効になるから。
必ず、今日できないなら、明日なのか、一か月後ならできるのかを示さないと、他のメンバーの仕事に差し障りが生じる。

一度決定が下されたら、基本的に質疑応答は許されても、意見具申は許されない。
無論、非常時、緊急時は除く。例外。
自分の仕事の変更は、自分一人の仕事の変更を意味しているのではない。
急ぎの用がありますと言っても、仕事の優先順位は上司が決めるので、具体的に、今日は、来客がありますのでと、上司の指示を仰ぐのが礼儀。
その上で、状況によっては、作業の組み換えをする。
先ず、ゴールを決めないと、道筋は定まらない。
尻抜けの仕事になる。また、指示者が、全ての部下の都合を理解しているわけではない。
ハッキリしているのは、一致協力して一つの仕事を実現しようとしているという事。
期限を明確に切らないと、細かい段取りや、詰めはできない。

変更は、変更できるものに求めるべきで、基本的に指示をした者。
聞くべき相手を間違えたら、無用な混乱を招くだけ。
それに、きちんと理由を言わないで、裏で、こそこそ言うのは卑怯である。
最初の仕事は、具体的にやるべき作業を洗い出して役割を分担する事。
最初から、結論がでているわけではない。
始まりは始まり。
ここは、冷静に、やるべきことを全て明らかにして仕事を分担していく事。
自分達の都合ばかりを言い出したら切りがなくなる。
自分が受け持つところはどこか。自分はどのような責任を持たされているのか。
それを自覚せずに一人合点は一番の禁物。
自分一人やりすぎても、全体と釣り合いがとれなくなる。
他のメンバーとのかかわりを理解する事。
全員に前提の進捗状態を見えるように、体感させる。
その為に儀式典礼があり。特に、開始や、締めの儀式は大切。

正月休みや、夏休みなどの長い休みが差し挟む場合は、一旦作業を凍結し、休み明けに解除するやり方と。
休みを跨いで、休み明けにイベント(会議、打ち合わせ)などを設定するやり方があるが、どちらにするかは、仕事の性格や管理者のスタイルによる。
どちらが正しいというわけではなく。一長一短がある。跨がれると完全に仕事を遮断できなくなるし。
凍結する場合は、凍結と解除の為に余計な作業が増える。
中には、性格上、凍結できない仕事もある。

例えば、休み前に、指示を出しておき、休み明けに報告を聞いて次の仕事につなげるやりかたが、跨ぐやり方。
一旦、出すべき指示を記録して、凍結し、休み明けに記録を確認した上で改めて出すのが凍結。
どちらでもない。中途半端な指示や、指示が出ているのか出ていないのかの確認がとれない状態が一番悪い。

この点を鑑みながら、管理者は、自分のスタイルを確立しておく。
一番悪いのは、どっちつかずになって、だらだらと牛の涎のような仕事のなったり、仕事が寸断されてしまう事である。
正直言って、組織は、一旦、静止してしまうと再起動するのが難しい。本来ならアイドリングしておいた方がいい。
しかし、今はそうは言ってられないので、休みをいかにやり過ごすかが大事になる。
もともと組織的な仕事は、イベントを設定し。イベントとイベントの間の作業を読み込むことで組み立てられる。
なぜなら、同時並行作業があるからである。
故に。イベント(会議、打ち合わせ、式典)をどう設定するかが重要になる。
会議や、打ち合わせ、儀式、式典を理解していなければ、組織や人事は司れない。

今は、組織が溶解し始めている。

例えば、トップがイベントを決めたとしたら、その主旨、目的をトップが示し、それを、筆頭幹部が具体化し、部門長に指示する。
部門長は部門の方針を決めて、課長に指示する。課長は、担当を決めて、仕事の段取りをつけて、詳細を担当者間で詰めさせ、実際の仕事は、全員が分担して執行する。
これが、言われなくてもできた仕事の流れ。
言われなくてもできたというのが味噌。
言われなくてもできたのは、組織が、中心を核として段階的に形成されてきたからで。
言われなくてもできると思っているから継承するのを忘れる。
中心を構成する人間が年をとるのに従って中心が機能不全に陥ていく。
核となる部分が失われるに従て、空洞化し、形骸化していく。
トップがトップの仕事ができなくなり。
筆頭幹部がいなくなり。
部門長が、全体を把握できなくなり。
課長は、段取りがつけらない。
担当はわがままになり。
ワーカーは言われた仕事しかできなくなる。
要は、中心の機能が失われ、環境の変化に適応できなくなる。
全体を取り仕切れるものがいなくなり、組織を管理、制御できなくなる。
こうなると、組織から規律、統制、秩序が失われ。統一がとれなくなる。
前例主義、事勿れ主義、日和見主義が横行し、仕事がマンネリ化する。
創業者がいなくなり。
筆頭幹部がいなくなり。
部長がいなくなり。
課長がいなくなり。
担当者がいなくなり。
いよいよ烏合の衆となる。

中心が、空洞化し始めたら、自然に空洞を、埋める様に埋める様に、若者が働ける組織にしておかないと組織の空洞化は防げない。
若者達が、中心に、中心に向かていかないと、組織の髄が、中枢が、失われてしまう。

伝統は自分達で築いていく事なんだ。
伝統に囚われはならないが、伝えなければならない伝統の魂は継承しなければならない。

どんなに立派な大黒柱も、根本が腐ったら、足元が崩れたら。脆いものだ。
柱の足元を、土台を固めろ。大黒柱の周りにできた隙間を埋めろ。