自分が傷つくのを恐れて、内面の外面を使い分けている。
結局、それが正常な対人関係を作る事の障害となっている。
内面の自分を押し殺して外面を取り繕っている。
そんな事をしていたら自分というものがなくなる。
心根がねじ曲がり。
卑屈になってしまう。
昂じたら対人関係が築けなくなる。

素の自分が出せればいいのにと思うのだけどね。
ただ、怯えているばかり。

周囲の者が助け舟を出したくても、頑なに、拒み続けてしまう。
こうなると救いようがなくなる。

なぜ、自分が傷つくのを、かほどに恐れるのか。
それは、芯となるものがないからだ。
例え、自分の間違えを認めたところで自分の存在まで否定されているわけではない。

些細の事を注意されても、全人格が否定されたが、ごとく思い込む。

心張棒がないからだ。

失恋したって、大失敗しても、赤っ恥を搔いても、それで、自分の全人格が否定されるわけではない。
自分の心に芯があれば耐えられる。

自分の心を支えてくれる芯さえあれば耐える事がだきる。
失われたり、チョットの事で壊れたりしない存在に、芯を見出せたなら。
不動の心根が持てる。
だから、人は神を必要としている。
神を必要としているのは、人だ。
神ではない。
不変的の存在に芯を置けば、不動の安心立命が得られる。
かつて日本人は国にそれを求めた。
しかし、国は負けってしまった。

会社は、定年になれば失われる。
家族は、壊れ、崩壊する事がある。
神に救いを求めるしかないさ。