ドンキホーテのミュージカル、「ラマンチャの男」の中に、確かこんな台詞があった様に想います。

ああ人生自体がきちがいじみているとしたら、では一体、本当の狂気とは何か? 
本当の狂気とは。
夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。
現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。

だが、一番憎むべき狂気とは、
あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、
あるべき姿のために戦わないことだ。

私は、「ラ・マンチャの男」のこの台詞を聞いて・・・。

人は、ドンキホーテは狂っていると言うが、
では、この世に正常な者がいるというのだろうか。
誰が正常で誰が異常かなんて解らないじゃあないか。
この世の中の人間、皆、狂っていると言ったっておかしくない。
皆が狂っているとするのならば、許されないのは、この世の中の不正に目をつぶり、仕方がないと諦めていく狂気だと私は想う。

日本人は何でも和をもって尊しとして、意に反する意見を会議や集会で発言する事を、意味もなく嫌う風潮がある。いろいろな会合に出ても自分の言いたいことを何も言えずに、黙って俯いている人が多い。
各々が各々、自分の立場で意見を述べ合うから会議や集会は成り立っているのです。
自分たちと違う意見を頭から否定するならば集会など開く必要がない。
あなたは、自分の主張が正しいと信じるのならば、ひるんではなりません。

あなたが自分の信念に正しいという確信があるのならば、どの様な迫害や弾圧を受けたとしても、また、どの様に周囲の人間が無理解だとしても、味方になる者が、だれ一人いなくても、毅然と主張すべきなのです。

誰も自分の事をわかってくれない、味方してくれないとしても、自分が正しいと思うのならば、周囲の人間の思惑に囚われ、迎合すべきではありません。
むろん、自分の主張が間違っていると気が付いたならば、素直に認め改めるべきですが・・・。しかし、自分の考えが正しいと思うのならば、堂々と立ち向かっていくべきなのです。

イエス・キリストは、正しい事を群衆に主張したが故に、十字架にかけられたのです。
コペルニクスやガリレオ、ジョルダーノ・ブルーノは、真理を明らかにしたが、故に、迫害を受けました。
命を懸けて正しい事を主張する事が狂気だというのならば、罪もない者を十字架にかけるのも狂気です。
たった一人で、幾千万という敵に向かっていくことを、狂気だというならば、破滅するとわかっているのに、大勢に従う事もまた狂気なのです。
一人で義を貫くことが狂気なら、諦めて大勢に従うのも狂気。

周囲の反対や無理解を押し切ってまで、信念を貫き通す事が、狂っているというのなら、最初から仕方がないと諦めたしまうのも狂気。
大風呂敷を広げて夢を追い求めるのも、狂気ならば、吾のみが正しく、周りが皆馬鹿に見えるのも、狂っている。

論語
「子、曰(のたまわ)く、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり」(子路篇13-21)

子曰わく、郷原(きょうげん)は徳の賊なり。(陽貨第17-13)

孟子(尽心章句下 38章)
万章が尋ねる。
「孔子が陳の国に居たとき、郷里の士は志は大きい割に実行が伴わない。しかも頑固だから、帰って教育し直したいとしきりに云ったというが、何故そんなに郷里の狂士のことを思われたのか」と。
孟子は語る。
「孔子はかねがね、中庸の人物と交わることが出来ぬ場合は、狂者か、狷者を選びたいと云っていた。狂者は、理想に走りやすいが志が高いし、狷者は知識は浅いが、心に守るところがある。孔子とて始めから中庸の人と交わるのは難しいと思ったわけではなく、次善の策として、狂狷の者を望んだのだ」と。
狂者の人物像を尋ねた万章に孟子は語る。
「孔子の門人子張、曾皙そして牧皮などが狂者に当たる。
彼らは志は高いが大言壮語の人だから狂と云われてる。
しかも彼らは言行不一致の処があり、いにしえの聖者を崇めて、しばしば口にしていたにも拘わらず、その行いは人と親しむどころか、疎んぜられていたのだ。しかし、かかる狂者とも交わることが出来なければ、不義を憎む士、すなわち、狷士を選んだのだ」と。
万章は話題を変えて尋ね返す。
「孔子は、訪れることもなく門前を通り過ぎてしまっても、少しも気にならぬのは郷原で、彼らは徳の賊だと云っているが、郷原とは如何なる人物を指すのか」と。
孟子は答える。
「世の流れに逆らわず仲良く過ごせれば良いと、良心に背を向けたまま世に媚びて生きている輩のことだ」と。
万章は質問を続ける。
「謹厳実直と人は評し、その行いも謹厳そのものの郷原の人を、何故、孔子は徳の賊だというのか」と。
孟子は答える。
「非難される程目立つこともなく、世俗に流され、濁世に迎合し、見かけは忠信、廉潔の士に似ており、世人にも好評で自身も満足しているが、その世渡りは、堯舜の道からほど遠いものがある。故に、徳の賊というのだ。孔子は似非なるものを憎むと云っている。それは、似非なるものが、本物を見失わせるからで、例えば、雑草は、苗と見間違うし、佞人は、義の道を損なうし、口先が旨すぎると、真実が見えなくなるし、鄭の音楽は、正統な音楽と紛らわしいし、間色の紫色は、正色の朱と紛らわしいように、郷原を憎むのは、徳を乱す恐れがあるからだ。君子たる者は、常に、正道を目指すべきである。この正道さえ保たれれば、庶民は奮い立ち、邪悪な郷原は消え去るものだ」と。
孔子云う中庸の道守る人見つけ交際するが、最善出来ざれば狂者か狷者見出して交際するが、次善なる策。狂者とは、その志し高けれど、大言にして壮語なる人。狷者とは度量の狭き人なれど、心に守るところある人。郷原は本心隠し、世に媚びて生きる輩で、徳の賊なり。郷原は、善人として評高し、その真実は、背徳の人。孔聖は、似非なるものを、憎悪せり。世間惑わせ、徳乱すため、君子たる者は、ひたすら常道を守り続けることが肝要。常道を正しく守り続ければ、庶民。必ず、奮起するもの。庶民らが、奮い立ったら、郷原の如き悪人、影を潜めん。

ラマンチャの男(抜粋)

私はこれまでありのままの人生というものを嫌というほど見てきた。
……息をひきとる仲間を両の腕に抱いたこともある。
彼らはみな、うつろな目をして、
おれはなぜこうして死んでいくのかと私に聞いていたのではない。
いままでこんな人生なんのために生きてきたのかと私に聞いていたのだ。

ああ人生自体が気違いじみているとした、では一体、本当の狂気とは何か? 
本当の狂気とは。
夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。
現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。

だが、一番憎むべき狂気とは、
あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、
あるべき姿のために戦わないことだ。

Life as it is. I’ve lived for over 40 years and I’ve seen life as it is. Pain. Misery. Cruelty beyond belief. I’ve heard all the voices of God’s noblest creature. Moans from bundles of filth in the street. I’ve been a soldier and a slave. I’ve seen my comrades fall in battle or die more slowly under the lash in Africa. I’ve held them in my arms at the final moment. These were men who saw life as it is, yet they died despairing. No glory, no brave last words, only their eyes, filled with confusion, questioning “Why?” I do not think they were asking why they were dying, but why they had ever lived.

When life itself seems lunatic,who kows where madness lies?Parhaps to be too practical is madness.To surrender dreams-this way be madness.To seek treasure where there is only trash.
Too much sanity may be madness.And maddest of all,to see life as it is and not as it should be.

己の魂以外、己のものとなすなかれ。
現在の自分を愛さず、将来の自分を愛せ。
快楽のみを追うな。
常に先に目を向けよ。
男には公正であれ。
女には丁重であれ。
その人の幻の中に生きよ……。
その人の名はドルシネア…。

現実社会において、
『汚れ果てし この世から 正しきを救う』なぞ、きれいごとで、
それを実行し進み続ける男なぞただの狂人。

『現実は真実の敵なり。』
事実というのは、この毎日の現実の、この現実の世界は、いつの時代も真実の敵だ。

そしてテーマソング「見果てぬ夢」

夢は稔り難く           (ゆめはみのりがたく)
敵は数多なりとも        (てきはあまたなりとも)
胸に悲しみを秘めて       (むねにかなしみをひめて)
我は勇みて行かん       (われはいさみてゆかん)
道は極め難く           (みちはきわめがたく)
腕は疲れ果つとも        (うではつかれはつとも)
遠き星をめざして        (とおきほしをめざして)
我は歩み続けん         (われはあゆみつづけん)
これこそは我が宿命      (これこそはわがさだめ)
汚れ果てし この世から    (けがれはてし このよから)
正しきを救うために       (ただしきをすくうために)
如何に望み薄く 遥かなりとも (いかにのぞみうすくはるかなりとも)
やがて いつの日か光満ちて (やがていつのひかひかりみちて)
永遠の眠りに就く時来らん   (とわのねむりにつくとききたらん)
たとえ傷つくとも         (たとえきずつくとも)
力ふり絞りて           (ちからふりしぼりて)
我は歩み続けん         (われはあゆみつづけん)
あの星の許へ          (あのほしのもとへ)

To dream the impossible dream
To fight the unbeatable foe
To bear with unbearable sorrow
To run where the brave dare not go
To right the unrightable wrong
To love pure and chaste from afar
To try when your arms are too weary
To reach the unreachable star
This is my quest
To follow that star
No matter how hopeless
No matter how far
To fight for the right
Without question or pause
To be willing to march into Hell
For a heavenly cause
And I know if I’ll only be true
To this glorious quest
That my heart will lie peaceful and calm
When I’m laid to my rest
And the world will be better for this
That one man, scorned and covered with scars
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable star