言って解らない事がわかっているのに、なぜ、くどくど注意するのかって。
それは気がついた時、分かるように。
予め言っておかないと気がついても、わからないんだよ。
わからなければすぐに忘れるよ。
頭でわかっていても、経験さないと、実際に痛い目にあわないと本当には理解できないんだよ。
それに、ある程度わかっていたら身構えることもできるしね。

経験して初めて言っていたことがわかる。経験しないとわからないんだよ。
聞いただけではね。
最初からうまく出来はしない。
失敗して当たり前だからね。
最後までやり抜いたら、最初としては上出来だよ。途中で投げ出したらおしまいだからね。
泣いたって、笑たったて、最後までやり抜くことさ。あとが続かなくなるからね。
ただ、失敗は、失敗と認めないとね。後がなくなるから。

俺たちは、問題点を聞いているんで。
大丈夫です。何も問題ありませんと言われたら助けてやれなくなるからな。
それで、誰も助けてくれないと言うのは、お門違いだよ。
かと言って、自分で何も解決しようともしないで、助けてくれもないよ。
せめて、自分なりに問題点を調べて、自分で解決できないところを助けてくださいといわないとな。
何でもかんでも助けてくれと言われても、出来る事、できない事あるからな。

親父に言われたよ。
勝っても負けっても、戦い抜く事さ。
負けたって、学ぶ事たくさんあるからな。
ただ、途中で投げ出して、逃げ出したらお終いよってな。

ただ、気を付けなければならないのは、後になって、「それは、俺が言ったから」とか、「教えたから」と言いたくなる事ね。
それを言ったらお終いよという事なんだけどね。
ついつい言いたくなる。
皆、承知でやってることで、言わぬが、花さ。
それをね。恩着せがましいこと言うなってね。

そりゃあ、一つや二つ為になる事や、参考になることぐらいいうだろう。
それを、鬼の首を取ったようにね。
せっかくの好意も、仇になるというの。
黙っているから、価値があるんじゃない。

もっと悪いのは、誰だってできるさ。
未練がましというのね。
やった奴が勝ちさ。
やりもしないで、誰だってできるもないもんだ。
肝心なのは、信じてやるか、やらないかさ。
後でなら何とでも言える。
自分の意気地なさ、勇気のなさを棚に上げてね。
実行する事に価値があるんで、思いついても行動に移さなければ、何の価値もないよ。
他人の事、ああだ、こうだ、妬む前に、やれるものならやってみな。

野球の守備で何が嫌かというと、フャインプレーができない事ではなくて、トンネルする事の方である。
簡単な事のミスの方がずっと尾を引くのである。
難しい事が出来のいことより、簡単な事が出来ない事の方が認めがたい。
簡単な事がわからない事の方が恥ずかしい。
でも、周囲の人間にとって、素直に認めてくれれば、改めようがあるので。
頑なに拒絶するから、深刻なので。
その事に気が付いてくれれば、取りつく島もある。
だから、言った時は理解できないとしても、予め言っておくのだ。

早く気が付けばいいとも限らないし。
何の苦労もしないで気が付けばいいというわけでもない。
確かに、早く気が付けば、楽だと思うけど、苦労して、いろんな経験をして気がつくこともある。
ただ、素直に、自分の限界を受け入れないと、いつまでたても気がつかない。