歴史の終焉。
キューバ危機の時、人類は、終末戦争に対する恐怖に戦慄した。
しかし、今、キューバ危機の時と比較できないほど、第三次世界大戦、核戦争が現実味を帯びている。
思えば、近代という歴史は、神への挑戦から始まった気がする。
科学の発達、技術革新、産業革命、フランス革命、アメリカ独立戦争、ロシア革命と人間の理性への信仰に始まった。
そして、人類は、神を侮り、恐れなくなった。
その結果、行きついたのが、生物化学兵器であり、核兵器。人類を何度も絶滅しても余りある兵器である。
今、人類は、人類の英知と理性を問われている。
結局、今の平和は、核兵器の均衡によって保たれていたのに過ぎない。
その緊張の糸が切れた時、危機はエスカレートして、破局へと加速していく。
誰が、止められるというのか。

だからと言って、現実から目を背けても、何も、事態は改善しない。

科学は欺瞞なんだ。
だから最初から相対的なのであり。
絶対的にも完全にもならない。

神の力を手に入れたとしても、神の力を制御する心がなければ、かえって、手に入れた神の力によって身を亡ぼすことになる。
大切なのは、力でなく、心である。

今の日本人は、なんの努力もしなくても、平和や豊かさが実現できると思い込んでいる。
豊かさを、当たり前とし。
欲しいものは、何の努力もしなくとも手に入ると。
働きもせず。学びもせず。
楽をして、儲ける事ばかり考え。
休むこと、足ぶ事こそ生き甲斐だと。
少しでも思い通りにいかないと、不平不満ばかり、挙句の果てに世の中が悪い、誰も認めてくれない。
親が悪いと、他人の性にする。
我利我利で、自分の事しか眼中にない。
誰も助けてくれないと自分は誰も助けようともせずに。

何一つ自分の力では解決できず。
世のため、人の為に、役立つことは、何も学んでこなかった。
何もわからず。何もできない。

驚くことはない。
かつて、自分たちも何もわからず。
何もできなっ方。

昔が良かったなんて言わないさ。

何が違うか。
自分たちの力を信じて、遮二無二に生きてきた。
一生懸命だったという事。
わからない、できませんでは済まないから、何とか、わかるように、できるように、必死に食らいついた。
無我夢中でやっとここまでこれた。守ってきた。
そしなければ生きる事が出来なかった。
家族を守る事ができなっかた。
そうやって何とかやってこれたというのが本音だよ。
でもこれからは、わからないよ。
だって、生きようとしていないもの。
何が何でもという気がないもの。
何とかなるさと、高を括っているもの。世の中、舐めてるから。

今の日本人は、わからにと言って、すぐにあきらめ。
できないと言って、すぐに投げ出す。
そこが違う。
でも、その差が、未来の日本を決める。
自分たちの生活を左右する。

かつて、日本は、貧しかった。
何もなくて。
その日の食にも事欠き。
身を寄せ合いながら生きてきた。
貧しくて、勉強したくても家に金がなく。
学校を卒業すると、すぐに、働きに出され。
とはいっても、働きたくても生まれたところに仕事はなく。
家を出て、故郷を離れ、遠く都会へと集団就職。
わずかばかりの、給金から実家に仕送りをするのが、当たり前。
親が、生活費を見るなんてとんでもない。
結婚生活も、裸電球、六畳一間のミカン箱。
家風呂なんて、望むこともできずに、銭湯へ。

わからない事、出来ない事ばかり。
だって、それまで、経験もなく、未知な事ばかりだったから。
コンピューターも、インターネットも、携帯電話もなく。

家電製品と言っても、ラジオくらいしかなくて。
そのラジオも高級品で。
それから白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫、自家用車と…。
やがては、自分お家を持つんだと、皆、がむしゃらに働いて、働いて。
それが日本を高度成長に導き。
日本を豊かにしたのかもしれないが、その代償も大きかった。
やっと手に入れた、豊かさも。
手に入れてみれば、それで、豊かになれたかと。
その果てに、家族から見放されて、孤独死では、情けない。

ロシアは、本来豊かな国。
穀倉地帯があり、石油だってガスだって大輸出国。
かつては、トルストイ、ドストエフスキー、プーシキン、チエフォフとロシア文学と言われ。
また、音楽もチャイコフスキーを輩出し。
かつて、物理を学ぶなら、ドイツ語かロシア語をと。
また、ロケットの有人飛行を世界で初めて実現をもした。
なぜ、そのロシアが、困窮したのか。

ウクライナは、国家存亡の危機にある。
その時、国民は決起して祖国を守ろうとしている。
ロシアの戦車の前に身を挺して進行を阻もうとする男性。
銃口に怯む事なく、抗議をする老婆。

非人道的兵器というが、では、人道的兵器とは何なのか。
兵器に、人道的か非人道的かの差はない。
あるのは、破滅的であるか、ないかの差に過ぎない。
核兵器にせよ、生物化学兵器にせよ歯止めを失えば、破滅的な兵器なのである。
要は、救いようのない兵器だという事である。

ほんの百年ほど前、人々の生活は貧しかった。
インターネットや、パソコンどころか、テレビも、洗濯機も、冷蔵庫も、自動車も何もなかったのだから。
それでも人々は、食事の前、神の恵みに感謝し、祈りを捧げ。
夕に、一日の働きに感謝し。
寝る前に祈りを捧げた。
自らを超える何も中の存在を恐れる気持ち。
人知の及ばぬことに対する畏敬の念を失った今。
人類は、滅亡の淵に立たされている。
人は、何を信じるべきなのか。
神を否定する者は、自らを神とする。

今、一つの歴史が終わろうとしているのかもしれない。
科学技術の革新、人間の英知、理性を絶対化し。
人間を全知全能な存在へと押し上げようとした歴史が終焉する。
人間は、人間。
神にはなれないし。超える事もできない。
自らを超える何者かの存在を受け入れ。
常に自制し、感謝し、祈る事を思い出さないと。
人は、自らの傲慢さによって滅びる事になる。
その時、人類の歴史は、本当に幕を閉じるのだ。