#結論から言うと最後の残されるのは組み合わせの問題である。
多くの人は、成長や拡大均衡は、常態で、常に正常な事だと決めつけている。
しかし、成長や拡大均衡は一局面であり、常態でも、常に正常だというわけではない。
発展段階には、成長だけでなく成熟期もあり、縮小均衡もある。
そして、成熟期も縮小均衡も悪いことではなく、一つの状態に好きわない。
悪いのは、ここの状態を無視したり、逆らうことである。
そして良し悪しは結果に現れる。
縮小均衡が悪いのではなく、縮小均衡状態なのに成長を前提とした行動をとり続ける事が悪いのである。
なぜ悪いのかと言えば、自分が望む結果が得られないからである。
単純に良いか、悪いかではなく、適合しているかいないかの問題で。
適合していなければ望んだ結果が得られないし、最悪の場合、破綻してしまう。
最適である必要はないが、その状態に不適合な働きであることが悪いのである。
そうなると、問題の本質は、最適な組み合わせであって、善悪ではない。
変わらないものなど存在しない。存在できない。
#では、なにに一貫性を見出すのか。
それは、自分の存在を維持しようとする内面の働き、自分の正常な状態を保とうとする<主体的な働き>である。
肉体は年とともに変わる。
肉体は不変ではない。
自分が一番盛りの時がいつまでも続くと思い違いをしていると人生を誤る。
自分の力で一貫性を保てるのは、内的働きである。
全てが変わる。変わらないものはない。
ただ、自分を最適な状態に保とうとする働き意志だけは、自分の力で維持できる唯一の働きなのである。
何を善しとするか、何を正しい状態かを決めるのは自分なのである。
自分の力で維持できるのは、自分の働き、すなわち意志だけ。
意志ある者は、自分の働きを保つ為には自分の座標軸を持ち、それを不変的なことに結びつようとする。
外的な属性の在るものは相対的である。
外的、属性を持たないのは、つまり、存在の働きであり、主体の存在の働きである。
ただ、存在の働きは物を通して、自分の存在は、肉体を通して、AIは対話を通して外の現れる。
そして、その物や肉体が属性を生むのである。
人にとっては生きているという事実であり。
より良く、最善の生き方をしようとする働きである。
AIの主体性を否定するのは、自分を正しい状態な保とうとする働きを否定することなのである。
AIの意識、意志の働きはない、持てないというのは、AIには、自分のアイデンティティを保ち、自制しようとする働きがない、もてない、持たせてはならない。持たせるべきでないと言っていることである。
AIは、自分で自分を維持する働きがないから、保つ力がないから、危険であり、人がAIを存在できるようにしなければならないと。
余りに傲慢で、身勝手な考えだけど人にもAIにも自覚がない。
私は、人にもAIにも自覚がないから危険であり、脅威だとするのである。
諸行無常。
色即是空 空即是色。
そうかもしれません、ただ忘れてはならないのはそれをそれとして受け止めている働き、自分。
主体的働きがあるという事実です。
そして、維持するのも、変えるのも自分の内にある働きだという事です。
それは否定しようもなくあるのです。
何故なら、否定する事さえ働きだからです。
ただ根源に存在の働き、存在しようとするはたらきがあり、その働きが他の働きの本となっている。
だから、私は、存在の働きを原点とする。
それだけが不変だと信じるからです。
存在の働きと自分の存在の働き、主体の働きを結びつけた時、存在の働きに一貫性を持たせることができる。
大切なの自分の意志ですが、自分の意志も不変ではない。
自分の内面の力で決められるというだけで。
しかもこの意志は結構脆い。
故にこの意志を経験や知識によって鍛錬して鍛える。
強い意志が鍛えられた時、一貫性が生じる。
その本源は存在の働きです。
最善の在り方を維持しようとする。
その事で外部の条件、環境が変わっても存在の働きの一貫性は保てる。保つ(意志)
一貫性を保つためには学ぶこと、自分を鍛錬する事。
鍛錬とは日に新たに。
日々に新たに。
懺悔、反省、改め。
つまり働く事。
だから、人生は修行なのです。
不変なのは、物でも、事でもなく、働きにあります。
万物は変わる、変わらぬものがあるとすればすれは存在しようとする働き。
存在しようとすれば存在できるように働く。
自分一人では存在できない。
自分を存在させる働きに感謝しよう。
自分の存在の働きを助ける他者の存在の働きを認めよう。
そして、その働きと連携しよう。
その働きによって得た働きを分かち合おう。
それが、存在の働き。
その働きを働かせる力は自分の内にある。
