仕事は、頭の中にある、形のない物、目に見えない事を形ある物、目に見える物に置き換える事が手始め。
そして、皆に見えるような物で統一する。
だから、設計図や、計画書、見取り図のようなものを作成する。

皆の意識を一つの物に集中させる。
仕事は、共同で作業する事。

一つの画面を皆で見れるように工夫する。
視覚性と操作性がカギを握っている。

皆で見れて、動かせるようにする、それがコツなんだ。
仕事は、見る角度、立ち位置によって、同じことでも、解釈に差が出るからね。

学校と、職場の一番の違いは、一人でやるか、共同で一つの仕事をやるかの違い。
この点が決定的に違う。
お勉強は、同級生が、遊んでいようと怠けようと、関係ない。
自分の成績に影響がなければ、勝手にすればである。
いじめだって、相手とは無関係な事でされる。
仕事は、そうはいかない。
結果に対して連帯責任。
一人の不行跡、怠慢は、全体に累が及ぶ。
会社が、法を問われたり、潰れれば、全社員が責任を問われる。

一方で、寝食を忘れて自分の責務を果たそうとする者もいれば、何でもかんでも、適当いい加減、無責任な者もいる。
会社は、会社や仲間の事を思い、一生懸命働く者と、いい加減、適当な者とを同じに扱う訳にいかない。
ただ、ともすると責任感が強く、労を惜しまない者に仕事が集まり。負担が重くなる。
素直に、従う者、言われた事を、言われたようにしようとする者に傾く。
だから、人を使う事を覚えろと指導された。
一つ使う事を覚えないと人に使われるぞ。
自分が、人に使われるだけでなく。
正直者がが馬鹿を見るぞと。
素直に、言われたことを言われたようにする者が割を食う。
毅然と指示をしなければ、人は従わなくなる。

責任感の強い者は、言われなくとも、自発的にやるから、任せればいい。
いい加減、無責任な者は言ってもやらない。だから強制する必要がある。
無責任な者に、自主性、自発性なんて期待するだけ無駄である。
それに、仕事は結果が求められる。
一人の不注意、怠慢による事故だとしても個人の責任に帰すことは許されない。
結果は結果である。改心を待つことは許されない。

学校と、職場は違う。
職場では、負担をなるべく均等に負わせるために強制する。
そうしないと確実に不公平が生じる。
学校で強制するのと、職場で強制するのは、わけが違うのである。
仕事は、お勉強と違う。
結果に対し一蓮托生なのである。

学校では、強制が悪いと吹き込むが。
職場では、強制しなければ、不公平、不平等になる。
一生懸命、真面目に、正直な者が報われない会社は、衰退する。
やっても、やらなくても同じなら。誰も働かなくなる。
だから、会社は、実績を重んじ、命令する。
人を使えないマネジャーは、不公平を蔓延させる。
無責任である。
人を使う事を覚える。
職場では強制は正義であって悪ではない。

指示のできないリーダーは無責任である。