仕事というのは、即物的なのである。
実際的な行動や実物に置き換える事が鍵である。

口を動かす暇があったら、手を動かせと叱られたものだ。
閉じ籠っていないで、実際に、現場にいって見て来い。
事務所で会議ばかりしていても仕事にはならないよ。
客先で仕事をして来い。

とにかく、体を動かす事だよ。
頭ばかり使っても表現はできない。

昔は、手計算で帳簿を集計し、手書きで資料を作成した。
今は、機械が大部分をやるから、仕事の組み立てが見えてこない。
それを、ブッラクボックス化といって先輩たちは嫌がったものさ。

一度、外に出たら、連絡手段がなかったから、予め、やることすべてを洗い出しておく必要があった。
今は携帯があるから、わからなくなったら、携帯をかけて聞けばいいと、事前に何も考えなくなった。

やる事を、チームのメンバー全員に理解させないと仕事にはならない。

自分だけわかってどうするんだ。
難しい事を考えたって、自分以外の人間がわかっていなければ、仕事にはならないよ。
お前の仕事は、やる事を理解させる事だ。

一番、難しのは、自分の考えを理解させる事なんだから。
ああだこうだ言っても、実際のところ、できる事は限られているんだから。

どんな高邁な理念でも、分かり易く話そうとしたら、義理人情とか、日常的な話に例えないとわからないよ。
お経ではないんだからね。

腰を重くしたら駄目だよ。
お前の尻は、椅子に張り付いているのか。
尻にタコができるよ。

とにかく動け。拙速でいい。
遅けりゃ猫でもできる。

やりゃあ三分でできるだろう。
三分でできる事を一日仕事にするな。

時間を与えるな。
一時間で報告書を書けと言えば。一時間でできる報告書だけれだ。
三日時間を与えたら、三日かかる報告書にしなければならなくなるよ。

やると決めたことはやっておこうよ。
調べると決めたことは調べておく。
用意すると決めたことは用意しておく。
やる前から言い訳を考えるのは卑怯だよ。

予め用意しておく事は用意する。
事前にできることはやっておく。
料理を始めてからあれもない、これもやっていないということないよう。
やる事、用意することは、やる前に確認しておこう。

予算や、企画、調査、分析等の要件を定義するためには、即物的な事に置き換え設定する必要がある。
そうしないと、予算や企画、調査、分析などの作業を明らかにできない。
作業というのは、要約すると動作の集まりであり、目に見える事ではない。
一つひとつの作業、やる事を明らかにしながら、作業の見える化をする必要がある。
その為に、成果物を明らかにし、それを作成する作業に置き換えて、計画や企画、予算の作成作業を明らかにする。

白地の紙を用意する。
その上に、項目を置きながら、仕事の構想を練っていく。
まず、項目を選んで構成を考える。

項目というのは、これでなければと言うことはない。
ただ、いくつかの形、定型があり、用途や目的に応じて、自分が適していると言う者を選択する。

形は自分で学ぶ。
どちらかというとアートの世界である。

例えば、冒頭、始めににあたる項目である。

無論、はじめにという項目で総称してもいい。
ただ、これでは漠然としていると思うなら、具体的な項目にしてもいい。

例えば、主旨目的。
経過や動機を明らかにし、なぜ、どのような目的かを明らかにする。
問題設定をし、自分達は、何を問題とし、何に取り組むかを明らかにする。。
ストーリーや構想(序章)全体の、最終的なゴール、方針を明らかにし、考え方や思想を共有する。。
全体を俯瞰、要約を説明し(ガイダンス)、これからの工程や体制を予め伝える。

はじめには、基本的に主旨説明の部分である。
はじめにを設定する前に外枠の形を設定する。
それが、ヘッダーとフッターである。
ヘッダーは、前処理、フッターは、後処理を意味する事を原則とするが、ローカルな慣行に従う場合が多い。
システム化が進んでいる今日、システムが自動的に作成し、記録、保存している部分が多く、表面には顕在されない事が多い。
しかし、データ分析で重要な役割を果たすことがあるので、ヘッダーとフッターの読み方は覚えておく必要がある。

ヘッダーを構成する項目には、表題、日付、氏名、ナンバー等なる。
日付や氏名は、仕事の外枠、組織を意味する。
また、検印欄を設定する場合もある。
フッターは、必ずしも必要とされない。
ただ、本来は、社名や後処理を定義し、欧米の文章では重視されている。
検印欄を設定する形もある。

ヘッダーの日付には、作成日、提出日、起案日、承認日、受付日、決済日等がある。
氏名には、作成者、起案者、責任者、承認者、提案者、決済者、統括者等があり。
日付も氏名も単記とは限らない。
フッターの日付には、受付日、承認日、決済日、承認日、通知日、終了日(済)、発効日等がある。

提案書、アジェンダなどの構成は、ヘッターとフッターで上下、外枠を設定する。
ヘッターとフッターの間の本文の構成は、三つからなる。
上段の部分は、初回は、主旨目的、方針、コンセプトなどの概念。構想や、基準、ルール、制約条件、重点施策、政策などの基本的な考え方。
二回目からは、前回の確認と経過報告が主となる。

中段に、要件定義。
要件というのは、期日、場所、組織、日程、手順、手続きといった作業を組みやてるための要素、要点、つまり、材料・手段・アイテムだよね。

最下層に、次回の要件と担当者各々が、次回までにやっておく事、用意する物。
最下層の部分が、鍵とのなるのは、この部分が曖昧だと、仕事が着手できなくなり、始まらないからである。或いは、始まったとしても、各々の思惑や、独るが、一般に軽視しがちである。
この部分が、仕事との接続点、次の作業の着手点になる。
この部分を詰め切らないで、曖昧なままにすると、次断によることになり、全体の統制をとるのが難しくなる。
詰めは厳しくが原則。
誰が、いつまでに、何を、やるのか(用意する)のかを、詰め切っておく必要がある。

そしてこの部分をTO DOに結び付けていく。

提案書は、ワークシートの働きがあり、提案書を台に、作業の手順、人の役割分担、工程・日程、予算、場所、手段などをチームのメンバーで、自治演習、シュミレションをする。

実際の企画、実務の企画、予算や、計画などは、チーム、即ち、集団でおこなうことになる。
故に、一人で、企画するのとは、段取りが違ってくる。
第一に、企画の内容、進捗状況、役割分担、スケジュールを関係者全員が。一目瞭然に見えるようにしておく必要がある。
第二に、計画をみんなで操作できるようにする必要がある。

作業の場の設定が重要になる。
作業には、集団でやる作業と個別の作業がある。

例えば、企画書の書式を白板や模造紙の上で皆で、共同で作成していくと考えればいい。
要は、オンラインゲームのようなものと。

オンラインでも、場の設定が重要になる。
絵を描くのである。

チームワークというのは、集合してやる作業だけとは限らない。
例えば、偵察とか、現地調査とか、現地からの中継など、分散して同時並行的に行う作業もある。

また、会議の形式も一種類ではなく、目的に応じて設計する必要がある。
作業を伴う、或いは、ストーリーのある会議もあるのである。

企画仕事における要所、要点は、会議が担う場合語多いが、仕事上の会議は、世間一般で言う会議と違う。
一般でいう会議は、討論会や、議会、発表会的な事を言う場合が多い。
実務上の会議は、作業と作業を繋ぎ合わせる、関連づける、調節する、制御する、開始する、終了する、水準を合わせる。

福笑いの様に、提出書類の外枠、極端な場合、白紙状態でもいい。
最初から完成度の高いもの、完成したものを求めるから、手も出せない状態に陥る。
大体、完成形というのは結論であって、最終的の型である。
最初は、何もわからない、白紙の状態からスタートする。

だから、白地のベース(白板や模造紙)を用意し、そこに、項目を並べて、外枠から作っていく。できれば共同で。
なぜなら、書式設計は、仕事の設計思想を具現化、具体化した物だから。
書式の外枠を作る過程で、仕事の全体像の構想を描くのである。

次に、企画書のパーツを作る。
項目、作業、人のリストを作る。
それぞれを、ノミネートしてエントリーしリストにする。

項目は、必要と思われる要素をランダムに上げてリストを作り。
そのリストの中から必要と思われる項目を取り出して、枠組みを設計、デザインする。
最初から、ひな形の様なものを活用する手もあるが、それだと、考えが硬直化し、柔軟性が失われる。
また、書式は、設計者の思想が反映されるため知らずしらず、設計者の考えに囚われる危険性がある。
出来れば、書式の項目は自分の構想に依った方がいい。

次に作業リストの作成だけれだ、これは、ある程度の経験が求められる。
わからない内は、やらなければならない仕事、作業を、思いつくままに挙げるのが有効的である。

次に人のリストでで、これも、可能な限りノミネート(推薦など)して、エントリー(登録)したらいい。
最終的には、動員力が問われるから。

これらの準備が出来たら、白板上で、共同で作業を進める。

実務屋の応答は事実関係だけに絞る。
先ず、指示された事がやってあるか、ないか。
やってなければ、いつまでにできるか。
併せて、仕様(あらがき程度、下書き、清書、正式の書式にのった書類等)まで確認する。

会議の議題の仕様は。
目的は何か。何をしようとしているのか。何が言いたいのか。
担当は誰か。
持ち時間は、何分なのか。
どの様にするのか。(書面なのか、プレゼなのか)
どの様な構成にするのか。
具体的な仕様を基に詰めていく。

皆で分乗して、海に行くとする。
車には、各々、ハンドルがあって、ブレーキがついていて、エンジンもある。
なければ、分乗して、目的にはいけない。
一人が、自分の車のエンジンをかけたら、総ての車のエンジンがかかるわけではないし、ハンドルをきったら、他の車のハンドルが切れるわけではない。
そんな、車危なくて乗っていられない。
将来、車も完全自動化されて、目的地を伝えれば、決まった時間に自分を目的地に連れて行ってくれる時代になるかもしれないが、
それでも、なにをしにいくにか、目的地はどこかくらいは決めなければ。

組織も同じ。
支店にも、部門にも、プロジェクトチームにも、実行部隊にも、各々、事務方があり、サブや担当がいる。
兼務する事はできても、事務を一か所に置けばいいと言う若にいかない。
部門、支店、プロジェクトチーム、実行部隊、それぞれに、チームとしての役割がある。
また、支店、部門、実行部隊、プロジェクトチームの責任者には責任者の役割がある。
どこかに、企画を丸投げしたから、俺は、関係ないなんて責任者は、余程、無責任化、常識がないかのどちらかだ。
それぞれが、自分のチームのエンジンをかけて運転をしない限り、車は動かないし。
責任者は、目的地はどこで、いつ、どこで集合するのか。
それまでに自分は何をしなければならないのか、自分の任務はないかを打ち合わせしておかないと、使命、責任は果たせない。
どこにハンドルが当て、どうすれば、エンジンがかかって、ブレーキとアクセルはどこかは知らないと。
自分で運転しない限り組織は動かない。

教育というのは恐ろしもので、こんなことも教えないとならなくなってしまう。