指示・命令は、その場で確認し、記録する癖をつけよう。
簡単な事である。
でも、この簡単なことができない。
親父からは、併せて、相手の名前を聞いておけと。
これが、自分は今でもできない。
後で、ハッとして死んだ親父に怒られると反省するが、後の祭り。
後で言った、言わないともめる原因となる。
どっちに転んでも感情的しこりが残る。
だから、その場合は、無条件に、指示・命令を確認せず。
記録していない者が悪いことにされた。

何も言わずに記録を持って来いと言われ。
記録してなければ無条件にお前が悪いと叱られた。
言い訳、弁解は、一切、聞いてもらえない。お前が悪いの一言である。
逆に、記録が残っている場合は、記録に基づいって判定された。
兎に角、指示されたら、指示内容を確認し、記録をつける。
簡単な事。

その場で確認しないと、確認できなくなる。
記憶にズレが生じる。ボタンのかけ違いが起こる。
確認し。記録することで、指示命令を自分のものにする。
指示なんて一度聞いたくらいではわからないし。仕様に置き換えられない。
確認する過程で仕事にしていく。
その場で、確認しないと自分の独断が入るの妨げられない。
指示を、自分の都合にいいように、丸める癖がつく。
指示を出した人も、出したそばから考えは変わっていく。
方針がはっきり知っていないというのは、確認していない証拠。
方針がハッキリしていなければ、指示は出せない。

仕事が停滞したり。
段取りが組めなくなったり。
トラブルを起こした時。
速やかに、指示されたところまで戻る。
指示された時点の記録を確認する。
記録がなければ、組み立てようがない。
最初からやり直しである。

最初から抜け、漏れ、重複なく総てを指示できる人は少ない。

大体、人の考えは一定しておらず、絶え間なく、変わるのである。
特に、指示した者は、指示した内容を忘れる。
指示した直後から変わる。
アウトプットしたら、アウトプットをしたものに対して批判的なる。
違う人と話したら変わる。
だから、他人は当てにできない。証人になってくれるとは限らない。
聞く者も立場が違えば、解釈の仕方も変わってくる。
言っても仕方がない。自分の解釈でしかない。
違うと言われたら否定のしようもないし。
否定しても水掛け論になるだけだ。
せめて、記録があれば、冷静に対処できる。
記録がなければ、言っている事とやている事が違えば、嘘にされる。
記憶に頼る者が悪い。
記憶なんて、薄れるし。忘れるし。変わるし。
人の都合、自分の都合で何とでもなる。
自分では嘘をついていないつもりでも、嘘になる。
だから、待ったなし、無条件で記録を残す。
記録がなければ、認めるしかない。

指示した者は、指示したことの真意を理解してない場合がある。
指示した者は、指示内容に矛盾があっても気が付かない事がある。
指示が成立するための要件をいたしてるとは限らない。
特に、期日や予算が不明であることが多い。
指示された時に、確認をし、必要要件を満たす。
仕事の原点である。
指示を確認する過程で指示の不備や矛盾に気が付かせることができる。
直接、間違いを指摘すると、感情的になり、意地を張られると余計厄介なことになる。
指示した者は、全ての事情や詳細、指示された側の都合を、理解しているわけではないが。
自分が、すべてを把握できていないという自覚もない。
それを指摘しても感情的になるだけだ。だから確認を怠らない。

指示された時点で確認し、一度、ロック、確定した上で、修正をかけていくようにする。
だから、履歴が大切なんだ。

皆は、百歩先の事をいきなりしようとするからできない。
いきなり百歩先のことを悩むから、最初の一歩が踏み出せないでいる。
最初は、何事も一歩一歩。
千里の道も一歩からというではないか。

基本なんて注意するのも憚る様な事なのである。
確認した。記録したなんて、聞かれる方はウッザたいし、聞く方も嫌だ。
でも、ミスをたどると最初の確認を怠った事に至る場合が多い。

ビジネス上の指示は、学校や軍隊の指示・命令の様に一方的ではない。
双方向に、一つひとつ、指示した者、指示された者、双方の都合を確認しながら要件を決めていく。
故に、手順と筋、段取りが大切なのである。

仕事は、学校のお勉強とちがう。
期日までに、クライアントの要望通りの製品を仕上げて、クライアントの最終的な検品を受けなければならない。
一つの部品でも期日に間に合わなければ、全てがご破算になる。
何らかの、事情で、作業が間に合わなくなりそうになったら、速やかに、総括に報告する事が求められる。
蓋を開けたらできませんでしたは許されない。
全員の連帯責任、結果責任なるのである。
仕事は確実に期日までに終わらせる。

それが、個人的な理由。
できなのにできると言い張ったり。根拠もないのに引き受けたり。
途中で投げ出したりすることは、許されない。

学校では、試験の結果は、個人の責任に帰すが。
仕事は、仕事にかかわった全員の責任となるのである。
だから、恥ずかしいとか、馬鹿にされたくないなんて個人的理由で、意地を張る事は許されない。
しかも、仕事は自己申告である。
自分で、自分にできるかどうかを判断して申告することが求められる。

最初に、仕事を確認しないと、爾後、確認のしようがなくなり、仕事を抱え込む原因となる。
結果、当てにしていた仕事ができてないという事になりかねない。
指示、命令が出された時は、速やかに、指示・命令の確認をし、記録にとる。
これが、仕事の原点である。
仕事は、確認始まり、報告で終わる。