出し手がいれば、受け手がいる。
これが、大原則。
ボールを投げる者がいれば、ボールを捕球する者がいる。
お金を出す者がいれば、お金を受ける者がいる。
話す者がいれば、聞く者がいる。
攻める者がいれば守る者がいる。

出し手と受け手があって、世の中の事柄は成り立っている。
そして、それを、判定する者がいて、正式なものになる。
野球では、審判がいて、試合は、正式なものになる。
取引は、政府があって、正式なものになる。

組織やシステムを動かす原理は極めてシンプル(単純)で。
入力と出力。つまり、情報を通す事。
入力と出力、これが、フローを形成する。
そして、オンとオフ、静態(ストック)を形成する。
スイッチを入れる(オン)、切る(オフ)。
入力と出力、オンとオフ。1か0。
故に、二進法が基本となる。

よく拍手をする時、片一方の手だけで音が出るのではなく。
両手を合わせるから音が出ると説く人いるけど。
組織も同じ。
出し手と受け手があって成り立っている。

仕事には、裏と表がる。
出して、受けて。
受けて、出して。
出し手、受け手。受け手、出し手。
イン・アウト。
アウト・イン。
入金、出金。出金、入金。
出荷、納品。納品、出荷。
裏表。表裏。
この様に仕事は転回しながら進んでいく。
一方が、裏表、表裏なら、相手は、表裏、裏表。
この様に、時系列的にも、その時々の関係でも、対称的に進んでいく。

このような対象関係を鏡像関係といい。
作用反作用の関係にあると言うが、これは、認識の形から派生する。

つまり、世の中の出来事は、出してと受けて、立会人の三者がいて正式なものとして社会に受け入れられる。
この関係から、複式簿記は成り立っている。
全てのスポーツも成り立っている。

ゴルフは、一人でもできるように思えるけれど、相手がいなければ、試合は成り立たないし、スコアを判定する者がいなく手は、正式な試合は成立しない。
この事を、頭に入れておいてほしい。

つまり、正式な仕事はすべて、この三者がいないと成立しない。
この三者の形を作る事から仕事は始まる。

収入の裏には支出があり。
逆に、支出の裏には、収入がある。
指示者がいれば、受令者がいる。
売り手がいれば、買い手がいる。

これが、一人では何もできないという意味で。
正式な組織は、必ず、三人が必要となる。

市場取引は、必ずしも立会人がいなければ成り立たないというわけではない。
ただし、その場合は、記録をとり、あとで、証明できるようにしておかないと、正式な取引とは認められない。

だから、発信者と受信者、判定者の関係を明確にわかる形を作る必要がある。
世の中は、仕事を開始しましたと、自分一人で念じても、正式な仕事とは、認知しない。
この事を理解していないと、人間は、社会で生きていくことはできない。
だから、かつての親は子供にまずこの関係を躾けてきた。
それが、挨拶であり、礼儀作法。

正式に、仕事を始める時は、中心者と担当を決め、その中心者から、担当は正式に指示を出してそれを記録する。
つまり、責任者と担当者、事務方の関係を、指示、受令、記録の三者の形を作り、それを皆に見せる事によってはじめて正式な事として認められる。
会議は、議長と発言者、記録が揃っていて正式なものとみなされる。
正式、非公式の差は、この関係が明確かどうかによって判定される。

更に言うと、この関係を明確にしたものが規則、法である。

一例をあげると、何等かの担当を指名された者は、先ず、トップの話を聞く。
その聞いて内容を、記録係に記録させ、正式な機関(総務でも上司でもいい)に報告して正式に仕事ととして組織に認知させる。そうしないと組織は起動、指導しない。
組織も自動車と同じ、仕組みで、カギを回さないと始動しない。

中心軸が通ったら、次に横軸を通す。
この際、コアとなる部分を、ミーティングなどを通じて作る。
仕事の目的、要件に基づいてコアとなるメンバーを構築していく。
これが組織デザインの基本的な手順。

教育を例にとると、先ず、トップの話を担当責任者と担当が話を聞く。
次に、担当がそれを書類にして、上申する。
何故、担当に書類を作らせ、上申する形をとるのか。
それは、最終的にトップが決めるからだ。
この際誰を起案者にするかが、一つの課題。
その書類を担当、責任者、トップと上申する事で中心軸を通すのだけど、その際、ラインをかませるかどうか。
ラインをかませた方が、ラインの組織を使う際、融通がきくが。その分経路が長くなるので、若干、起動力がそがれる。
何階層にするかだよね。この辺はセンスの問題だね。

中心線がとれたら関係者を集めてコアとなる部分を構築しながら、横展開をはkる。
その際、基準を設定して対象となる範囲の大枠を設定する。

この様に、手順にそって基準を設定し、段階的に対称を絞り込んでいく。
慌てず急げとよく言われたよ。

仕組みは、形であって、組織では、言葉は、道具に過ぎない。
例えば、「はじめ。」「止め」「セーフ」「アウト」「ストライク」「ボール」という言葉は、組織を動かすための道具で、人と人が会話する時と言葉とは、働きや性格が違う。
この点を理解しないと、組織は動かせない。
組織は、行為や物、文書、記録と言った外に表れた信号にして現わさないと、認知しない。
組織は、形によって動いている。

だから、儀式が、組織では、要となる。

儀式は儀式で、儀式によって、今、自分たちは、どこにいて、各々は、今、何をすべきかを悟らせる。
それが儀式。
「今、出発点にいて、今は何もわからないけど、さあ始めよう」(スタート)
「今、方針が明らかになった、これから皆はこの方針に従って仕事をするよう。」(方針の徹底)
「これから、試合が始まる、それぞれ、守備位置につけ。」(試合開始)
「今、試合が終わった。ただ、仕事が終わったわけではないよ。まだ後始末があるからな。」(試合終了)
「さあ、総ての結果が出た。最後は、これを記録し、保管しよう。」(終了)

これを、それぞれの時に、全員に周知し、統制のとれた、団結した組織的な行動をさせるのが儀式。
だから、儀式は象徴であって、やる事や形式に意味がある。

儀式に意味はない。儀式にあるのは、働きだけだ。

審判は、言葉だけでなく、全身で判定を表し、伝える。
「プレーボール」という宣言、手を上げて、選手、観客に見えるようにして伝える。
つまり、判定し伝える事に意味がる。
宣言し、動作に現わす事で伝える。

伝えるのは、開始である。
仕事も宣言に始まり。宣言で終わる。
戦争も宣言がなければ始まらないし、宣言がなければ終わらない。
だから、リーダーの役割は重要なのである。

仕事も宣言で始まり、宣言で終わる。
その宣言が指示の場合がある。その場合は、指示が関係者全員に伝わらなければ組織的な仕事、公的な仕事にはならない。
私的な仕事なのである。公的か、どうかは、仕事の内容ではなく、公になっているかどうかが問題なので。
よく、俺は、みんなの為、世のために働いた後ろめたい事はないと言っても、公にしていなければ、私的な仕事とみなされる。
だから、記録の有無が問われるのである。

仕事の開始は、宣言であって、結果を意味しているわけではない。
最初に、主旨や方針が示された、話されたと言っても、全員がそれを理解したという事を意味してるのではない。
主旨や方針が示された、説明されたというだけで、全員が理解している事を意味しているわけではない。
主旨や方針は、一回や、二回聞いただけで理解できるものではない。
実際に仕事していく中で理解し、自分たちの物にしていくのである。
だから、主旨や方針を一回話しただけで理解した、されたとするのは間違いで、仕事中は絶えず読み返し、見直し、自分たちの行動が方針に反していないかを検証し続ける事が求められる。
そのために、最初に、皆に提示するのである。
方針が示された後に、わかりましたというのは、大概間違いで、言葉で理解できたというのがせいぜいである。
だから、わかりましたなんて言うと、「何がわかったんだ。いてみろ」と叱られた。

要は、始まりに過ぎない。これから、仕事を通じて方針を理解し、実現していくに言ったに過ぎない。

言わなければ始まらないから言うので。
聞かなければ始まらないか聞くので。
わかってから始めるのでは遅いし、聞かなければ、わからない。
裏返っていえば、言わなければわからない。
わかってから始めようというのは、聞かなくてもわかる。言わなくてもわかると言ってるよなもの。
お前は超能力者かというの。
同じように、結果が出てなければ始められないというのは、試験の結果が出たら勉強を始める。
試験の結果が出なければ、勉強は始められないと言ってるようなもので。
やらなければ結果は出ないと言ってるのに、結果が出なければ何も始められないというのでは、永遠に結果は出ないと言ってるの。
始めますと宣言をしている時に、結果が、うんぬんというのは野暮だよ。
やってみなければ結果は出ないんだから。
最初から、結果がどうのこうのというのは、やる気がないと言われても仕方がないの。

一度聞いて理解しろなんて言ってない。
聞かないと始まらないから、聞けと言ってるんだ。
話を聞いたら、後、どうするかは、話を聞いてから考えろ。

受け手は、自分の意見を言うにしても、相手の話をまず聞かなければ。
出し手は、相手の考えを聞く前に、自分の考えを言わなければ。
賛成も、反対もない。
この順番を間違わないように。
よく、受け手の中には、相手の話を聞かないで、自分の考えを聞いてくれないというものがいるし。
逆に、自分の考えを言う前に、相手の意見を聞こうとする人がいる。

言わなければ、始まらないから言うので。
そのときに理解できるかどうかは二の次。
聞かなければ始まらないから聞くので。
聞いてもわからないというのは結果に過ぎない。
聞かなければ判りもないし、聞かない限り理解できない。
一回聞いて判らないとしても、聞かなければ始まらない。
だから、わからなければ何回でも聞け。
わかるまで聞け。納得するまで聞けと言われたけど。
どうせ、聞いたってわからないんだから聞く必要ないよというのは馬鹿にしている。
だから、我慢、我慢。
忍耐、我慢と教えられたので。

わかろうと、わかるまいと、聞かなければ始まらないの。
理解できなかったとして、どうするかが、問題なので。
理解できないから、やらないというのは言い訳に過ぎない。
それはどうせ試験を受けてもうからないから、勉強しないというようなもの。

結婚式は、これから夫婦になりますと宣言したに過ぎないので、幸せになれるかどうかは、結婚式の後の話である。

言葉に出しなさいとか、記録をとりなさいというのは、約束だからとか、決まりだとか、作法だからというのではなくて、そうしないと組織は、正常に動かないからで。
精神論ではない。
言葉に出さないと、行動にしないと、組織はわからない、ある意味で馬鹿なので。
トップの話を聞き、記録をとるというのは、「聞く」「記録をとる」という事に意味があるので、その場で、すべて理解できなくても、また結論がでなくてもいいのである。
最初は、何もわからない。理解できないのは当然で、それはそれで、了解していなければならない。
要は、プロセスであり、道筋で、今、自分たちは、どこに、どの段階にいるかを理解することが鍵なのである。
最初は漠然としているのであるから、組織は、最初は、人に合わせる事で統制をとる。
トップが話をし、それを、担当責任者が聞き、事務方が記録をとる。

プーチンが、ウクライナ侵攻する前夜、責任者を、集め。それぞれに、発言をさせ、それをもって決定した。それをみんなの前でしたという事が意味がある事で、そうしないと、戦争は始められない。
だから、戦線布告をするのである。

それに対し、ゼレンスキーは幹部を引き連れ、全国民の国民の前、自分たちに正統性を主張する。
一人で、ぶつぶつ言っても意味がないのを知っているからだ。

情報が通ったところに筋ができ、その筋に沿って指示命令系統が構築される。
権限は行使しないと発効しないという原則がある。
故に、権限を与えられたら速やかに簡単な指示を出して筋を通せと指導された。

どのような経路を使って、どのような手段で、どのような要件(パッケージ)の情報を流すかによって、組織は形成される。
まず、中心線を決めて、そこに、指示命令によって筋を通す。
基本はボドムアップ、トップダウンで、トップダウンを先行させると、情報が還流しなくなる危険性がある。

要するに筋を通せばいいので、既存の組織の形にとらわれることはない。

中心軸が通ったら、次に横軸を通す。
この際、コアとなる部分を、ミーティングなどを通じて作る。
仕事の目的、要件に基づいてコアとなるメンバーを構築していく。
これが組織デザインの基本的な手順。

教育を例にとると、先ず、社長の話を単と責任者と事務方が話を聞く。
次に、担当がそれを書類にして、上申する。
この際誰を起案者にするかが、一つの課題。
その書類を担当、責任者、トップと上申する事で中心軸を通すのだけど、その際、ラインをかませるかどうか。ラインをかませた方が、ラインの組織を使う際、融通がきくが。その分経路が長くなるので、若干、起動力がそがれる。
命令系統を、なん階層にするかだよね。この辺はセンスの問題だね。

中心線がとれたら関係者を集めてコアとなる部分を構築しながら、横展開をはかる。
その際、基準を設定して対象となる範囲の大枠を設定する。

この様に、手順にそって基準を設定し、段階的に対称を絞り込んでいく。
慌てず急げとよく言われたよ。

例えば、担当は、どこに所属するか、また、担当の経歴が何を意味するか。担当の人間関係はどうか。
そして、誰をマネジャーにするか。

責任者、担当という関係は、マネージャーとプレーヤーの関係に置き換えて考えればいい。

さらに、現場とフロントの関係に置き換える。
日本的な長制度、上下関係にしてしまうと組織の本来の働きが見えなくなって、権威主義的な組織にならざるを得なくなる。

欧米にヒエラルキーがないとは言えないが、基本は機能重視だよね。
ステータスより、機能。
だから、二十代のマネージャーが、四十代のベテラン選手に指図しても、何の違和感もない。

ポジションは役割に上下関係はなく
働きをどう評価するか。

野球ならポジションと働きと実績。

ゲームはボール一つで統一性を保つ。

仕事をする時は、今、自分がどこに位置しているか、どの段階にいるかを常に確認する必要がある。

同じ事でも、段階によって違ってくる。役割によっても違う。
だから、自分の役割はないか、自分がどの段階にいるかを確認しないと、正しい意味は理解できない。

例えば、計画段階、準備段階、実施段階、後片付け段階では、自ずと仕事の仕様も役割の意味も違ってくる。
計画段階の組織と準備段階の組織と実施段階の組織、後処理段階の組織は明らかに違う。
だから、段階の応じて考え方のモード、組織のモード、基準のモードを切り替えていかなければならない。
そう言ったモードの変換を担っているのが、会議や儀式と言ったイベント。

同じ事を決めると言っても、意味は、段階によって違ってくる。役割によっても違う。
最初と最後では違ったことになる。
例えば、始まりの段階では、決めると言っても方針や計画で、
最終段階では詳細を詰める。
場所を担当する者は、場所を選ぶための方針や考え方を最初は決める。
最終段階では、会場の準備やセッティングの詳細を詰める。
担当は、実際の場所をどうするか担当し、マネージャーは、他の部署との調整を担う。

メンバーを選ぶにしてもいきなり、メンバーを上げるのではなく。
先ず、主旨や目的を確認し、方針を立て、それから、基準を設定し、その基準に基づいって、候補者をリストアップしというように段階的に対象を絞り込んでいく。
基準というのは、フィルターだよね。例えば、年齢とか。社歴とか。
一旦、年齢や、社歴でフィルターをかけ、それで、リストアアップをして、それを、主催者に見せって、主催者の意志を確認しと言った手順に進めていく。
基準というのはフィルターをかけることで対象を絞り込むために用いる。例えば、年齢というフィルター。

場所で言えばい、目的を確認し、基準を設定する。
例えば、遊びでいくなら、海がいいか、山がいいかとか。あるいは、予算はどれくらいかとか。
段階的に絞っていくが、大体、期限や打ち合わせの回数がどれくらいとれるかで、階層や段階をある程度想定しておく。
後は、日程とか、メンバーの希望などを組み込みながら計画の骨格を組み立っていく。

基本は、手順に沿ってたれば行けばいいんだけど。
特定の要因、例えば、場所とか、日程とか、予算とか、メンバー等の特定の制約が強い時は、優先順位を決めて、作業を組み替える。

日本人は、すべての会議を討論会、話し合いの場と錯覚している。
執行機関のイベントは、情報伝達の中継、接合、結合点であり、組織決定、意思統一、情報伝達の場であり、討論会、話し合いの場ではない。
討論や話し合いの場としての会議は、立法機関や、司法機関において見られるが、その場合でも意思決定を前提とし、厳格なルールに基づいて行われる。

つまり、会議は決定機関の一種で決めるための仕組みであるから、決められるように仕組んでなければならない。

会して議せず。
議して決せず。
決して行わずであってはならない。

会議体は単体では成り立たない。
情報の経路のどこに位置するかによって性格は決まる。

仕事は作業の塊たという事。
一つひとつの作業には、はばがあり。
人物金、五W一Hの要素から成り立っている。

作業には、始まりと終わり。
前後、順番があり。
それを、役割に沿って組み立てていく。

要するに、イベントは、結合点である。

組織は、分岐点と集合点があり。分岐点と集合点には、何らかのイベントが必要となる。
組織的な決定というのは、イベントに対して、決定ポイントがあって。

会議や総会などのイベントに対して、決定する仕方には、インとオンとアウトがある。
インとは、事前。オンとは、その場。アウトとは、一任をとりつけて事後。

先に決められることは決めて、問題点を絞り、その場で決められることは、その場で決める。
その場で決められないことは一任を取り付けるか、次回以降に先送りする。

会議の議題には目的(決定、報告、検討、教育等)がある。
目的に応じて提案者、用意する物、やっておく事が定まる。

計画や予算が完成すると、それを計画や予算に関わっていない人に詳細を伝えるのが難しくなる。
目標を達成してない。
円高が進んだ。
売上高が下がった。

それがどうしたの。(それを、あまたは、どう思うの)
この点を確認しないとね。
いいと思うのか。よくないと思うのか。
ここが肝心で、わかっているでしょとか。当然みたいな、暗黙の了解を前提とするのは、間違いだ。
まず自分の見解を述べた上で、その理由を明らかにする。

例えば、売上が下がたことどう思う。
必ずしも、悪いと決めつけられない。
原料費が下がった事が原因で単価が下がっただけで数量は伸びていると言う場合もあるし。
理由(根拠)を明らかにする。

その上でどうしようとしているのか。
例えば、価格を見直すとか。数量を伸ばすとか。

そして、誰に何をしてほしいか。

こういう風に、三段階、三ステップで、結論を導き出す。
どのステップ、どの段階に、問題、異論があるか。
問題点を洗い出す。

途中のプロセスに違いがあると、当然、結論にも影響する。
同じ、結論でやる事に違いが出る場合がある。

仕事は、作業の塊で、チョットした事でも、百や二百に、簡単になる。
動作レベルになると一つの作業だけで千単位に膨れ上がる。
それでは
読み切れないので通常は、三十分単位で刻む。
それでも、一日八時間、一年、二百日とすると百人の会社では、二百掛ける百掛ける十六。
三十六万。軽くみて。
それを、漏れなく、抜けなく、重複なく、全て洗い出して、なおかつ、百人に振り分けなければならない。

一人では無理なのは歴然としている。

だから分担して、作業の読み込みを行う。
これも作業だからね。

漏れなく、抜けなく、重複なく、全ての作業を読み切れますかと聞かれたら。
読むよとしか言えないね。
なぜなら、仕事というの厳格で、論理的にできているから、一つのパーツでも抜けたり、漏れたり、重複いたり、順番を間違うとと全体に影響が及びべ冷気がかかるからね。
だから、毎日、毎日、マネージャーはその日の予定と実際を比較して作業の組み換えをし続ける必要がある。
これが大変で、それで、一連の作業を体系化しておくんだけど、形骸化すると、作業の組み換えができる日違いなくなる。
後は、誤魔化すか、言い訳するか、手を抜く事しか考えなくなり。考えられなくなり。
それを仕事だと思い込む人が出てくる。

そうなりと人は育たなくなるし、精神に異常をきたすよね。

本当に、読まなければならない作業は、信じ切れないくらいあるから、素直になって、できるところから学べといってるんだけど。
知ったかぶりしたり、虚勢を張ったり、自己流を押し通そうとしたり、我を通そうとしたり。
そんな、我流、我儘を推しとせるほど、仕事というのは生易しものではないの。

自分が、今どこにいるのかがわからなくなると、相手が何を言ってるかすぐにわからなくなるからね。

今、入り口にいるのか、出口にいるのか。
始まりなのか、終わりなのか。

開演時間と終焉時間を間違えたら、舞台は見れない。

方針を決める時なの。場なの。
それとも、詳細を詰める時なの、場なの。

方針を決める時や場で、詳細の話をされたら、方針が決まらなくなるからね。
詳細を詰める時に方針を変えられたら、すべてやり直しになるからね。
なんの話で、何を目的とし、なにを決めようと言うの。

詳細といっても何の詳細。
準備の詳細を詰めているの。
次回の打ち合わせをどうするかの主催を詰めているの。
次回の詳細を詰めている時に、準備の詳細の話をされても困るからね。

今、何の話をしているの。

相手が入り口に対して質問している時に、出口の事を説明しても、質問に答えた事にならない。
方針ついて聞いているのに、結果を問題にしても、答えにはならない。
相手が場所の話をしても、時間の話をしても、話はかみ合わない。
メンバーを選ぶ基準の話をしてる時に、メンバーを誰にするかを話しても決まらない。
教育の方針について検討している時に、教育の手段について詰めようとしても、詰められない。
場所を決めてから、目的を決めるのは順序が逆である。
意見をトップに聞いて、目的を担当が決めるのは、立場が転倒している。

場所一つとっても集合場所と、解散場所を間違えたら大変。
時間も、集合時間と、解散時間を間違えないよう。
場所や時間といっても一つではないから。
打ち合わせも一つではなく。
一つひとつの打ち合わせの目的も、時間も、場所も、メンバーも、責任者も違う。
それを一つひとつ確認しないと、自分の役割責任、自分が、何をいつまでに、やっておかなければならないのか、用意しなければならないのか、つまり作業が読めない。
やるべき事をやってこなければ、その影響責任は全体に及ぶ。
謝れば済むと言うわけにはいかない。
チームとして結果を出さなければならないから、結果に対しては連帯責任になる。
会社が潰れれば社員全員、責任を取らされる。
国が敗れれば、国民全員が責任を負わされる、だから、必死に戦っているの。

作業が三十二万として判定すべき事はそれだけで済まないからね。
作業ごとに、人、物、金の要素と、五W一Hの要件を持つ。
いつは、一つではなく、少なくとも、始点と終点の二つあり。
ああだこうだ、理屈をこねている時間や暇なんて与えてくれない。
野球の投手は、完投すれば、一試合、百二、三十球、投げる。両チーム入れれば、二百五十球以上の作業をしている。
その一球いっきゅう、決断し投げているので、一球たりともいい加減に投げたりはしないし、内野手も外野手も手を抜いたりはしない。
仕事とはそういうもの。
だから舐めてかからない。