経営は、結局、人事だ。
いかに、人を生かすか、それが、経営の肝である。
人には魂がある。
要は、仕事に、その人の魂を吹き込めるかである。

魂を吹きこむと言っても、自分で、やるべき事はやらせなければ、決めるべきことは決めさせないと、魂を吹き込むことはできない。
人は、生きているのである。
生きる事が出来なくなったら、魂は吹き込めない。

「お金」の為ではないと言っても「お金」がなければ、生活ができない。
見すぼらかったら、精神も保てない。

「お金」ではないというけれど、結局はお金。
たかが「お金」されど「お金」。
この点を、上に立つ者は、忘れてはならない。
それこそ上に立つ者の心構え。
努力に報いるのは、上に立つ者の役割、仕事だからである。

人の上に立つ者は、第一に人を生かす事を考えなければならない。

悪い事に、魂を抜いてゾンビ化して自分の言いなりにしようとする経営者や管理者がいる。
それは、組織も、人も殺すことである。

人をゾンビ化するには、頭をつぶす事である。
つまり、自分で考えたり、判断できないようにする。

出だしの形を教えない。
というより、出だしができないようにすれば、その者は、出だしができる者の言うなりになる。
それがゾンビ化である。
つまり、魂が抜かれて、言いなりになるのである。

出だしは国で言えば、憲法である。
憲法を自分たちの力で決められないようにしておけば、その国は、ゾンビ化、すなわち、植民地化できる。

初手から詰形なんて考えたら、最初の一手なんかさせやしない。それは、考えすぎなんだよ。
定石は教えられても、打ち手は教えられない。

最初から、難しい事は考えないで、最初、最小限のルールを覚えて、やってみる事さ。
やっているうちに、おいおい、わかってくるよ。
最初から、完璧も求めず。はじめは、とにかくやり抜くこと。
うまくできないのはしょうがないけど、最後までやりぬこと。
途中で投げ出したら、後が続かない。次がなくなる。

とりあえず定石を覚える事さ。
どんな仕事にも、定石があってね。
その定石を覚えてない事には、始まらない。
定石を教えないという事は、ゾンビ化するという事。
仕事は、通しで覚えさす。
形で教える。
序盤には、序盤の形があり。中盤には中盤の形があり。終盤には終盤の形がある。
一通り、定石、形を覚えたら、自分の形を追求すればいい。
最初は、何もわかっていないんだから、頭を使うな、考え込むな。
手に考えさせろ、足に考えさせろ、口に考えさせろ、目に言わせろとも。
つまり、書け、行け、話せ、聞け。
一人で考えていてもいい考えは浮かばないよと。
こういうこと教えないで、いきなり答えを求めるから、答えに窮する。
その癖、最初に自分の意見を言ったり、不備な点を突くと急に怒り出し。
相手の人格まで否定するような事をする。
そんなことしたら、出だしを恐れるようになる。
臆病になる。
無気力。無関心。無責任。無感動になる。
それがゾンビ化である。

最初から、できない事をやらせて、挫折させる。
違うよとか。自分で考えろとか。
頭から抑え込もうとすれば、何もわからない者は、混乱する。
混乱に乗じて自分の考えを刷り込む。
洗脳のテクニック。
それも無意識にやられるからたちが悪い。
頭から否定されたら何が何だかわからなくなる。
同じことを言われても、どっか違うのだろうと、相手に従うようになる。
でも自分の考えが持てなくなるから、自分の意志が持てない。
かくして、魂が抜かれるのである。

よくない指導である。