仕事は、プロセスが重要なので、その時点じてんに囚われていたら、すぐに、自分のいる位置を見失ってしまう。
長い道程で、自分のいる位置がわからなくなるとすぐに遭難する。
仕事は、時点時点でやることが変わる。
やる事時点が変わるすぐに変わる
また、状況、条件が変わってもやる事は変わる
急に、雨が降り始めたら、試合を中断する決断が求められる。
では誰が決めて、誰が伝えるのか。

集合場所でする事、出発駅ですること、中継地点ですること、宿についた時、する事、みんな違うし、その時点その時点で判断しなければならない。
しかも、リーダー、ガイド、スタッフ、運転手、宿のスタッフ、みんなやる事が違う
その時点その時点でやる事をすべて読みだして予定する事は、不可能だし、経済的でもない。
だから、プロセスを読み状況を予測し役割を分担し、それぞれが、その時その場で、自分の判断で動けるように仕込んでおくことが求められる。
それが組織であり、仕事。
組織は学習する。

大切なのは、その時その時にやるべきことをやる
簡単に言うが、瞬間しゅんかん判断すべきことが変わり続けているから難しい。
時は止まる事を知らない。
今、正しい、判断も、次の瞬間、間違ったことになる事もある。

晴れていたと思ったら急に雨が降り出すことは茶飯事、さあどうする。
考えてる暇はない。

やる事は、が変われば違ってくる。場所が変われば違ってくる。が変われば変わる。条件が変われば、変わるし、環境、状況が違っても変わる。予算が変わても違ってくる。予定が狂えば、違ってくる。
最初に決めたとおりにいくという事は、まずない。
思い通りにいかないから、道筋が大切なんだ。

高所大局に立って決断することが求められる。
兆しをとらえ、先を見通し、将来を予測する。
常に、ゴールを見失わないで、進むべき方向を間違わない
時には目的地の反対方向に向かう事もある。
川の逃れは海に向かって流れるとは限らない。
常に道筋を忘れない

道に迷わないように、目的、目標、方針を定め。
地図や案内、羅針盤、磁石を用意する。

方針を変えられるのは、指導者だけ。
方針は、方針。
方針を正しく理解しろ。

方針を方針とせず、勝手に変える者がいる。

天の時、地の利、人の和。天地人

使いっ走り、奴働きというのは、その時点その時点に決まられた後の仕事を指図通りやる事で。
使いっ走りばかりやらされていると、大局が見られなくなり、正しい判断を下すことができなくなるよと注意された。
木を見て森を見ない。そんな仕事はするなと。

使いっ走りは、言われたことはできるけれど、状況が変われば、何をしていいのか、その瞬間にわからなく。
生き抜くためには、状況の変化に合わせて行動を変えられないと。

だから、工程を読むことが大切なので、変化に合わせって、一人一人がどう判断し、どう行動するか鍵を握っている。

最初は、何もわかっていないし、結果も出ていない
焦らずでもいいが、急ぐ
簡単な仕事だって、大抵、三か月の工程がある事を覚悟する。
三か月、最終的な結果が出ない中、チームをゴールに導ていくのがガイド、指導者の任務。
だから指導者は、その時その時の結果ではなく、道筋を読め

仕事は、作業を並べることで成り立っている。
作業は期間がある。
期間とは、始まりと終わりがある。
つまり基本的に、点ではなく線である。
故に、仕事を点でとらえていたら、組み立てらない。

計画は作業を読む。
結果は、作業をすることで明らかになるので、何もしないのに結果は出ない。
なのに、多くの人は結果ばかりを追っかける。
それで、計画が立てられない。
計画は作業を読むので、結果を読むのではない

だから、始まりは空。何も結果は出ていない。
作業は期間だから、時間が欲しい。

だから、方針なのだ。
方針も決められなければ、顔合わせ。
顔合わせとは、自己紹介。
自己紹介
仕事は自己紹介から始まる。

顔見知りでも、顔合わせでは自己紹介から入る。
なぜ、自己紹介、方針から入るのかそれは時間が欲しいからである。

正式な仕事と、非公式な仕事を使いわけられないと、実際の仕事はできない。
正式な仕事でないと、人、物、時間、情報といった公の資源を使う事は許されない。
なぜなら非公式な仕事では、公式にこれらの資源を管理できないからである。
反面、正式な仕事ばかりだと融通が利かなくなり仕事と仕事の隙間が埋まらなくなる
例えば、メーカーでも、正式に認められた研究開発でない事は、いくら有益と言っても、私的研究開発とみなされ、就業時間内での研究開発は許されないし、人や資源、設備を使用する事は原則禁じられている。
実際に多くの商品開発は就業時間外でされたときている。
正式に決められた研究開発だけでは革新的な研究はできない。
非公式な研究があったからこそ、あれだけ多くの革新的な商品が開発された。
新規事業の企画と言っても、正式に、認められていなければ、それは、私的な行為とみなされ、他部門の協力は得られない。
最近の人はこの辺のけじめがつけられず、本来、正式な仕事であるはずの仕事が、非公式、私的な仕事になっている場合が多く認められる。
逆に、正式に決められた仕事しかできなくなってしまった。

なぜ、方針を決めるのか。あるいは、方針から始めるのか。
方針は、目的さえ明らかなら、とりあえず決められるからである。

勘違いしている人は、企画書を作ってから、仕事に着手しようとする。
それでは一仕事してしまう事になる。
企画書を作ること自体が仕事で、状況によっては、企画書の作成が仕事の目的だったりする。
そうなると、着手した時点では、仕事が終わっていることになる。
仕事が終わってから、仕事に着手するという終わってから始めるという後先が逆転してしまう。
だから、仕事は、開始宣言から始まるが、それでは取っ掛かりがつかめないので、顔合わせなり方針を決めるのである。
開始時点に何らかの仕事をしてしまうとそれが制約条件になったり、状況によっては瑕疵になり、後々厄介なことになる。また最初からつまずくことになりかねない。
だから、顔合わせ、自己紹介から始めるのが筋なのである。

方針さえも決められなければ、顔合わせだけでも、正式に、仕事を始めろよと注意されたし、注意もした。
ただ、この意味が、最近の若い人には通じない。
若い連中どころか、中年の管理職にもわかっていない。
方針を決めろというもは、方針ぐらいしか決められない。
言い換えると、最初は何も決まっていないし、やってない、必然的に、何の結論も、結果も出てない状態だという事で。
とりあえず方針ぐらい決めて正式にスタートしろさもないと何もできないぞと。
最初から、結論や結果は出ない。出せない。結論や結果を出すためには、仕事をしなければならない。
仕事をするためには、組織や、人、設備、費用がかる。組織や人、物、金、時間、設備が必要。
だから、正式に仕事をスタートする必要がある。口実が必要。
その口実を与えるのために、顔合わせとか、方針を活用するのである。
どうもこの点がわかていない人が多くいる。
自分たちは分かっているつもりだから始末が悪い。

そういう人は仕事をするためには、何らかの、結論や結果を出す必要があると思いこんでいるが。
何らかの結論や結果を出すためには仕事をしなければならない。
しかし、結論、結果を出すためには正式に仕事をしなければならない。
こうなると、堂々巡りになる。
そうなるといつまでたっても仕事にならない。
そこで乱暴に非公式な仕事を正式な仕事に置き換え認めさせようとする。
しかしそんなことをしたら、組織の規律は土台から崩れる。
こういう人は、何らかの、結論、結果を出さないと正式に仕事を始められないと錯覚をしている。
正式か非公式かを形式的に分かつのは手続きである。
手続きをすれば、正式な仕事に置き換えることができる。

ガスが充電された容器が積まれている状態から先ばかりを考えるから、仕事が始まらない。
実際の仕事は、その前がある。
実際に配送の仕事に取り掛かる前。
朝起きて、出社し、タイムカードを押してといった前処理でけど、この部分は不定形で不確か。

定型的な仕事ではなく、不定形、不確かな部分。

仕事への導入部分は、不定形で、道筋が決まっていない。一番の問題は、正式に組織化されていない。誰が音頭をとるかも決まっていない。
要は自然発生的な傾向すらある。無から有を生むみたいなね。
だから、準備委員会のような、準備機関が必要がとされる。
既定の路線は線路があるが、電車を線路に乗せるまでの道筋。線路に乗せられたら、決められた線路の上を走れば目的地に到達できる。
しかし、線路に乗せられるまでの道程は定まっているとは限らない。
新幹線の新車両を、トレーラーで運ぶようなことをするのが準備機関だと思えばいい。

不定形で不確かな部分だから自分で、想像して創作しなければならない。
自由に構想や企画を練っている段階から実施段階に切り替わるので、急激に負荷がかかる。負担がかるから面倒くさいなんて言っていたら、いつまでたっても絵に描いた餅。
夢は行動しなければ実現しない。
実現できない夢は夢想に過ぎない。

車のギアがローからスタートするように。
それを嫌がっていたら、すぐにエンストする。

みんな、おいしい処どりしようとするけど、プロは、準備、後始末を重視する。
料理も下ごしらえが大切で、食べた後の初期洗いを嫌がっていたら、すぐに店はすたれてしまう。

準備や後始末ができなければ何をやっても成功しない。
成功しないどころか、入り口のも立てない。
着手、導入部分をなめないように。

なぜ,板場修業は、掃除や鍋洗い、道具の手入れから入るのか。
包丁研ぎだって最初にはやらせてくれない。
そこで挫折する人たくさんいるけど。
でも、それがプロの本質なんだ。
素人は、職場を清潔に、鍋窯をいつでも使えるようにキレイにしておくのが苦手。
でも、それを厭おうようでは、プロにはなれない。
板場が不潔だったり、包丁が切れなかったり、器が欠けていたりしたら。料理がだいなしになる。
つまりは、料理以前の話。
素人は、掃除も後片付けも考えないで。料理を作って食べればいいと思っている。
だから続かない。
それが素人。

プロは、それ以前、その後、つまり、始まりと終わりを丁寧にする。

多くの人は面倒ぐさがって手続きを踏まない。面倒くさいと手続きを踏まないから、正式に仕事ができない。
よく先輩に注意されたのは、面倒くさがってちゃんと最初に手続きを踏まないと、後がずっと面倒くさくなるよと。
何事も最初は丁寧に、そうすれば、後が楽になるからねと。

顔合わせも、方針も正式に仕事を始めるための口実だと思えばいい。
なぜなら、最初は、何も決まっていないし、結論も結果も出ていない。
何よりも、何も仕事をしていないのである。

正式に仕事がスタートしたら、まず、関係者を集め、既定の説明をした上に、全体の協力体制を作る。その上で、役割分担をしてスタート正式にきる。

最初に、みんなを集めて目的、目標を定め、方針を決め、周知徹底する
リーダーの役割は、最初に、皆に進むべき方向を示し、全体の意思を統一する事。
つまり、指導者は、常に、先行き、見通しを、メンバーに示し続けることが求められる。
だから、方針なのである。方針は方向を指し示す、指針
情報が伝わらず。自分が、自分の位置が見えない、放駒になると、たちまち孤立し、混乱し、勝手な行動をとらざるを得なくなる。
恐れるのは、危機的状況でなく、情報が伝わらなくなること、指示が伝わらない事。
車は、ブレーキが利かなくなればすぐに制御不能に陥る。
部分は、全体から切り離されたら、部分として働かなくなる。

若者よ。無関心でいるな。
知らなけてれば、乱世は、生きていけない。
その事を思い知らされた時は、大概は手遅れになる。

若い時に楽をすると、歳をとって苦労をするよ。
若い時は、買ってでも苦労をしろ。
子には旅をさせろと、父祖は、教えてきたというのに。
今の大人は子に楽する事を教えている。

そのつけは、子が払う事になるというのに。

人は、ある程度、先の読める事に対しては冷静に対処できるが、先の読めない状況に陥ると、何も考える事ができなくなり、恐慌状態に陥る。
予測のつかない状態になると、恐怖感や、不安に襲われ、自制心が損なわれ、外部から、情報を遮断し、あるいは、壁を作って自己防衛に走る。
それは、外界の対して攻撃的になり、その場から逃避しようとする。
感情的になり、冷静な判断が下せなくなる。
その結果、癇癪を起して怒ったり、泣いたり、笑ったり、情緒が不安定となる。
また、凶暴になて、暴力的になったり、破壊的な行動をとったりする危険性がある。

要するに、予測がつかない事や想定外の事が起こった時、どのように対処すべきか、あらかじめ決めておくことで、それが基本なのである。
予測がつかない事、想定外の事、特に、事故や災難、苦情がこれに該当するが、つまりリスクにどう対処すべきか、それは、基本中の基本。
だから、基本が大切なのだ。

そのような、滅多に起こらない、特別事だけでなく。
日常的な事でも、自分なりに形を決めて、繰り返し体に覚えさせ、身に着けておかないと、簡単な事も処理でくなくなり、日常的に恐慌を起こすことになる。

怒りっぽい人、癇癪持ち、頑固で人に意見を聞かない人、強圧的で、強権的、どk全的の人の多くは、若いころに基本を身に着けていない場合が多い。
ただ、年齢がいってから、基本を身に着けるのはかなり困難で。そういう人は頑なに基本を拒むようになる。

だからこそ、基本は、なるべく早いうちに、身に着ける事だ。

基本ができていないというのは、誰にでも簡単に身に着けられて。できるようになれば、当たり前にできる事が、できないという事で。
結局、社会生活がおくれない、普通に、コミュニケーションができていない人の多くが、基本ができていない事による。
それを、何らかの障害や、異常だと考えると抜本的な解決に至らない。
かつては、家庭や地域コミュニティーが基本を躾けてきたが、今は、学校に教育が特化し、学校は、マナーや作法を躾ける場ではない。
極端な場合、躾を否定する。そのために社会人としての基本を躾ける場がなくなってしまった。

なぜ、発達障害や、境界性パーソナル障害、鬱病などが増えているのか。
それは、学校教育にも一因があると思われる。
学校教育の何が問題かというと、学校が自分たちの基準によって世の中の出来事をすべて当てはめようとするからで、何度も言うように、学校の環境が特殊なので、特殊な基準で普遍的の事を推し量ろうとするから。学校の基準からはみ出たものが異常とされる。

例えば、学校で一年で習得すると決められたことを二年かけてすれば学習障害とされる。
一時間で答えを出せないと落第生にされる。
しかし、一年で習得しなければならない、一時間で答えを出さなければならないという根拠はない。
それは、学校の都合でしかない。

人には個性があり、人それぞれ成長の型が別なら、絶対的基準なんてなく。
それを無理やり当てはめようとすれば異常な人間が増えるのは必然。
それは、自分たちで異常者を増やしておきながら、違う原因があるかのように思わせているにすぎない。

計画も、最終段階、実施段階、決定段階に至ると急激に負担が増え、ブレーキがかかる。
俗に言う、胸突き八丁という状態。
それは、第一に現実の問題である。第二に、責任感の問題。
計画も最終段階になると、一つひとつ、詳細に決めていかなければならない。
実施に当たっては、抜け、漏れ、重複なく、総て決めなければならない。一つでもかけたら実施できない。
これが面倒で嫌になる。根気もなくなる。
第二に、現実の壁である。
計画段階では抽象的、曖昧にしてごまかせたことが、いざ、実行となりと、明確にしなければならない。
いい例がお金である。
予定段階では予算でいいが、実施段階では、一円単位まで収支を報告しなければならないし。
手続きや書類、証憑も要求される。これが面倒くさい。
人も、支店長とか、担当と言っていたのが、誰々と実名を挙げる、固有名詞、名指ししなければならない。

俗に、マリッジブルーと言われる状況によく似っている。
結婚すると正式に決まると、急に現実に引き戻され、責任感で押しつぶされそうになる。

それがストレスになるけど、それは最後の関門で、それを乗り越えれば、前方が開ける。
そこで、逃げだしたり、投げ出しったら、いつまでたっても達成感は得られず。
敗北感だけが残される。

自動車で家族旅行することになって、皆が自動車に乗り込んだのにいつまで立ってもエンジンをかけない。
エンジンのかけ方がわからないようなこと。
あるいは、計画は立てたけど、旅館やホテルに電話がかけられないようなもの。
実行するためには、エンジンをかけないと。

実行に移す事は、計画を壊していく事を意味する。
なぜなら、環境、状況は、絶え間なく変化するからである。
現場合わせしなければならない。

決定段階というのは、決めの段階。
決めというのは勝負。
つまり、勝負に出る段階なのである。