いい加減、いつまでも騙されていてはいけない。
それこそ、やくざだって、ヤンキーだって、形を重んじる。
今日日、やくざやヤンキーの方が、礼節に厳しい。
共産主義国ほど、形や礼節にこだわる社会はない。
自由主義国では、式典は国旗、国家への忠誠は不可欠と教える。
なぜなら、国民国家だからである。
なのに、日本人だけは、形は封建的だ、形式にとらわれるな、愛国心は、悪だと公立の学校で教育され、マスコミから、喧伝され知識人から啓もうされるのか。
他民族を、隷従、服従させたければ、その国、民族の形を壊せというのは鉄則である。

お蔭で、門松や、餅つきと言った日本の伝統の正月の形は、失われつつある。
それに代わって、クリスマスや、ハローウィンと言ったキリスト教国の形が若者たちの心を支配しようとしている。
なぜ、日本人は、規律を失ったのか。
それは、形を失ったからだ。
しかし、ここが巧妙なのだ。
形を失う事が、国家や、国民の魂を奪う事だと誰も気がつかない。
親父たちは違ったけどね。
でも、戦争に敗けて、無力化された。
形が悪いというけれど、形そのものが悪いわけではない。
結婚式にも形があり。質素な形もあるし、豪華な形もある。
自由な形もあるし、独裁的な形もある。
形は思想を表している。
思想が間違っているというのなら、自分たちにあった形にすればいい。
形そのものを否定するのは別の意図がある。
もうだまされてばかりいてはいけない。