オーダーを取るのは難しい。
オーダー(指示、命令、注文)を取るのは基本中の基本だが、
オーダーを受ける事を、簡単で、初歩的な事と舐めないようにね。

大体、オーダーというのは、相手がいて成り立つので、一方的な事ではない。
オーダーを、一方的な事と捉えているのは、重大な錯誤である。
オーダーは、発令と受令が貝合わせのような関係にあり。
発令者と受令者が共同して完成させる事なのである。
出し手と受け手の息が合わないとオーダーは、伝わらない。通じないのである。

オーダーは、オーダーを出した者が覚えているとは限らない。
むしろ、オーダーは。オーダーを出した者は覚えていないと思っている方が無難。
指示は、指示した者は、覚えていない。
だから、出しても確認をする必要がある。
特に、指示というのは、最初から完璧な指示が出せる人は限られているし。
完結した指示が出せない場合が多い。
だから、指示を確認する過程で、矛盾点や、抜け漏れ、重複などを調整、訂正する事で発令者と受令者が共同して指示を完成させるのである。

オーダーをきちんと聞き取ると言うのが先ず難しい。
これは、いくつになっても完璧にやりきる自信は持てない。
一方的に聞くだけでは、出し手の真意は伝わらない。
相手と自分の考えをが理解できたかどうか、確認がとれない。

我々の世代以降の者は、一寸ずつ一寸ずつ、相手の言った事を言い換える様に学校で刷り込まれている。
言われたことをオウム返しに返すのではなく。自分の言葉で返せ。
それが言葉を言い変える事だと。
だから、言葉を置き換える癖のある人が結構いる。
それが、大惨事の素だという事に当人も相手も気がつかない。
どっか違う、何か違うと思いつつも適当、いい加減に妥協する。
その為の言葉の定義、用語の統一が甘くなる。
指示命令はオウム返しに言われた取り返す。それが原則。

オーダーというのは、十、聞いたら十、やりきらなければならない。
一つでも、忘れても、やり損じても、仕事は完了したことのならない。
最初にボタンの掛け違いや、真意を取り違えていたら、最初から間違うことになる。
そうなると、最初からやり直すことになる。
しかも、ボタンの掛け違いは、最後の最後まで気がつかない事が多い。
だから、正確に受け取らなければならないし。
漏れなく、抜けなく、重複なく、総て伝わったことを確認しなければならない。

オーダーを聞き取れたとしても、それを覚えておくのはさらに難しい。
人は、聞いた傍から忘れていく。
しかも、オーダーは、相手がいる。
オーダーした人の記憶も曖昧で、不確かになるし。
気も変わる。記録がなければ確認のしようがない。

営業をした者は一度は痛い目にあっているものだ。
それこそ、お客様は神様なのである。

大体、オーダーが複数あったり。細かい注意、留意点なんて言われたら、覚えきれない。

人が一度に覚えられるのは、五つくらいなもので、三つ以上指示されたら、記憶が怪しくなる。
一度、覚えた事も翌日になたっらほとんど忘れていると思った方がいい。

私が子供の頃、老舗旅館の仲居などに、一度聞いた、お客の注文は絶対忘れないと豪語していた人がいた。
それがプロだと。
しかし、ある時それは間違いだと教えられた。
お客様にしてみれば、注文した事が間違いなく実行される事が肝心なので。
記憶力がいいと自慢されても、どうでもいい。
それより目の前だメモされた方が安心できる。

だから、お客の目の前で記録を取り、確認するのが求められるようになった。

次に、確認が難しいという事である。
確認は、その場でとらないと、取りにくくなる。
現実は、確認はとれなくなり、曖昧なままにいざという時まで進んでしまう。
確認がとれなくなる原因の一つは、相手の記憶も曖昧になり、気が変わっても気がつかない事である。
先に述べたように、一度の聞いて覚えきれることには限界がある。
その時、その場で確認しておかないと、後で確認すると言うのが難しい事や、確認がとれなくなることが結構ある。
逆に、聴き取れなかったり、聞き間違えた事でも、その場なら、聞き直すことが基本的には許される。
後で聞くと許されなかったり、誤魔化されたりする。
訂正もその場なら、やる安い。
しかし、馴れないと、聞き直すのは、心理的な抵抗があったり、口のきき方を間違えると相手を怒らせることがある。
要するに、口の聞き方、態度の問題で。
舐めると怖い。
なんでうまくいかないのと。その原因が横柄だとか、態度が悪い、生意気だと言う事がままある。
だから、確認は難しい。
後でなんで確認しなかったのと言われてもね。
確認で怖いのは思い込みで。先確認したとか、昨日確認したから大丈夫だろうと言った、馴れや、マンネリ化が大惨事を招いたりする。
馴れたり、基本を忘れた時が一番怖いと注意されたもの。
最終的に、確認は、報告する事で完了する。
だから、報告は自分の為にするので、上司は、まめに、根気よく、部下の報告を聞いてやる必要がある。
それが、束ねの仕事でもある。

オーダーは、聞き放しというわけにはいかない。
確実に、実行する事が求められる。
ところが、指示命令。注文をメモしたり、ノートする事までしても、その後、ほったらかしている人が結構いる。
ほったらかしにするのでは、メモしたり、ノートつけるのは、逆効果だ。かえって悪い。
これも、学校教育の悪弊で。学校では、ノートのつけ方を教えてもノートつける目的を教えない。
だから、授業で、ひたすらノートをつけるのに費やされるに、見直ししない生徒が多い。
それでは、中途半端な勉強しかできない。
注文を受けたらそれを一旦整理して仕事にしていく。ここが肝心。
作業の段取りをつけて手分けしていく。

指示命令は、確実に実行する事が求められる。
それでいて多岐にわたる。
親父は。受令簿つけろとうるさかった。
しかし、今の若い子には、うざい事なのだろう。
だから、舐めて痛い目に合う。
痛い目にあって反省すれば、いい経験、教訓になるが、腹を立てて他人の性にする。
これでは、何の意味もない。

相互に確認する事で指示命令、注文は完成される。
指示命令、注文を完成するのは、発令者と受令者の最初の共同作業なのである。
システムの世界には、発令者は、自分の出した命令を理解していない場合が多いという鉄則がある。
完璧なオーダーができる人はいないと思ておいた方がいいし。
仮に、完璧なオーダーがされたら受令者は、理解できない。
最初のオーダーには、多くの矛盾や欠損した部分が多い。
それを補いあるいは、訂正、修正する事で、オーダーは完成される。
仕事に着手しないとわからない。
やってみてはじめて気がつく事というのは意外と多いのである。

最近、議事録で仕事をする人が増えている。
我々は、議事録で仕事はするなと言われた。
議事録をつけるなというのではない。
議事録で仕事をするなと言うのである。
議事録は正式の記録として価値がある。
ただ、議事録をつける以前に会議の出席者には、出席者、それぞれに仕事がある。
自分の役割、分担に応じて、指示が出され、やるべきことが決められる。
議事録以前に、自分のやるべき事を見極めて記録する方が先なのである。
議事録ができるのを待って作業に着手していたら、仕事にならない。
大体、会議が終ったら速やかに自分の上司に報告し、部下に指示を出さなければ間に合わないのである。
なりをやるか、どうしたらいいのかわからない内に戻ったら。
何しに行ったと怒られた。

指示命令、注文には、一つの形があって、データベースにしておくと後々役に立つ。
形には、順序、枠組み。段取りなどがあって、立体的(時間、人、物、金等)に捉える必要がある。
日付も一つではない。
受令日、着手日(準備、実施等)、打ち合わせ日、終了日、完了日など。
そこで、登場したのが、TO DOである。
TO DOは個票一つに形がある。つまり、入力日、入力者などが、自動的に記録されるうえ日程表に結び付けてくれる。

TO DOは、今日どこにでも組み込まれている。
それは、組織屋がオーダーの聴き取り、ドキュメントの重要性を痛感しているからで。
仕事の基本、エセンスでもある。
TO DO表は、シンプルだから意味があるので。
特に、受令日が、自動的に記録されるのが意味がある。
多くの人は、結を求めて始まるを忘れる。
だから、仕事の段取りも計画も立てられないのだ。
その点、TO DOは、始まりを記録してくれる。
また、項目だけ設定できれば、取り敢えず、指示されたことは記録してくれる。

オーダーを取るのは難しいと肝に銘じておいた方がいい。