間違っているわけではないんだよな。
あなたが見ている事は、事実。
でも、同じ事でも違う位置で見ている人には違って見せる。
あなたが、見ている事は、事実で、間違っているわけではない。
でも、違う位置から見ている人が見えている事も事実で、間違っているわけではない。
同じ事でも、見る位置や角度によって違って見える。
でも、どちらも事実を語っているので、嘘をついているわけではない。
自分が見ている位置から見えないリスクも、違う位置から見た見えているのかもしれない。
円筒は、見る位置によって、丸く見えたり、長方形に見える。
でも、どちらも事実で、間違っているわけではない。

ここが、問題なんだ。

ちょっとね。
見る位置を変えないと本当の姿は、見えてこない。
本当の姿を見極めないと、重大な、間違いを犯す危険性がある。
だから、いろいろと視点を変えみないと本当の事は、わからない。

我々は、悲観的に準備し、楽観的に判断せよ教えられてきた。
今の、日本人は、悲観的に考える事さえ許そうとしない。
縁起が悪いなどと言って。
だから、現実が直視できない。
最悪な事態を想定する事さえ悪いと。
考えただけで、ブルブル、震えてくる。
戦うなんて言うと、暴力はいけないとか。
戦うのは暴力的な事だけでないのに。

最悪の事態を避けるために、悲観的に準備すると言ってるのに。
あたかも、最悪な事になるとか、引き起こす気か感情的になる。
だから、日和見主義、事なかれ主義に陥られる。

国防問題が典型。
日本人は、戦争と言われただけで震え上がっていしまい。
闇雲に、戦争、反対とか。
日本を攻めてくる国なんてない。
戦争なんて誰も望んでないとか。
何の根拠もなく騒ぎ出す。
戦争反対を叫べば戦争がなくなるわけではないし。
願望で戦争が防げるわけでもない。
現実を直視しようよ。

仮想敵などというと、戦う気かと慌てる。
中国は、日本の戦闘機の模擬模型を標的にして訓練しているというのにである。
仮想敵にしたからと言って敵視しているというのではない。
脅威だと言ってるので、脅威だから備えているに過ぎない。

「地震なんて考えるのも厭だ。」
「地震なんて起こりませんよ。」
「杞憂ですよ。」
「起こらないと言って。」と言いてるようなこと。
想像するのも厭だと、事実から目を背けるから、備えもできない。

核兵器に反対する事と、核兵器が存在すう事は、違う次元の事である。
核兵器に反対するのは,主張であって、核兵器が存在するのは事実である。
反対だから、存在も認めないというのでは、主張自体が成り立たない。
事実を、事実として受け入れなければ、対策が立てられなくなる。
自分に取った都合が悪い事は認めない。
臭いものには蓋をしろという姿勢では、問題は、いつまでたっても解決できない。
抜本的対策は立てられない。
今の日本は、何でもかんでも今が良ければいい、いやな事は、考えないでいようと。
見て見ぬふりして先送り。

嵐の事を考え、備えるのは、嵐を呼ぶ事ではない。
嵐を怖れて、備えを怠るのは、単に臆病なだけだ。
戦争を怖れて、備えをしなければ国を守れないのである。
治にいて乱を忘れず。
戦争に備える事と戦争をする事とは違う。
人を信じるから、警察は必要としないというのは飛躍である。
医者が、病気の原因ではない。
病気はいやだから医者にかからない。
論理的でない。
病気になるのは嫌だと、保険に入らないのは、筋がとらない。
今の日本人は、事実を事実として認めようとしてない。
対策を立てる事と対策を実行する事とは違う。
何事も準備には時間がかかるのである。
泥縄。
泥棒を捕まえてから、縄を編んでも遅い。
戦いが始まってから、準備していたのでは、独立も平和も保てないのである。

最初から解決する気もなく、やる気もなければ、批判なんてすべきではない。
無責任になればなんとでも言える。

なんの対策も解決策も示さず言いたいことをいい、批判するのは卑劣だ。
なぜなら、肝心なのは、対策であり、解決策だからだ。
対策や解決策がどうでもいいならなんとでも言える。

自分以外の人から学ぶことは、なにもないといった頑なな態度を、取り続けていたら、成長は止まる。
今の自分以上にはなれないからね。
素直に、他人の意見を受け入れるようにならないとね。

若い頃はね。
潰しもきくし、やり直す事もできるけど。
歳を取ると人から学ぼうなんて気が失せて。
保守的になる。
新しい事を始めようとか、自部の限界に挑もうなんて思わなくなる。
去年と同じことを、同じように無難にこなせばいいと。
しかし、それでは、時代の変化についていけなくなり、取り残されていく。
そうなると、若者や、変革に抵抗し、押しつぶそうとするようになる。
それが、間違いの本なんだよ。
そして周囲から孤立し、自分の世界に閉籠るようになる。

自分の狭い世界だけで世界を理解しようとしても限界がある。
自分とは立ち位置の違う多くの人の視点から見た事を謙虚に聞き。
物事の真の事実を見極める必要がある。

間違っているわけではないんだよね。
ただ、自分の世界に囚われてるだけ。
自分の世界に囚われって自分が見えなくなっているだけさ。
自分の世界から出られなくなっているだけ。