自分の考えを持てときつく躾けられた。
早く自分の考えを持てと…。

そして、見どころのある者は、なるべく若いうちに自分の考えを持てるように育てろ。
若いうちに自分の考えで行動できるようにしないと、歳をとったら使いものにならなくなるぞと言われた。

反対するとか、賛成するとかいうのではなく。
自分の考えで決断し、行動する。行動できるように育てろ。
だから、自分の行動に責任が持てる。持つように育てる。
つまりは、自分の考えに責任が持てる様にしろ。
それが、男だと躾けられた。

従うにしろ、逆らうにしろ、自分の考えに基づけ。
自分の考えもなしに、言いなりになっていたら、いつまでたっても一人前の仕事ができない。
自分の考えでないから、自分の行動に責任が持てなくなる。
自分の考えに基づかなければ、自分で段取りをつけたり、仕事を組み立てたりする事が出来ない。

我々の世代は、悪い事に、自分の考えというのを、反対する事とか、人と違う事とか、逆らう事とかだと刷り込まれた。
だから、何でもかんでも、反対していればいいと思い込まされた。
結局それでは、自分が持てない。
反対するにせよ、賛成するにせよ、自分があるからこそ意味がある。
ただ、反対するだけなら誰にでもできる。

賛成するにせよ。反対するにせよ。覚悟が必要だ。
覚悟は、自分があるからできる。
やれ、反体制だ、反権威だ、反権力だと突っ張ってみても、自分がなければ、空虚だ。空疎だ。

だから、なるべく早い時に、若い時に、責任を持たせ、自分の考えで行動できるようにしろと、先輩たちが言われ続けたのに。
結局、なんだかんだ言って若者を信じないで、若者達が自分の考えで行動する機会を自分の考えを持つチャンスを奪ってきたのだ。

若者よ。自分の考えをもって、自分の考えて決断し、自分の力で道を開け。
さもないと一生自分が持てなくなるよ。
歳をとって腑抜けになってしまうよ。