確実にやって欲しいので、だとしたら確実にやらなければならないように仕向けるばいいので。
確実にやらなければならないように仕向けられた。

実務というのは、実際にやる事が中心となる。
何をいつまでに、誰がやるか、それが肝心なのである。

仕事は、隙間なく、順序よく、抜けなく、作業を埋め尽くさなければならない。
隙間が空いたり、順序を間違ったり、抜けがあると、すぐに、仕事に狂いが生じブレーキがかかる。
その場合、最初からやり直さなければならなくなる。
じゃあ一人でやればいいかというと、仕事は、最初から一人ではできない仕組みになっている。
例えば、車の運転を覚えれば、車を運転する事はできるけど。車が運転できるだけでは、仕事にはならない。
車を運転して、何をしなければならないかがわからないからである。
だから仕事は、厄介で面倒くさい。
厄介で面倒くさいけど、一度覚えれば、難なくできるようになる。
抽象的な事は、入り込む余地がないから。
手順段取りを、とにかく覚える。

組織は、人間によって作られた仕組みであるから、本来は、隙間ができたら、自分で考えて隙間を埋めたし、条件や環境が変わったら、作業を組み替えたり、順番や筋が違ったら修正したが。
それぞれが自分の立場で考えて、責任を持って隙間を埋めたり、作業を組み替えたり、修正したりしないと、途端に、組織は清浄の機能しなくなる。
マニュアルや機械化は、思考力を低下させる。その点を注意する必要がある。
実務がわからないと人を操ろうとするようになる。
ただ、実喪がわかっていて、指図するのと、人を操りのとでは雲泥の差がある。
隙間を埋めたり、状況の変化に対応できなければ、結果的に、組織は、正常に機能しない事に変わりがないから。
仕事の筋立てが出来なければ、組織を混乱させるに過ぎない。
まず、実務の基本を身につけなければならない。

仕事を覚えるのは簡単ではないけど、毎日、地道にやっていれば、一年もすればわかってくるさ。

最初は大づかみ。大雑把に始めておいて、最終的には細かい事になるんだ。
段階によって。正反対になる。
任せていい事も変わってくる。
昨日正しかったことが、今日は、間違っていると言う事も往々にある。

何をやっておかなければならなあのか。何を用意するのかを、洗い出さなければならない。
そのうえで誰に手配させるかを決めて指示する。

組織は、人の集まりだから、時が来れば、黙っていても、動き出す。始動する。
要するに、パイロットが操縦席にいなくても、飛行機が勝手に動き出すような事。

一度動き出した機関車、暴走した機関車を制御するのは難しい。映画になるくらいね。
動いている機関車を、止めずに修繕するのは至難な業。
しかし、組織では往々にある。

艦長が艦橋にいない時、誰の指示も受けずに船が動き出すなんて事が組織では起こる。
それは、組織は、人の集まりだからである。
しかし、それを許したら、組織は制御不能、言う事を聞かなくなる。

指揮官は決断する。
部下は、指揮官が決断できるように準備する。
スッタフが考え。
指揮官は、決断する。

期はじめに、全ての責任者は、部下の前に立ち、全体の方針を示し、最初の指示を出さなければならない。
運転で大切なのは、運転の技術で、どこに行きたいか、何に使うかは、運転免許をとった後の事。
少なくとも、その日とその月の予定を示せるようでないと。
また、伝達式ができるように、予め、準備が終っている事が前提となる。

朝、その日の予定を言えるようにしておかないと、その日の予定は立てられないぞ。
その日の予定が立てられなければ、「チョットすみません。今いいですか」と割り込むことになる。
割り込むことが許されるのは、基本、トップだけ。
トップが許されるのは、トップは全体を総覧しているから。

教育をしなければならないと決まったら。
今の時点で何が決まっていて、何がわかっているかを確認した上、やらなければならないこと、用意することを決めて、誰に担当させるかを決める。
そして、担当に、具体的にどうするかを考えさせる。

仕事で難しいのは、どこから着手したらいいか。
皆、簡単に考えているけど、いざとなると、どこから手を着けたら以下、迷うし、悩む。
白紙のキャンバス、筆を落としような。
剣道で、どう、初手を撃ちてのように、気合で決める事もあるさ。

だから、僕らは先輩達に追い詰められた。
切羽詰まった依るのが、そいつの本音初手だと。
だから、実際のところ、追いつめなければ、本音は出ないよ。
そこで、動けない奴は、わかっていないんだよ。
わかっていない、できないのがわかれば、やりようがある。
いつまでも、誤魔化したり、自分を偽っていたら駄目だ。

仕事は、過程と結果からなり立っている。
過程は、流れで、結果は断面、定点として表現される。
典型的なのは、会計で、流れは損益として表現され。断面は貸借として表される。

この点を注意して報告する事。
流れは。経過報告とし、断面は、その結果として報告する。
これがきちんと整理されていないと聞く側は、捉えどころなくなる。

前回の結果どうなてって、その結果を踏まえて今回までに何をする事になっていたのか。
そして、前回の決定の基づいって執行した結果どうなったのか。

試合をする前に試合の結果はわからない。
試合前に考えやるべき事は、どんな練習をするかであり。
練習のための計画。
試合の結果について議論するのは馬鹿げている。
試合をする前に負けたらどうしようと考えるのは、やる気がないだけ。

試合もする前から、勝の負けるのという暇があったら。
勝つためにどうしたらいいか。
少しでも練習をする事を考えろと。
親父や先輩に怒られた。

指示する側からすれば、仕事は、確実にやって欲しい。
だとしたら、指示する側は、確実にやらなければならないように仕向けるばいい。
確実にやらなければならないように仕向ける。
それが筋。

一番困るのは、やるのか、やらないのかがはっきりしない事
だから、指示、命令が重要で、指示すべき人が指示する。
指示すべき人が指示し指示してはならない者は指示しに。

先ず、誰が、この場を仕切っているのか。
任されているのか、責任を持っているのかを、はっきりと示す。
俺が、責任を持ってこの場を仕切るとか、納めると、宣言できない、しない奴は、卑怯だ。
自分に任せてくれ。仕切らせてくれ。
自分について来いと言えないリーダーには、誰もついてこない。
非常時には、劇場や、店などは、従業員の指示に従い冷静に行動してくださいと、飛行機や船は、乗組員の指示に従ってくださいよアナウンスされ、事前に訓練されているだろ。
リーダーは、真っ先に手を上げ声を出す。
皆は、リーダーの声を聴くと安心する。
悲鳴ではなく。
でも、こういうのは度胸だからね。
若い頃から、チャンスがあったらどんどん自分から手を上げて、任せてもらえるように。
年をとると、どんどん衰えていくから。
若い頃は許されていても、年をとると許されなくなる。
それだけ、責任が重いんだよ。
気力もなくなるし。
冒険や、挑戦をするのは、若いうちだよ。
一番悪いのは、気位ばかり、自己顕示欲ばかり強くて、実行力のない奴。
一々、人のいう事の逆らう奴ね。
いわれた事、いわれたとおりすればいいのに、どうでもいい事変えたり、言い換える奴ね。
自分の言葉でいうの、違う言葉に置き換えるとかね。
個性を、人と違う事と馬鹿な事学校で教えるから。
個性なんて、何も飾らなければ自然に出るの。
自分の意志で他人の言う通りの事を実行するというのは度胸がいるの。
違う事をするよりね。

審判が、「プレーボールって僕言うの」とか、ピッチャーが、「僕が、ボール投げるの」みたいなこと言うな。
自分の役割を自覚しろ。
審判がコールしなければ、ピッチャーがボール投げなければ、試合は始まらない。
ただ、順番を間違えない。審判がコールする前にボールは投げてはならない。

日限を切っている事は、指示すべき者は、できるところから、どんどん指示を出して、様子見て担当者間で調整させる。

結局、仕事というのは、面倒くさがらずにきちんきちんと詰める事なんだよ。
面倒くさいと適当に妥協すると、後々面倒くさい事になる。

新しい部門に転勤が決まった管理者は、着任前に、自分の管理スタイリを作り、赴任時には、実行できるようにしておく。
自分の形は、自分で作る。
最初に、主導権がとれないと、ずっと後手引くことになるから。
初日に、オタオタしたら、最初から躓くからね。
舐められるよ。

まず基本的な形を事前に主だった幹部と打ち合わせをし、澄ませておく。

基本的形
初期設定の形。
一日の形
一週間の形。
一ヶ月の形。
四半期の形。
半期の形。
一年の形。

打ち合わせの形。
報告を聞く。
自分の方針を伝え。
指示する。

特に、朝、朝礼の形を設計する。
一日にの出だしだから、自分が主導権を握れるように組み立てる。
簡単そうで結構難しいから、最初は教わるながら。自分で組み立てる。

会議や打ち合わせなどで枠組みをする。

初日は、出社時の手順ね。
朝礼とその後の打ち合わせをどういう形で進めるか。

作業としては。
上との打ち合わせ、或いは、確認。
幹部との打ち合わせ。
方向。
方針の伝達。
指示だけど。この順番を自分蟻に組み立ておく。
報告とか指示は、誰から誰にさせるか。
無論自分が中心だけど、指示したところから組織化が始まるからね。
指示した相手が基本担当になるから。

足元からから固めていく。

我々は、エラーしたら。エラーしたことだけを伝えろ。
言い訳をするなと躾けられた。
ところが、最近の若い子は、エラーした原因を一生懸命話す。
当人達はそれを言い訳だと思っていない。
それを聞かないと、話を聞かないとへそを曲げる。

我々は、原因なんて聞いていない、エラーしたらそのエラーに対してどのように対処したかが重要なので、必要とあれば原因は聞くが、その場合でも聞かれたら応えろと指導された。
そうでないと言い訳になるから。

試合中にエラーを責めたり、追求したら、試合にならない。
責任問題は試合が終わってからで、反省も。
試合中は、エラーをどうフォローするかが最大の問題。

実務上の決定は下からの要請に要請によって決まっていくもので。
下からの要請がないと決められない。
例えば、採用は、現実の職場でどんな人材がどの程度必要かがわからないと決められない。
教育も、現場で、どのような教育が必要なのか、現場の管理者からの要請があて決める事。
上は決める事はできるが実情と会わなければ、実施できないし、無理して実施したら破綻する。
あくまでも、現場からの要請を待って決定していく。
もうそろそろ営業方針を決めないと来期の政策に支障をきたすと言うのは実喪の要請からくる。
ただ、方針を決める前にやっておくべき事がある。
それは上からの指示を待たずにできるところから始めておく。
方針が決まってから動いたら手遅れになる事がたくさんあるから。
トップの指示を待っていたら仕事にならないから、準備はできると事から進めておいて、タイミングを見て上に上申する。
それが実務の鉄則。
上からの指示を待っていたら仕事にならないだろうと。

自分という存在は、外との繋がりによって認識できる。
自分と他の人やものとの関係を知る事で、自分の存在意義を自覚することができる。
外界との関係を断てば、自分の存在すら認識できなくなる。

自分が何によって生かされているかを知る事。
自分を生かすものを知れば、そのものを大切にし、感謝する事を覚える。
それが、自分を知ると言う事。

人は、生まれたばかりの時、親に生かされている。
だから親に感謝し、親を大切にする。
親との関係を通して自分を知る。
この関係が理解できない者は、健全な人間関係が築けなくなる。
親が子を守り育てる事を忘れたら、子は、人を愛する事、慈しむ関係が築けなくなる。
食べ物によって自分が生かされている事を知れば、食べ物を大切にし、感謝する気持ちが湧く。
そして、食べ物を獲得する事に真剣に取り組む。
それが労働の意義を知る事である。
また、食べ物は生物であるから、食べ物を通じて、命の尊さ、神を知るのである。
自分達を取り囲む、社会によって自分が生かされている事を知れば、自分を生かしてくれる社会に感謝し、大切にする。
更に自分を生かしてくれない社会なら、自分を生かす社会に変革するという意志が生まれる。
それが自分を知ると言う事。
「お金」自分を生かしてくれるがと思えば「お金」を大切にし、「お金」に感謝する。
「お金」を得るために地道に努力するようになる。
博打や窃盗、詐欺、強盗などで大金を得る事は自分を危うくすることを知る。
罪を知る。

自分のやりたくない事、あれもできない、あれもしたくないと、一見、自分の事ばかり言っているように見える人がいるが、実は自分がない。
自分がないから、自分が何をしたいかを言わないで、自分ができない事を言う。
俺達が自分の為に、自分の為にとおしつけた結果だ
自分というのは他人との関係の中で形成される。
だから、他人と自分との関係の自分の役割を正しく理解できるようにする事が肝心。
その為には、自分が何によって生かされているかを知る事である。

世の為人の為という事の裏側には、自分がある。
つまり、自分を生かすものや事は何か。
自分は、自分を生かすものとどのような関係を作るべきか。
その答えこそ、自分を知る事なのである。