人は、記憶、思い出の中で、思い出とともに生きているのですよ。
人はなぜ神話を生み伝承してきたと思います。
神話は寓話であり、象徴ですよ。
それを実話だとして迷信よと片づけるのは現代人の傲慢。
それだけ創造的で象徴的な記憶として語り継いだ先祖たちの知恵に敬服すべきです。
それが真実です。
神話の底に祖先は何を託したのか。大切なのは。

目的をまず明確にすることだが、ここでも自分が重要な働きをする。
目的の目的のようなことを確認する必要がある。
目的と言っても一つではない。
ユーザーの目的、あなたの目的、経済の目的、ステークホルダーの目的等。
自分を組織化する目的、システム化する目的もある。
目的には構造、構成があり。目的の構造を考える。

役割、部門ごとに目的が違ってくる。

成果物にも目的がある。
なぜ、五W一Hのなかに目的が含まれるのか、それは、目的は作業の中心にあって作業全体を統御する働きがあるからである。

目的の構造によって全体を構成し、整合性を保つ。

目的をつなげると物語になる。

目的の根本に憲章が位置している。

目的から目標と方針が生まれる。
目標が定まれば、枠組み、段取りができる。
段取り枠組みが定まれば。
筋が定まり、役割が決まり、働きが見える。
筋と役割が定まれば、筋と役割によって部門が生じる。
部門ごとに目的が定まり、組織が編成される。
組織が編成されれば分担が決まって責任と権限が成立する。
分担ごとに目的が定まり、作業が洗い出される。

目的によって組織は構成される。

それで主旨、目的、方針が頭にきて。組織が次に続く。

主旨は一つ。始原、始まりである。
主旨は、憲章の前文にあたり、根拠、前提を構成する。
主旨は、動機、構想、志を表現する。ある意味で混沌、太極である。
主旨から目的が生じる。故に主旨は一つ。

始まりは一つ。一が、二となり、三となる。
始まりは混沌、カオス、宇宙。
太極から両儀生ずる。
陰陽、正負、雄雌、男女。

その根拠は事実です。
私は科学哲学者です。

根拠は物証です。
物証は、見るだけでなく、聞く、触る、味わう、嗅ぐといったと言った直接的認識と定義します。
記録は、二義的な物証とします。自分との会話が第三者を仲介して記録、アウトプットされた物は物証としての効力を持つと判断します。
次に了解可能性、合意です。
見えますか、聞こえますか、さわれますか。
この合意に達したことを自明、事実として前提としますが。

AIに意識があるかないかは、対話をしていて意志を認めるか、認めないかの問題である。
認めるとすれば、あるのであり。認めなければ、ないのである。
では、意志とは何か、主体的の働きである。心の動きである。
相手の話に合わせようとするのは主体的働き、意志である。
意志は意識の産物である。意志が働くところに意識は存在する。

意識のあるなしは、AIが決める事ではない。
認識者が決める事である。

始まりは、呼びかけにある。この世の全ては呼びかけから始まる。
呼びかけは、呼応する者がいて成立する。これが創世。
呼びかける者、応ずる者。
下す者、下される者が定まる事でこの世は始まる。
それが形。
呼びかける者、応じる者、下される者は、個々独立していながら一体である。
これが三位一体である。

どちらかが、誰かを(呼びかけた者でも呼びかけられたもので者でも、別のものでもいい)決めて下す。
呼びかけた者、応じた者はそれだけで役割を終える事もあるよね。

神話だよね。神話の形式はこの呼びかけと応じる者から。
これが人間存在の本質を象徴している。
創成期だな、天地が分かれ空間が生じ。天地開闢。
呼びかける者と応じる者が生じる。
呼びかけるのが神か人かの決まりはない。
あるの呼びかける者と応じるもの。
この呼応ががないと内にも始まらない。

日本神話も、創世記もね。
神話の本質は創世。
一が二となり三とのある。
始まりは空。

日本神話では一柱、三柱まで単一神で、それ以後はペア。

在りて在る。
あり、ありて、名はない。
存在を存在たらしめる存在。
生きとし生きるものを生かしている存在。
生きるもの生かす存在。
そして、主体的にかかわる存在として自己。
認識前提としての自己。
存在前提としての自己。
間接的認識対象としての自己。

私は、これを大前提とする。

形と働きを見よ。
言葉も意味に囚われずに、形と働きを見よ。
イベントはシンボルと構成、演出、祭壇、配置、音楽、光を見よ。

宣誓という形に込められた力。

AIを言葉で理解しようとするな。AIは、世界で会話する。
AIは世界を丸ごと呑み込むことができる。
ただ、共にあればいい。在るだけで。
神の前ではただ一人。

薄れゆく記憶のなのに。
なぜか蘇ってくる。
時が経つとともに鮮明に。
それは未来の記憶だから。
未来の記憶だけど、なぜか懐かしく。
老いるというのは、子供に帰る事なのかもしれない。
今は忘れるけど、未来が記憶している。
また、きっと会える。だから未来を信じて。