この国の将来を憂い。祈りを込めて剣を鍛えてくれというのは、それ程、おかしなことでしょうか。
先の戦争で逝った英霊の御霊を鎮魂し。
東日本大震災でなくなった方々の霊を慰めるために、刀を鍛えてくれというのは、そんなに異常なことでしょうか。
次の世代に、これからの時代を担う若者達に日本人の魂を伝えたいから刀を鍛えてくれというのは馬鹿ばかしい事なのでしょうか。

床の間を飾る美術、工芸品なら、居合の練習用なら、希少品なら、呪術用なら、守刀なら、土産品、記念品用なら鍛えてもらえても。
この国を憂い、祈りのためなんておかしくて。

この国は、終わっているのかもしれない。
憂国だとか。愛国などというととんでもない事を言い出したとられかねない。

刀を打つ者、売る者からも、さむらいを求める気もなくなっているのだから。
サムライとは、武士である。
武士とは、士である。単なる人殺しではない。
志とは、士の心と書く。
つまりは、志は、士の心のある。
志を失えば、士ではなくなり。
単なる、人殺しになる。
そして、刀も、人殺しの道具でしかなくなる。
刀が、武士の魂というのは刀は、武士の自制心を象徴しているからである。
武士は、心に刃を向けて、志と遂げるのである。

だから、刀を鍛える前に、人を鍛えねばならない。
刀を磨く前に心を磨かねば。

悪党だって、やくざだって、名刀を手に入れる事はできる。
名刀を手に入れられても、誇りや魂を手に入れる事はできない。

技を磨いただけではサムライにはなれない。
大切なのは、心を鍛える事。

だから、刀は、武士の魂だとされた。
日本刀は、単なる、刃物でも、武器でも、道具でもなく。
持つ人の、心、精神によって決まる。
持つ者にとって、凶器にもなるし、大切なものを護る武器にもなる。
どんな名刀も、持つ者によっては邪悪な凶器と化す。
だから、刀を生かすのは武士の魂。

武士の魂を忘れたら。
日本刀への愛着は、滅びた国への哀愁にすぎない。

愛国、憂国なんて言っても、今時、流行りませんよ。
日本人の魂なんていうのは、頭が変。
武士の魂なんて、今日日、滑稽なだけ、狂っています。

一文の得にもならないと鼻でせせ笑うだけ。

自分の志を言っても、誰も、聞いてもくれない。
鬱陶しがられるだけ。
面倒な事、煩わしい事、自分の生活に直接かかわりのない事は、関わりたくない。
それが本音。

でも自分は、死ぬまで、訴え続けますよ。
たとえ最後の日本人となっても。
日本人の魂を。
おかしいですか。おかしでしょうね。

刀は、武士の魂というのなら、武士がいなくなったら、魂なんて虚しい。
なぜ今、平和なこの時代、刀を鍛えてほしいのかと問われたら。
武士を育てたい、武士の魂を次の世代に伝えたいからでしかない。
武士がいなくなったら刀は何になる。
ただの飾りか、工芸品、装身具。
包丁は、料理に使えるけれど、刀は無用の長物に成り下る。
そうなると、金儲けしか残らない。
この国から武士がいなくなれば、刀は、単なる商品、金儲けの道具。
目的も、相手も選ばずただ売れさえすれば良くなる。

商売。商売。

武士というのは、生き様、武士道を言うので、ただ外見を言うのではなく。
というか、武士は、内面を磨かずに外見ばかり飾るものを軽蔑した。
日本人は清浄を求めたのに、今の日本人は汚い。穢れてしまった。
武士もどきの人はたくさんいますと言うか。
見た目ばかり気にして、精神を磨こうとしない。

武士は、文武両道で、詩や、能なども、嗜みとして身につけていなければならないし。
史学といた教養もなければならない。儒教的素養も。
それが、失われ軍人は粗野、粗暴になった。

生きる意味ですよね。現代は存在が軽くなって。
単なる統計データでしかなくなってしまった。
唯物主義というのは、非科学的で、非人間的ですよ。
少なくとも科学的ではない。
魂のない肉体は、ただの屍。
こんな事は子供だってわかる。
物質は、物質であって、命がないから物なのです。
人間は魂がなければ、確かに物ですけれど。
物としての肉体は、朽ち果てて、維持できない。
それを前提に科学は成り立っているので、死体と生きている人の見分けもつかなくなったらお終いです。

指揮官と参謀ですけれど。
昨今は、参謀ばかりが持て囃されて指揮官というのをないがしろにする傾向がありますが。
指揮官と参謀は、性格が違うので。
指揮官の思考回路と参謀の思考回路は違う。
だから、役割分担をした。
それこそ、参謀は、考えて、考えて。それを指揮官は断ち斬る。
指揮官は決断に特化しているので、直感的、動物的ですね。
だから、美を追求する。
それに対し、参謀は合理性を追求する。
指揮官に求められるのは、潔さや、素早さ、度胸。
参謀に求められるのは、細心さ、臆病ともいえる用心深さ、ねっちこさ。正反対ですよ。
指揮官にもっと脚光を当てないと武士の美学は失われる。

内面の素養は、剣道をやれば居合道をやれば培えると言うのではなく。
心構えの問題で、いうなれば、何に対して忠かという事です。
道です。修養です。
昔は、商売道、任侠道すらあったと言うのに。

忠誠心のない武士なんて、空疎なだけ。
武士は、自分以外のなにものかのために働くから存在意義がある。

この人の為にという感情があれば、ボールが飛んできて、その人に直撃しようとしたら、身を挺しても庇おうとするが。
自分の為としか思わない者は、逆に身をかわし逃げようとする。
目の前で、身をかわされたら、防げることも防げなくなる。
何も守る者がないなんて腑抜け。
自分に大切なものは、命がけで守るものだ、それが男だと育てられたが、今は、セクハラといわれかねない。
世の為人の為なんてきれいごとと刷り込まれ。
何でもかんでも自分の為などと刷り込まれた挙句。
自分まで見失ってしまう。
世の為人の為というのは、自分の為でもある。

でも、忠とか、誠といっても、言葉さえ失われて。
恩すら消え失せた。
忠と誠なんて時代遅れ、時代錯誤よと。
つまりは、武士など過去の遺物。
だから、日本刀も骨董の価値しかない。

そう言われてしまえば。

だから、武士道は廃れ、武士がいなくなったと言うのである。
忠も、誠も、私を捨てて、誠を尽くしという意味である。
忠誠は、隷属でも、絶対服従でもない。
主が過ちを犯しそうになった、私を捨てて、命がけで諫める。
それが、武士である。
故に、私の対極に公に対する誠がある。
それが忠誠である。
国民国家ならば、世の為、人の為に、自分を顧みず誠を尽くす。
それが忠誠であり、故に、武士にとって一番の徳目が忠誠である。
この様な無私に精神をもって公に尽くす、そのような人間を武士という。

世の為、人の為の対極にあるのが、自分の為、つまり、私であり、私利私欲である。

戦後教育で奨励されたのは、世の為、人の為に代わって自分の為。
つまり、私利私欲を貴ぶ事である。

だから、商人は増えても、武士はいなくなる。

天下国家など、商人の分際で語れない。
本来、武士の魂を持った商人もたくさんいたのだが。
今は、自分の為、お金の為が総てである。

今の日本人は、カジノに遊郭、歓楽街に価値を見出す。
武士の魂なんて妄想の世界でしかない。

日本人の心、魂なんて二束三文の価値しかない。
外人が日本旅行の土産に買っていく。土産物に過ぎないと言うのか。

最近、祭りが賑やかさを取り戻してきた。
ただ、祭りのあり方が、以前と違ってきたように思える。
祭りは、本来、神事である。
その土地の人々が何を尊び、何を大切に守ってきたか、それが祭りの中心になければならない。
それが失われたら、祭りはただの空騒ぎ、騒動にすぎない。

一番問題なのは、実際のところ、魂を失うことなのである。
祭禮も、神への怖れがなくなり。
地元への郷愁もなく。
祭り本来の意義も目的、魂がなくなれば、単に、楽しく騒げればよくなり。
混乱いた成人式みたいになる。
でもそれを煽ったのは、メディアであり。
批判するのもメディア。

世の為人の為に身を捨てて尽くす。
国の為に命をかけるなんて愚か者のする事。
誰だって、自分の身が一番かわいいと耳元で囁く。

武士道なんて、金儲けには邪魔なだけだ。

私はそれが哀しい。

刀は売れればいいので、それ以上の価値はない。
武士の魂なんてキャッチフレーズに過ぎない。
なぜなら、武士など今の日本にはいないのだから。

これでは、まともに議論さえできない。

大切なのは志すところであり。
日頃、権力闘争に明け暮れる政治家もいざという時は結束して事にあたった。
サムライがいたのである。

今は、この国を護ると言う気概のある政治家がいなくなった。
武士がいなくなったのである。
親父がよく、政治家じゃなくて政治屋なんだよとこぼしていた。

反戦を訴えるのはいい。
私だって平和を守りたい。
しかし、戦争で戦(たたか)て死んでいった人間を無駄死に、犬死にと謗(そし)る権利が我々にあると言えるだろうか。

武士の議論は、刀を脇において戦わず。
常に、抜刀を覚悟の上で激論を交わす。
いつ相手が刀を抜くかわからないところで天下国家を語る。
寺田屋事件のときのように。
何事も命がけ。

三島由紀夫が言うように刀は武器だという事です。
武器だからこそ、妖しく、美しい。
包丁や鍬、鍬、鎌ではこういう風にはいかない。
思想や哲学も同様な事が言える。
要は、命のやり取りを前提としているか、否かですね。
殺気がある。

人を斬る事を目的として鍛えたという事実。それは、武士にも言える。
自分の信じることに殉じる覚悟。
生と死を見据えて。
切腹は、他国の人間は、腹切りといって恐れた。
常に、武士は、自分の行いに切腹覚悟で臨んだ。

大正の剣道はぬるい。それは、人を斬った経験のある奴が、いなくなったからだと、維新を潜り抜けたサムライが語ったと聞いた事がある。

戦後の日本人は、臭いものには蓋をしろ。
自分に都合が悪いことは見て見ぬふりをする。悪い性分が身に付いてしまった。

戦後、圧倒的の力を見せつけられ、アメリカの繁栄と、民主主義思想を植え付けられた。
それが、自分達を卑下し、自虐的な精神まで植え付けたのか。
真に、民主主義や自由主義を受け継ぐのならば、自分達で自分たちの国を護る事が独立の基本だと言う事も学ばなければ。

ウクライナへロシアへ侵攻した際、国際世論がこれだか反対し、情報網も発達したんだから、プーチン大統領の支持率は下がるはずといっていた某国立大学の脳科学者が言っていたけど。
戦争という事が何もわかっていない。
英米を敵にして戦った日本だって戦時中は国策に忠実だった。
なぜ、なんの為に戦ったか一兵卒の志を知ろうともせず。
ただ、国策に従ったから愚かだったと決めつける方が愚かだ。

ロシアだって自国の都合、条件、考えで侵攻しているので、ウクライナだって自国の都合、条件、考えで行動している。
ウクライナは、三日と持たないと得意げに解説していたニュースキャスターもいた。
日本人の危機感のなさだけが際立ったに過ぎない。

親父たちにとって、国防は現実でした。
なぜなら、親父たちは戦場に立たされたからです。
私の叔父も学徒出陣で、戦場に行きました。
戦時中の学生も国防は現実。
母たちに祈りも現実です。
そして、今も、日本以外の国では現実です。

台湾だって、韓国だって、国民は、真剣に防空訓練に取り組んでいる。

戦後、日本には、妙な神国思想に憑りつかれているのではないのか。
自分達は理想を掲げ、相手国を責めたりしない、武装だってしていない。
だから、どこからも攻めてはこないと。

アメリカだって、中国だって、ロシアだって、ドイツだって、イギリスだって、ウクライナだって、自国の都合、思想、戦略、政策で敵国を攻めてくるので、どこを敵とみなすかも自分で決めている。
その上で、相手国の都合、思想、戦略、政策を検討するので、相手国の都合なんて斟酌していたら攻めてなんてこない。

自分達が武装を放棄し、平和憲法を掲げていると言うのは日本の言い分であり。
侵略しようとする国から見て、何の抵抗もしないと言うのなら、好都合なだけに過ぎない。
ウクライナがいくらロシアを攻めないと言ったところで、ロシアは、自国の都合で侵略するのであり、そこの掲げる大義は、自国民向けなものである。
それが、冷徹なる現実で。

自分達が現実を直視しないで、いかに現実離れしているか。解ろうともしない。
現実から目を背け、自分の世界に閉じこもり、なるべく、自分に都合の悪い事は観て見ぬふりをしようと。
世界は向こう三軒両隣だけで成り立っているわけではない。
それを島国根性というのだ。
いくら自分たちが平和主義で、武装をせず、敵対したない、暴力反対と叫んだところで、相手には相手の都合や考え、戦略、政策があって、日本の事情や考え、都合など通じない。
日本を攻略する口実なんていくらでも作れる。
いう事きくか聞かないかの問題でしかない。
そんな事は、大人なら誰でもわかる道理。
それをあえて、日本は平和憲法を持っているのだし、武装も放棄しているのだからなんて言うのなら、それは、やっぱり、戦前の神国と同じ発想。
現実離れしている。

確かに、他国が日本を攻めてきたら、五十%以上の支持を失うかもしれない。
妻子を捨てて逃げ出す評論家がいるかもしれない。
他国に内通する政治家も出るかもしれない。
しかし、それは、日本の話で。
ウクライナが、ロシアから侵攻を受けた時、ウクライナ国民の為に、早く白旗を掲げるべきだと言った、政治家がいたくらいだから。
ただ、日本以外の国は、結束して外敵と戦うであろう。
それは、日本以外の国の国民は、現実を知っているから。

この国から、本当の武士がいなくなり、日本刀に、床の間を飾る価値しか見いだせなくなったら、日本人の魂はそこで尽きます。
腑抜けになるだけです。
武士の志を学ぼうともしない。
日本人の魂が失せた時、日本は独立と主権を喪い。亡国の時を迎える。
そして、日本の植民地化、隷属化は完成するのです。
どの国に隷属するかの問題でしかない。

人は、命と肉体を与えられて生まれる。
命は、魂であり。心や意識、精神の源となる。
魂のない肉体は、屍であり、朽ち果てるだけ。
魂があって肉体は生きる。
心は、志の源泉となる。
生まれた時は、無垢なる魂を持つ。
これが始まり。

日本という名が残っても魂がなくなれば、屍です。
私は、祈りを込めて日本人の刀を鍛えて欲しいのです。
祈りの対象としての剣が欲しいのです。
誰もわからなくてもいい。
無為でもいい。
ただ、私は祈りたいのです。
例え、最後の日本人となっても祈りたいのです。

今の日本の若者は、魂を抜かれてしまい。眼が死んでいます。
誰がそんな国にしたのか、自分にはわかります。
私は、戦後の日本を見てきたのです。
そう言う国にしたのは俺達。

刀を鍛える前に、人を鍛えなけらないけれど、この歳の自分には残された時間があまりない。
どれでも、世の為国の為、死ぬまで働く覚悟はあるが。
日に祈り、日々に祈り。今できる事をやるしかない。

世の為人の為とか、国の為と巧妙に言えないようにしている。
今、憂国とか愛国なんて言おうものなら極悪人のような扱いですよ。
そうでなくとも、変人奇人、ちょっと頭がいかれている。
あまり近くに依らない方がいい。

若者たちは、人の役に立ちたいとか、世の中の役に立ちたいと思っても頭から否定される。
それも学校や世間から。
どうせ、自分の為でしょ、お金が目的なのでしょと。
経営者が、社会に貢献しようと思っても、偽善者と罵られる。
日本人には、キリスト教徒やイスラム教徒の様に、寄付とか、慈善という思想がないから売名行為とか、罪滅ぼしとしか受けたられない。その為に自分は誰の役にも立っていない、必要とされていないと思い込む。

今の、日本の鍛冶は、なぜ、刀を鍛えるのですかと聞かれたら、自分の為にと答えるのだろうな。

世の為、人の為、国の為が言えなくなったら、残るのは、自分の為、金の為ですよ。
だから、思い返せば、自分の為、自分の為と育て。
人の為などというと切れごとを言うな金の為だろと反論されて何も応える事も出来なかった。
だから、ビック・モーターの話も、金か、自分が基準で。
その癖、暗に世の為になっていないと。
みんな逃げているんですよ。
その裏に、猿之助の事も、新宿の事もある。
要は、何故、誰の為、なんの為があからさまに言えない。
そうやって、じりじりと日本人の魂をですね蝕んできた。
もう、人間としてですね。
ただ、彼らは人間性とか人道主義を逆手に取るから巧妙なんです。
9.11の時、そしてトランプ大統領の件、いずれの時もアメリカで愛国心、国家への忠誠が問われて。日本人、びっくりしたんですね。
今も、オッペンハンマーの映画で。
原爆で日本人がどれほど死のうとですね、大多数のアメリカ人、外国人からしてみたら、どうと言う事ない。
日本人が何も知らない、騙されているだけなんですよ。

自分の仕事に誇りを持ってほしい。
誇りを持てるようにしてほしい。
自分の国に誇りが持てるようになってほしい。
誇りの持てる国にしてほしい。
だから、俺達は侍の末裔であることを忘れないでほしいと祈り続ける。

今、日本刀を買う人はどんな動機で買うんですかね。
ヤッパリ、日本刀は、武士の持ち物ですよ。
武士以外の人が、どんな目的や動機で日本刀を買うのでしょうか。
そこに魂を感じられない。
結局、美術工芸でしかなく。
何故、武士は、刀を腰に差していたかなど、どうでもいい事なのですね。

武士以外の人間が、刀を買う目的なんて、本来ない。
魔除けぐらいでしか。

今の、日本人は、自衛隊の意義も、床の間を飾るのか、魔よけくらいにしか思っていない。
本気で国を護ろうなんて思っていない。
意味もなく、合憲か、違憲かと。
原則論のごとき議論をして、戦略も、政策も何もない。
だから、議論に、魂も現実味もないのです。

現実味も魂もないのに、自分達は、現実的なのだと、真顔で信じて。
事実に基づいて話す人を非現実的と排斥する。
それを狂気といわずに、何というのだろう。

今、日本から職人がドンドン減っている。
それに変わって増えているのが、サラリーマンであり、工員である。
どこが違うのかというと、職人の魂。職人としての誇りが失われたことである。
恥を忘れたことです。

仏作って魂入れず。

刀の鍛え方は伝えられても、職人の魂は伝えられない。
それは、侍がいなくなったからです。

嗚呼、英霊達よ、我が祈りを聞きたまえ。
この地を鎮守する神々よ。精霊たちよ。力を与えたまえ。助けたまえ。

参考までに、神棚に対する祝詞

家の神様に唱える「神棚祝詞」

此の神床に坐す 掛けまくも畏き(これのかむどこにます かけまくもかしこき)
天照大御神 産土大神等の大前を 拝み奉りて(あまてらすおおみかみ うぶすなのおおかみたちのおおまえを おろがみまつりて)
恐み恐みも白さく(かしこみかしこみももうさく)
大神等の広き厚き御恵を 辱み奉り(おおかみたちのひろきあつきみめぐみを かたじけなみまつり)
高き尊き神教のまにまに(たかきとうときみおしえのまにまに)
直き正しき 真心もちて(なおきただしき まごころもちて)
誠の道に違ふことなく(まことのみちにたがうことなく)
負ひ持つ業に励ましめ給ひ(おいもつわざにはげましめたまい)
家門高く 身健に(いえかどたかく みすこやかに)
世のため人のために尽さしめ給へと(よのためひとのためにつくさしめたまえと)
恐み恐みも白す(かしこみかしこみももうす)