号令も、強制も、規律も、軍隊も、単純に悪だと
今の日本では悪だと決めつけている。それが世界の常識だと。
問題は、誰がいい始めたかだ。
日本では、学校でも、メディアでも、号令も、強制も、規律も、軍隊も、軍国主義的で悪だとされる。
しかし、誰がそれを言い始めたのか。
それを辿ると闇に消える。
共産主義のように全体主義は、号令も、強制も、規律も、軍隊も悪どころか、守らなければならない鉄則である。
民主主義も国民国家も、号令も、強制も、規律も、軍隊も、尊重する事はあっても、否定したりはしない。
だとしたら、誰が、なんの目的で悪とするのか。
何も軍隊があるから軍国主義だと決めつかるのは、あまりに短絡的だ。
大体どんな国にだって軍隊はある。
独立を守るために。
自分達で国を守れなければ、独立国と認められないから。

世界中の国が、号令も、規律も強制も、軍隊も、愛国心も悪だとしていると日本人は思っている。
当然の事のように。
だから、日本国憲法の前文を世界の常識と受け止めている。
しかし、号令も、規律も、強制も、軍隊も、愛国心も悪だとしているのは、日本だけである。
間違いなく。
最初から日本人も号令や、規律、強制、軍隊、愛国心も当たり前に悪だと思っていなかった。
そこが巧妙なのである。
最初は、なんとなく悪いことなのかな思わせ。
それを反抗期の感情に結びつけ、やがて確信にして。
行動に結びつけて。おかしいなと思っても、集団の行動規範を変えて後戻りできないようにして、最後に制度を変える。
手先になった者も自分が手先になっていると気が付かないように仕向けておく。

内部から規律を乱し、結束できないようにするのは、政略の常套手段と心得ておく必要がある。

秩序を保とうとする事は、間違いだというのか。
家族を守ろうとするのはカッコ悪いのか。
世の為、人の為に尽くすのは、偽善だというのか。
反抗、反逆は、かっこよく。
権威、権力と言うだけで悪であり。
服従は、悪徳。
無法は、美徳。
ただ、自分の事だけを考えて。
他人の事などどうでもいいと。
自分だけを信じろと言われても、人は一人では生きられない。
人間なんてちっぽけで、弱い。
自分なんて一人では何もできない。
親も子も、愛すら信じられない。
裏切られると、耳元で囁く。

人は、汚く、惨めで、醜いもの。
信じたら、騙される。騙される奴が悪い。

勤勉、真面目、誠実、実直は、馬鹿みたい。
要領よく立ち回り。
せこく世渡りをする奴が賢い。
本当に、そう思う。
それで、自分が納得いく人生を送れると思う。
そんな生き方をしていたら、自分が信じられるものを見失うよ。

何を信じたらいいのか。
今の日本人は、信じられるものが何もなく。
自分が守るべきものもなく。
自分を守ってくれるものもない。
ただ、暗闇の中で、信じる者もなく。
漂い、怪しく、危うく。
心もとなく、やるせなく。

うっせえ、うっせえ、うっせなといたところで、虚しく。
誰もわかってくない。

耳元で、逆らえ、逆らえと囁くのは誰。
素直は、まじめは、古臭いと囁くのは誰。
正直者は馬鹿と囁くのは誰だ。

止めよう。前を向こう。
そして信じよう。
本来の自分を取り戻そう。
おかしい事はおかしい。

革命的状況とは、、無秩序で、無法で、混沌とし、暴力的な状況。
私的暴力、つまりは、無頼な輩に支配された状況を作り出そうとしているだけ。
何が、平和主義、人道主義、非暴力主義だ。
彼らの煽っているのは革命思想なんだ。

革命集団ほど、規律や規則を厳格に守る。
だから、規律や秩序を乱し、相手の過剰反応を招こうとする。
そして。彼らが作り出そうとしているのは、革命的状況。
無法、無秩序、反社会、暴力に支配された状況。
だから、テロが有効なのである。
恐怖と疑惑で社会を混乱させる。
人々の信頼の絆を断ち切り、誰も信じられなくする。
裏切り、背信、秩序を乱し、社会を混乱させる。
なんだも疑れ、騙されるな、信じるなとささやき続ける。
それだからこそ、暴力革命が成就する。
暴力革命が成就したら、強圧を持て人々を統制する。

一方で。強制は悪い。強制してはいけないと吹き込む。
強制のない国はない。
法とは、強制力によって成り立っている。
強制を否定する事は、法を否定する事である。
次に、規則を標的にする。
その先にあるのは、無法である。
それに、人権という大義名分をつける。
コロナ対策を、法を無視して自発性に委ねる。
それによって政治家は責任を回避する。無責任の極みである。
コロナ対策を、法でなく、自主的判断に任せた国は、日本を除いてない。
強制自体が悪いのではない。問題は手続きである。
自主規制なんて、それ自体違法だ。
暗黙の強制が働くからだ。
正式の手続きを経ないではたく規制、強制が横行しだしたら、この世の道理は失われる。
それ自体理解しようとさえしない。
公の手続きを踏むから、強制力は正当性を持つ。
それが、民主主義の原点である。
手続きを無視し、自主規制に社会をゆだねたら、法は働かなくなる。
いよいよ日本は無法国家になりつつある。

今の日本で統制を強化するなんて言うと大騒ぎになる。
しかし、世界は、コロナの為に統制を強化しようとしている。

形から入れ。言葉を改めろと言われた。
規制、規則は、悪いと善悪の問題にすり替える。
相手の不満や愚痴を聞いて、次に正当化する。これは、オルグ、洗脳の常套手段。

強制が悪いのでなく。乱用が悪いのである。
悪い組織、時代や環境に適合しなくなった規制や規則はあるが、組織や規制、規則が悪いわけではない。
かたぐるしい事を言うな。難しい事を。
楽しければいい。やりたいようにやれ。
だから、厭な事や、辛い事は、親にさせて、自分たちは楽しようとする。
その上、やりたい放題。
チョッとでも注意しようものなら逆切れする始末。
自主性、自発性を重んじ。
嫌ならやめてもいい。我慢なんかしなくていい。
忍耐力も、緊張に耐えられない。
道化けて、ご機嫌を伺って。
おちゃらけて。
同情を誘って。

強制が悪いのでなく。乱用が悪いのである。
悪い組織、時代や環境に適合しなくなった規制や規則はあるが、組織や規制、規則が悪いわけではない。

我々は、最初に号令の仕方を教えられた。
誰がいつ、号令するのか。
指示は号令の出し方を学ぶ事で現実化する。

号令も訓練しなければできない。
号令を訓練しないと、第一に、声が出ない。
だから、我々は、小学校の時から、号令にかけ方、整列の仕方を躾けられてきた。
号令のかけ方は、実践であり、形である。
経験的に身につけるしかない。
訓練を通じて、チームワークを身につけていくのである。
それは悪い事ではない。
逆に、身につけておかないと社会に出てから困る事になる。
これが現実である。

指示、命令を具現化するのが、号令である。

覚えておかなければならないのは、誰が、いつ、どのように号令をするかであある。
作法である。

若い頃に楽する事を覚えさせたら、一生苦労するよ。
自分の好きな事をして生きていけばいい。
自分の好きな事をして生きられればいいさ。
自分の好きな事しかしなければ生きられないのが、現実。
現実を直視しないで夢ばかり追いかけていたら生きられなくなる。
自分の限界を思い知るから、他人を受け入れ、世の中から学び人は成長する。
真剣に生きていけるようになれる。

親父たちは、世の中に出て困らないようにと厳しく躾けてくれた。
世の中に出てから耐えられないのは哀れ、哀れ。
子供に蜜を与えるのは残酷だと。

漠然と自分の考えは正しのではないかと思っている。
でも、周囲の人は表面的には、間違っているとしている。
その為に、自分の内面の思いを隠して、外面は、周囲に合わせている。
例えば、本心では規律や秩序は大切だと思ているけど、周りの人はいけない事だと。
国を愛しているけど、それを言うと、軍子主義だ、右翼だというから。
表面は、周囲の人に同調している。

それが、抑えられなくなった時、人格が破綻する。