経済というのは、生きるための活動、即ち、生活だと定義する。
「お金」は、生きるための手段であって目的ではない。
なのに、現代社会は、手段である「お金」が、目的化していまい。
本来、生きるために働いているのに、お金のために働かされている。
酷い話、「お金」の為に生きているような状態になってしまった。
それが、諸悪の根源ですね。

なぜ生きるのかと問いかけもせず、金の亡者になって、いつの間にかお金に支配されてしまう。
原始の時は、職住が一体だった、生産の場、消費の場が、不離不可分の関係にあたのが、社会が進化し、分業が始まると働く場と生活の場が分離し、分配の場である市場が生じ。
貨幣が発達したと思うのですね。
その時から、経済の本来の意味が失われてきた。

漫画が好例で。
漫画は、金儲けだけに特化したら成り立たない。
たとえ、金儲けの話でも、その裏に、生き死にの人間ドラマがあるから、成り立つのだと思う。

マネーは、名目的な事で実体を持ちません。空であり、虚です。
「お金」は、実体を伴ってはじめて価値を持つのです。
ですから、マネーゲームそのものは空であり、虚です。
マネーゲームで得たマネーにどう実体を持たせるかが、問題なので。
マネーゲームがマネーゲームでとどまっていたら虚しい事です。
だいたいマネーは負の価値しか持たないのです。

なぜ、働くのか。
それは生きる為です。
生きるという目的抜きに経済を語るのは虚しい。
人は、「お金」の為に生きているわけではない。
生きるために「お金」を稼いでいるので。
「お金」のために人生を無駄にするのは愚かさ。

狼だって、ライオンだって、猿だって、鹿だって、生きるために群れを作る。
子を産み育って、生きる術を伝えていく。
狼にも、ライオンにも、猿にも、鹿にも生活があって。
それも経済。
狼は死ぬまで狼で。
ライオンも、死ぬまでライオンで。
猿は猿。
鹿も生きている限り鹿なのだ。
だとしたら、人は生きてるかぎり人なので。
人として生きていくしかないのだから。
なぜ働くのか。
なぜ生きるのか。
退職して、金の心配をしなくていいと言われても。
生きるという事は、金だけで片付きはしない。
なぜ、働くのか。
それは、なぜ生きるかに対する、一つの答えなんだ。
だから、労働は、経済の根源的な問題。
なぜなら、働くことの裏側に生活があるから。
生きる事と、働くことは、表裏をなしている。
生きるとは…。
生きるとは…。
生きるとは…。
働くことの意義とは。