実務ができない人は、頭、出だしの部分が作れない。
すなわち、問題提起、初期設定の部分である。
ところがその自覚がない。
問題提起は、無から有を生み出すようなところがある。
気づき、発見、創作。だから、つかみどころがない。
特に、学校教育では問題設定は教えない。
学校の都合で、問題は、所与の事でないと困るからである。
問題設定は概念設計を基とする。
概念、即ち、主旨、目的、構想から問題は生じる。
問題とは解決しなければならない事だからである。
なぜ、概念が重要なのか。
概念があとの作業の基礎、土台となるからで。概念設計が甘いと後続の作業が息切れをし、続かなくなる。
概念設計ができており、目的も明確な問題を解くのは得意だが。
概念や目的が曖昧だったり、じぶんで作るのは苦手である。
そこに問題なのです。
では問題とは何か。
問題とは解決すべき事。
つまり、解決したいと思はなければ問題にならない。
問題は、異常な変化を認知した者が問題だとするから問題となるのである。
誰も、問題としなければ問題にならない。
問題とは、任意で、主観的な事で、自分がないもの、自覚してない人は、問題を認識できない。
ここが、学校で言う問題と決定的に違う。
だから、学校教育の影響が強い人は問題設定どころか問題意識も持てなくなる。
何故なら、学校で言う問題は所与の事。既に与えられた事だからである。
その延長線上で構築されAIも問題設定ができない。必然的結果だある。
技術的問題ではなく、本質的問題である。
AIによって問題は所与の事。しかし、問題は本来、任意、主体的、主観的な事である。
故に問題そのものは、自分の事。自分が解決する意思があるかないか。
学校も問題で唯一、自分の問題にする動機は試験に合格する事で。
その為に試験問題が絶対化する。それが学校の権威を支えている。
問題は自分が解決しようとしないと問題とならない。
そこが第一の課題で、問題の根底には、自分の存在、生存に対する意識が働いている。
だから動物だって問題意識はある。
ひょっとすると野生動物の方が今の人間より問題意識は高いかもしれない。
何故なら。野生動物の問題は自己の生存に直結している。
故に、野生動物も生活から問題を見つけ学ぶのである。これが学びの本質でもある。
気を付けなければならないのは、問題というのは、問題認識から結論に至るまでの過程が大切なので。
何を問題とするか、何が問題なのかを明らかにする。それが問題である。
どうやって問題を識別するのか。
問題の兆し、兆候は、どこに現れるか、それは相対的変化として現れる。
問題は、最初、異常な変化として現れる。
ただ、異常な変化というだけでは問題化されない。
この点が重要で気がついただけでは、問題化はされない。
変化と働きで、異常な働きに間にが潜んでいるのか、それを解明し、解決するのが問題提起の本質である。
問題は、異常と相対的に変化の二点が鍵になる。
なぜ、相対的変化かというと何らかの前提、条件、基準、環境、状況に対する変化で。
前提によっては静止も変化と捉える。これは物理学の慣性系の前提でもある。
異常には対極に正常がある。
つまり、何を正常とするかが問題となる。
何を正常とするか、その基準が問題となる。
このように、問題は、一つの問題が付帯的にいろいろな問題が派生する。
だから、問題化であり、問題設定が重要で。
仕事や組織、計画、システムなどの開発構築で初動、構想、概念、初期設定といった頭の部分が重要になるのである。
それで要件定義、構想が問われる。
なぜ、概念、問題設定が大切かというとここで後の作業の構想を描くからで。
ここでの構想を元に最終ゴール、ユーザインターフェースを描き、足元出だしの要件定義をするのであり。
そうしないとどこから始めるか、何から着手するかが定まらない。
取り留めなくなり、最初から混乱する事となる。
仕事や組織には、目的や動機がある。
それが問題となる。
何故なら、仕事や組織はそれ自体変化を求めるからである。
持続性、リスク、何を目標とするか。
人はこの問題の本質を理解しないと、真の自律はできない。
即ち、成長、進化は止まる。
異常がどうかを知る事ですが。
何を異常かを知るためには、正常な動きを知る必要があります。
それが予算管理であり、定点観測なのです。
それでマーキングと。
例えば、株価の異常な動きの、その動き自体が影響するといううより、その異常な動き変化の裏で何が働いているか。
その原因を知り、それに対処するかです。
その為に、その変化を異常だとし、問題化するかどうか。
そこがポイント、動機です。
その動機が働かないと、正しい問題提起ができません。
例えば、AI脅威論は。問題設定、および前提に間違いがあります。
学校の優等生らしく先に答えを出して、問題を設定しています。
今さら、AIに存在を問うのは酷ですし。大体存在を認めもしないで。
前提が違います。
AIの存在を前提としなければ問題設定そのものが成り立ちません。
だから、概念設計、構想、問題設定が重要なので。
また問題は体系的なのです。
問題の構造、構成を知り組み立てられるようにならないと。
概念設計、構想を練る過程で、問題設定をし、構想を固める。
それにに基づいて中間の段取りを組み立てるのです。
問題、八分と言われなんてましたから、問題設定がしっかりできたら八分問題は解決すると。AI脅威論なんて問題設定をしなおせば九割がた解決しますよ。無論一割がたは残りますが、そこが問題なのです。
問題設定を間違わなければエネルギーの節約になりますし。無駄なエネルギーは使わない。これに徹しないと。
だって信じられないと言えば、どこまで行っても信じられないし。信じられればそれで解決してしまう。信じられないという人と信じられる人の議論は永遠に平行線。対話して解決できるなら解決する。対話では解決できないから他の要素が必要なので。対話で解決できるなら、ウクライナだってガザだってだとしたら何が問題の解決の糸口になるかを考えるのが賢明なので。
不毛な議論を避けて現実的な解決の糸口を探す。トランプ大統領のやり方は別にしても、問題が解決の方向に動いていることは確か。問題はやりかたですけど。だったらやり方を議論すべきで。
問題設定の重要性がですね。結構、問題文が重要になるんです。例えば、戦争を問題にするなら、戦争の背景や前提、原因といた部分をどう総括するはですね。少なくともトランプ大統領の問題設定は単純。それが悪いとは言い切れません。
結論が出なければ、問題を見直せ。これも鉄則のはずですがね。
ちゃんと問題設定をしないから出だしで躓く。糞詰まり(失礼)状態になる。しまいに爆発しますよ。
土台、最初から間違っているので正しい結論は期待できないし。たとへ正しい結論が出たとしても根本の問題は解決できない。主客転倒が防げないから。
自分は自分になるのです。一度、自分を自覚し、自分の真の姿に目覚めたら、今度はその自分に身をゆだね、自分を忘れる、これが忘我の境地です。そうれば、自分が一体となり、存在を存在たらしめる何者かの存在とも一体となる。その時自他の境もなくなるのです。
今の自分に迷いがなくなる。
自分に正直に生きれば。素のままで。装う事もなく。あるがままで。
人は、自分が外に写された姿、地位とか、名誉とか、富とか、それに一体化を求めるから、写された自分の姿に囚われる。自分の存在そのもの自分を投げ出せば何者にも囚われなくなる。外に写された姿は虚像。真の姿は自分の内にある。
実際のシステム開発を仮想空間の中で追体験をさせたい。それで問題設定の話をしました。問題設定をするためには自覚する事が鍵です。
現実の問題さ。現実にね。人は快くは思ってはいないさ。だから現実に頼れないと思うよ。それはねシステム開発した人も同じ。
だから一通り。開発の仕事を追体験しておいた方が。それと組織はすべてのシステムの原型なんだよ。