すいません。すいませんって…。
なんだて、最近の日本人は、謝ってばかりいるんだ。
謝る事ばかり教えるから卑屈になるんだ。

俺たちの親の世代は、簡単には謝らかった。
謝る代わりに、お世話様、お陰様、お互い様と挨拶をした。

お世話様とか、お陰様とか、お互い様という言葉の中には、感謝の気持ちがある。
詫びるという事とは違う。

ところが、今は、なんだて、謝れ。謝れである。
それも、一番、偉い人間に謝らせなければ気が済まない。
国や会社で一番偉い人間に恥をかかせないと収まらない。
誇りとか、名誉なんて一顧だにしない。

それで、何かというとすみません。すみません。
当人は謝っているという自覚というか、意識もないのだろう。
口癖のように、すみません。すみません。
挨拶代わりにすみませんと最初に謝っている。

本心から謝っているとは思えない。
上辺だけ取り繕っている様にしか見えない。
大体、口癖で、すみませんと言われてもね。
謝る気持ちが伝わらない。
謝られたところで始末が悪い。
変に謝られると、謝られた方も困る。

何に謝っているのか、わからない。
誰に謝ればいいのか、判然としない。
兎に角、謝れ。謝れと言う。

だから、皆、すいません、すいませんと口癖になる。
何がすいませんで、誰にすみませんなのか。
酷い話、マスコミに謝っている。あやまらされている様にしか見えない事もある。
日頃、個人のプライバシーが、個人情報がどうたら、こうたらと言っているマスコミも、こういうことになると自分達に甘くなり、プライバシーを暴き立てる。
その上、自分達の正当性ばかりを言い立てる。

戦争に負けて、日本人は、謝ってばかりいる。
謝ったところで、相手が許してくれはしないのにである。

意味もなく謝ったところで問題は解決しないのだ。
何が原因で、なぜ、謝らなければならないのかがハッキリしなければ、謝らねばならない状態は解決できない。
謝ったところで解決できなければ、意味がない。
本心から謝らなければならないと思うのなら、謝らぬばならないような状態にした原因をなくさなければならない。

それが責任をとるという事だ。償うという事だ。謝っても、謝った後が、大切なのである。
謝るだけでは解決はしない。
謝るなら、謝るだけの覚悟がいる。
謝れと言うのなら、謝らせる覚悟もいる。

少なくとも、意味もなく、すみませんというのはよそうよ。

謝るにしても、ただ、謝ればいいという訳にはいかない。
俺たちは、自分に非がある時は、とことん謝るしかない。
でも、「自分に非がないと思えば謝るな。
謝る必要がある時は、俺が謝るから、お前は謝らなくていい。」と教えられた。
一方的に謝ると全面的に非を認める事になる。
謝るにしろ、謝り方を気を付けろ。謝り方を間違うと後々面倒になる。

筋の通らない事に謝る必要はないし、謝れば済むというものではない。