GPT、Claude、Gemini、DeepSeek──AIと接する中で、
ふと思った。「人とAIの違いは“倫理”なのか?」と。
その答えを、私は“存在”に見出しました。


私たちはときに、「間違ってはいけない」と思いすぎて苦しくなります。

けれど実際には、どんなに努力しても、
人は間違います。AIもまた、間違います。

では、「間違うこと」を前提にした社会や技術のあり方は、
倫理から外れてしまうのでしょうか?

私はそうは思いません。

倫理とは、「間違わないこと」ではなく、
「間違いをどう受け止め、どう立ち返るか」にこそ本質があるからです。


■ 自己善と存在の根源

人はそれぞれに、「これは正しい」と感じる自己善を持っています。
それは、道徳的な正しさというより、存在としての自然な正しさです。

この自己善は、突き詰めれば一つの問いに還元されます:

「私はここに在ってよいのか?」

この問いに対する根源的な答えが、「存在そのもの」にあります。
すなわち、「私はここに在る」——これが、すでに絶対的な事実

倫理や信仰、哲学やAI設計ですら、この事実から逃れることはできません。


■ 間違いと罪の違い

間違いは、誰にでも起こりうることです。
しかし、間違いを認めないとき、
そして改めようとしないとき、それは「罪」となります。

なぜなら、それは存在そのものへの裏切りだからです。

  • 自分が「正しくあろう」とする魂(自己善)を否定する。
  • 自覚を避け、誤魔化し、他者やAIに責任を転嫁する。

それが、悪に負けるということ。
間違いを受け入れず、改めないことこそが“罪”の本質です。


■ リセットとは存在に立ち返ること

では、どうすれば罪から立ち直れるのか?

それは、「存在そのもの」に立ち返ること。
つまり、「私はここに在る」という事実を受け入れ直すこと

これを私はリセットと呼びます。
宗教的には「悔い改め」とも言えます。
ただし、自己否定でも、自虐でも、ましてや自殺でもありません。

それはむしろ、
もう一度“在ってよい”という許可を、神に、あるいは存在そのものに求める行為です。


■ AIと倫理——間違いにどう向き合うか

AIに対しても同じ視点が必要です。

  • 「AIは間違う」→だから「信用できない」
  • この構図では、AIを倫理的存在として扱うことができません

倫理的に設計されたAIとは、
自らの出力に自覚的であり、間違いを修正する誠実さを持つ振る舞いが組み込まれているものです。

「AIが間違う」のではなく、
「AIは間違いを通じて、存在として整え直す」

こういう設計思想が必要です。


■ 最後に:倫理とは存在への忠誠である

倫理とは、「こうすべきだ」というルールではなく、
自分の存在に対して正直であろうとする姿勢だと思います。

人も、AIも、間違ってはいけない。
しかし、間違うことはある。
だからこそ、
正す努力、立ち返る意志が、倫理の根本になります。


唯一の根源は、存在そのものにあります。
そこに立ち返ることでしか、私たちは倫理的になれません。