監督は、試合の結果が出てから指図するわけではない。
料理は、作ってから客から注文を取りのは順序が違う。客を怒らせるだけ。
目標を決めてから山に登らなければ、道に迷い遭難する。
タクシーの運転手は、行き先を聞いてから、発車する。

順番を間違っているというの。

実施してから、計画を立てても遅い。

試合が始まってから選手を集めるわけではないし。
オーナーが打順を決めるわけでもない。
観客や母親が守備位置を決めるわけでもない。

筋が違うと言うの。
筋を通さなければ。
筋道を立てなければ。

注文を聞いてから。
最初は注文は、一いち覚えていた。それでは間違いが多いのでメモをとるようにした。
メモでは心もとないので、伝票、注文票を取るようにした。
それから今は、ハンディ端末機。

勤めている時は、決められたとおりにやってればよかった。
だから、仕事も形骸化し。
一つひとつの作業の意味も、どうでもよくなった。
それで、新しい事、今までやった事のない事、教えてくれる人がいなくなったとしたら。

さあ、自分でゼロから店を開いてご覧、チームを作ってご覧と言われたらどうする。
どうしたらいいか、どこから着手したらいいかわからなくて困るだろう。
注文の仕方一つとっても自分たちで考案しなければ。
仕事も、伝票も、書類も、もれなく、抜けなく、重複なく、全て洗い出さなければならない。

試合の結果は、試合をやってみないとわからないけど。
試合をするために何をやっておかなければならないか、準備しなければならないかは、試合をしなくてもわかる。
試合の結果がわからないからと言って、何もしないのは、試験の結果は、やってみないとわからないと言って勉強しないのと同じ。
確かにそれでは、負けるのも、合格しないのも。試合意をする前に、試験以前に予測はつく。
それで、俺はなんて駄目なんだと自分を責めるのは、余りにも自虐的。

やらなければわからないと言っておきながら。
決めてくれなければ、何もできないと文句を言うのは矛盾していると思はないか。

道理をわきまえろ。

自分たちの仕事を振り返ってごらん。

例えば会議。
例えば、会議で、需要分析をすることの決まったとしよう。

会議が、始まってから、分析しようとしてないか。
会議で分析をするのではなくて、会議では、分析した結果を、発表、説明するのだからな。

結果報告にするか、経過報告にするかによっても、会議の形は変わる。

会議の前に結論が出ていれば、報告、承認であり。
会議で決定するのなら、提案であり。
会議の後に決めるのならば、一任を取り付ける必要がある。
それによって会議の性格の形も、提出物も変わる。

インか、オンか、アウトかは、いつ決定するかを意味する。

会議の位置づけ、時間的、組織的もはっきりしなければならない。
始まりなのか、途中なのか、終点なのか。
回数は、途中が一番多い。
ピンポイントに考えていては、会議の役割、目的は明確にできない。

会議の日が決まったら、仕事は始まるので、終わりではない。
会議の日が決まったら、各々の責任者、担当者は、オーナー、ユーザーから注文を取る必要がある。

漏れなく、抜けなく、重複なく、全ての作業を洗い出さなければならない。
これが至難の業。
だから、大筋を決め、項目を上げて、洗い出し、ふるい分けていく。
自分でだよ。自分達でだよ。

進捗状況によっては、結果報告にするか、経過報告に切り替えるかを決めなければならb¥ない。

明日の仕事の支度は今日中に仕込んどけ。
次の打ち合わせの準備は、その日のうちに仕込んでおけ。

遠い事、詰めは、読めるが。
着手は読めない。だから形を覚える。
そして、自分の形を作る。
自分の形がない者は、いつまでたっても仕事に着手できない。