現代社会には、数があふれている。
数に支配されていると言っても過言ではない。
しかし、数について我々は、正しく理解しているであろうか。
数値で表されると、なんでも、もっともらしく聞こえてしまう。
しかし、数の根拠を我々は、正しく理解しているとは思えない。
それなのに、数値で表されるともっともらしく聞こえるのはなぜなのだろうか。
数には、圧倒的な説得力がある。

大体、数の正体だってはっきりしてない。
数は一定しているのか、絶え間なく変化しているのか。
数は、値なのか、量を表しているのか、位置を表しているのか。
数は、点の集まり、それとも、長さを表しているのか。
数は連続体なのか。不連続な点の集まりなのか。

数字は文字よりも長い歴史を持っている。

数に実体はあるのか。

数は存在と認識の関係から生じる。
存在と認識の関係を前提とした論理によって成り立っている。
故に、数は哲学的なのである。

認識は、意識を生む。
存在は、絶対であり、無分別である。
無分別では、対象を識別する事はできない。
故に、対象を分別する事で相対化し、対象を認識する。
対象を認識する過程で数は生じる。
その結果、数は、相対的になる。

一が、二となり。
二が、三となる。

一が生じて、二が生じる。
二が生じて、一が成り立つ。
或いは、全一を、割って二が生じる。
数は、他の数があることで成立し、単一では成り立たない。

数は、連鎖し、分裂して拡大する。
数は、一つの塊、集合として準備される事で独立した体系となる。

全体と部分があって数は成り立つ。
一つひとつの数は部分である。
一は、一だけでは成り立たない。
一は、二があって、三があって成り立つ。
数は単位である。

絶対的存在を認識する過程で相対化し、論理の前提とすることで数は成り立っている。
故に、数は、相対的であり、認識の手段であり、かつ、論理的な体系である。
数は単一では成り立たず、複数の要素の関係と働きによって成り立っている。
数は複数の要素が組み合わさり、体系化されることで形成される。
数の体系は、一定の規則があり、構造があって成り立っている。

数の体系は、論理的整合性が求められる。
数は、論理的構造は内包する。

数には体系や構造がある。
数の体系や構造を明らかにしないと、数が表す事を正しく理解する事はできない。

数を存在させているのは数自体なのか。
例えば、一は一として存在しているのか。
それとも、何らかの根拠、実体、存在があって成り立つのか。

お金も同じ。
お金は、お金として存在するのか
お金の価値は相対的に決まる。
これが重要なポイント。

お金に実体があるのか。

要は、百円は、百円としての価値を固有にもつのかである。
百円が百円の価値を持つのは、その時点で百円の価値を持つ対象を表象しているからである。
お金が単体では成り立たない。
百円の価値は、百円と交換する価値のある対象があって成り立つ。

ちなみに、百円硬貨には、百円の価値はない。
千円札には千円の価値はない。
お金の実質的価値と名目的価値の差は、貨幣の発行者に通貨発行益をもたらす。

お金の働きは、数の働きに準じている。
数の本性は、働きである。

数に実体はあるか。
数は、写像される事で成立する。
数は、写像によって生じた影なのである。
では、写像とは何か。
写像について述べる前に、数について、少し述べておきたい。

数は、名目的事であり、実体のある物ではない。
数の本質は、関係と働きから生じる、故に、数は相対的である。

人は、純粋に数学として数を語る時、一般に、実体を捨て、忘れる事が多い。
しかし、現実は、違う。
りんごやバナナを区別しないで足し算や引き算をしているわけではない。

十個の林檎の集合は、数学的には、十年後も十個の林檎の集合に変わりがない。つまり、不変。
しかし、現実には、目の前にある十個の林檎が、十年後も変わらないと思う人は、おそらくいない。

実際の数は、単独で成り立っているのではなく、いくつかの数が組み合わさる事で成り立っている。
例えば、身長や、体重、年齢、成績等、いくつもの数が組みあわされることで意味を持つ。
また、売上も、金額だけでなく、数量、時間、位置等の定量的情報だけでなく、色やデザイン、品質の等級等の定性的情報を複合する事で数は実際的な働きをする。
位置情報も、単一でなく、いくつかの数が組み合わさる事で意味を持ち、さらに、位置を表す数の数がその数の次元を規定する。
だからこそ、どの数の体系を用いるかが重要な意味があるのである。

現実の数学は、1+1が2になるとは限らない。
数の上だけで数学を考えていたら、数学の本来の役割を理解する事はできない。

投手という投手はいない。
投手という名の投手はいない。
実際の仕事を機械的に一律に扱うことは難しい。
でも、投手の働きや役割を抽出し、標準化する事で組織を機能化している。
数も同じである。
数は、その背後にある実体を反映した物である。

何を見るのか。
一人ひとりの人間の性格や能力に着目するのか。
それとも、人間関係に注目するのか、それによって見える世界が違ってくる。

一や二があるわけではない。
あるのは、一とする、二とする合意、約束であり。
任意な合意が、数の前提である。
それは、ONE、TWOでも同じ。

数は、数値化したい対象と目的があって成立する。
対象は、数に置き換えること数値情報に変換される。
数値情報の集合は、雲のような状態を呈する場合がある。

数値化する対象が有限か。数えられるか。
数を使う目的は、何か。
対象や、目的によって活用する数の体系を選択する。
数の体系を選ぶ場合は、何を、どのような目的で、どのような基準で、どの様に用いるかを明らかにする必要がある。

お金は、有限である。
無限数にはならない。
お金の用途が分配であり、需給、生産量と消費量によって価値を測る尺度だから、上に閉じている必要がある。

自然数しか認めないという人もいるが。
実数でなければ説明も証明もできないという人もいる。
数学の世界では、論理的整合性を保つ為に、色々な数が存在する。
しかし、現実の世界では自然数で充分であり、あとの数は切り捨てられる。
この割り切りが大切なのである。

数の体系には、自然数、整数、有理数、実数、複素数、四元数、八元数、十六元数、ベクトル、行列、テンソルなどがある。
自然数とは、数える数、数えられた数とする。自然数は、一般に、数を風る時に餅られる数であり。対象が一つひとつ独立して存在し、数えられる事が、前提条件となる。
自然数は、負の数がない。
分数とは、分割された数、分割する数だが、数に置き換えあた時、割り切れるとは限らない。
比は、分数の根拠となる。

数の体系は一種類ではない。
数は、一つの体系ではない。
数は、手段、道具である。
数は、合目的な手段である。
この点を錯覚している人がいる。
数は、対象の数を数えたり、測るための手段の一つとして成立した。

長さや体積を測る場合の数と物を数える時の数、平均を表す数は違う。

自然数より、整数や、実数、複素数の方が進化していると言うわけではない。

数の体系を選ぶ場合は、何を、どのような目的で、どのような基準で、どの様に用いるかを明らかにする必要がある。

経済で用いられるのは、主として、自然数である。
自然数は、物を数える時の用いられる数である。

百円では、二百円の林檎は買えない。
つまり、二百円で、百円は引けないのである。
この性格があるから、経済取引に自然数が用いられるのである。
また、自然数は、割り切れないから、余りや残高が重要となる。
この性格も、市場取引では重要な意味を持つ。
数は、何に用いられるかを抜きに語れないのである。

経済の変化は、幾何級数的変化が基本。
経済は指数的変化。
対数グラフにすると見えてくる。
また、指数関数と線形関数と関係を解析することが求められる。

我々が見慣れている十進法も絶対ではない。
数の働きからしたら十二進数の方が適している。
なぜなら、十は、約数は、一、二、五、十の四つしかないが、十二は、一、二、三、四、六、十二の六つある。
英語には十二進数の名残がある。
ちなみに、六十の約数は、一、二、三、四、五、六、十、十二、十五、二十、三十、六十の十二あり。しかも、一から六まですべて約数である。
今、コンピュターの世界では二進法が主流だし。
時間の単位は、十二進法と、六十進法を組み合わせたもの。
簿記も一種の数の体系と言える。

数は、いくつかの数の体系を組み合わせて用いられる。
好例が時間である。
時間は、一分、六十秒。一時間、六十分。ここまでが、六十進法。
そして、一日、二十四時間で十二進法。
一週間、七日の七進法。
ここまでは、一定の周期が保たれているが、一か月の単位から、一定期間ではなくなる。
この様に、数は、目的や働きの応じて、数の体系を組み合わせて用いられる。

我々が今住んでいる世界は、十進数の世界だと言う事、この点に注目する必要がある。
二進数の世界でも、十二進数の世界でもない。
そこで扱われている、物理定数も十進数であるが、情報通信の世界には、二進数が入り込みつつある。

なぜ、十進数が普及した中というと、数の成立が関与していると思われる。
つまり、数えるという行為があってその行為に手の指が用いられた事が考えられる。

数は、目的や働き、数えるという働きが先にあって成立した。
数は、目的や働きを前提として成り立っている。

数論というのは数の体系間の整合性を保つためにある。

数が普遍性を持つのは、数が実体を持たない事と働きにあるといえる。
そして、数は相対的なのである。

また、数は、対象を相対化する。

人は、目的や対象によって数の体系を無意識に選択して使い分けている。
熱を測る時の数の体系と、お金を勘定する時の数の体系は違う。

経済の取引に使われる数は、自然数だが、経済分析に用いられる数は、実数である。
経済の取引で自然数が用いられるには理由があり、経済分析に実数が用いられるのにも理由がある。
主として割り算と負の数の扱いに起因する。
要するに、経済取引には、割れない、割り切れない事があるのである。引く事のできない事、引くに引けない事がある。

自然数は、加法と乗法について閉じており。減法、除法のおいて閉じていない。
その性格が経済を扱う数として有効なのである。

二分の一と三分の一を足すと六分の五と決められている。
しかし、濃度は違う。
二分の一と三分の一を足すと五分の二になる。

数は、数える事と測る事を目的に発生している。
それは、数の性格に影響し、二つの体系を生み出した。

無意識に数える数と測る数を使い分けている。

測る数で重要な働きをするのは、秤(ものさし)や物差しである。
お金は、経済的価値を測る秤、尺度である。

数論というのは数の体系間の整合性を保つためにある。
単純に数学上でだけ成り立っているわけではない。

集合に基づく数の定義と線分に基づく数の定義は違う。

数を数えるための数と対象を測るための数とは、本質が違う。
数えるための数は、数えられる事が前提となり、集合を基礎におく。
測るための数は、測れる事を前提とし、幾何を基礎とする。
数を数える時の数は、不連続な数であり、対象を測る時の数は、連続な数である。

測る数とは、測られた数でもある。
測るためには、連続した線分、幅、長さ、距離などが前提となる。
重量とか、熱量とか、温度等、目に見えない距離も含まれる。

離散数と連続数がある。
離散数の基礎は集合であり、連続数の基礎は、図形である。
離散数の基礎は代数であり、連続数の基礎は幾何である。
離散数で基準となるのは、差であり。離散数で基準となるのは、比である。
連続数と離散数とでは演算の性格が変わる。

数えるという行為は、現代人は何気なくしている。
しかし、数を数えられるようになるまで、人類は、計り知れないほどの時間を費やしている。
そして、数えると言うのは、数の本質にも大きく影響している。

物理的対象の測定は、測る数が使用されるのに対して、経済的価値の測定は、数える数が使用されるのが基本である。

お金は、貨幣価値を測る尺度である。
お金の単位は、離散数、自然数である。

お金は、物理的量と掛け合わせる事で効用を発揮する。

貨幣価値は、離散数であり、自然数である。
故に、過不足算、残高主義である。

数の働きの第一は、識別にある。
数を、数えるにしろ、測るにしろ、対象を他と識別する必要がある。
識別する過程で対象は相対化する。
対象は相対化することによって数を抽出する。
数は、対象を相対化する。
識別された対象を根拠に数は位置づけられる。
位置づける事で、数に順序が生じる。
位置は、相対的に定められる。

順序付けがされる事で数には、体系や、構造が付加される。
数は、基準を形成する。

数には、計量数(集合数)と順序数がある。

数は、数えるとか、測ると言う働きから、全体をどう設定するかが重要となる。
そして、全体が有限か、無限かによって数の体系も変わってくる。

数に限りがあるのか。
或いは、数に限りはないのか。
これも、普遍的、絶対的な事と決めつけられない。
相対的で任意な事である。
前提や、目的によって変わって変わってくる。

相対的で人為的な存在と考えるか、それとも普遍的で所与の事と捉えるか。
この問題は、近代的国家にも通じる。
国は、人為的で相対的な存在なのか。それとも、普遍的で所与の存在なのか。
それは前提に問題ある。
前提によって変わる。

数は、基準を形成する。

対象を測る目的の数もある。
測られる数でもある。
例えば、√2である。

幅、すなわち、長さのある数がある。
幅のある、数は、量を表す。
この様な数は、単位を形成する。
幅のある数は、働きを量化する。

幅のある数は、線分を形成する。
数には、点を表す数と線分を表す数がある。
点が表す数と、線分を表す数は、目的や対象によって使い分ける。
対象を測るのも、目的によって、点で測るか線分で測るかを任意の決める。
線分を表す数を複数組み合わせると空間が生じる。

数は、点と線と面、空間を形成する。

線分を表す数は、働きを表現することができる。

単位は、一定の間隔か、要素によって定まる。

時間や、距離は、一定の間隔によって定まる単位であり。
作業は、一定の働きによって定まる単位であり。
国は、一定の属性によって定まる単位である。

数から、差と比が生じる。
数と数を掛けると価値が生じる。

数は演算を可能とする。

数は全てを抽象する。
全ての価値を還元する。
数は、大小を比較する事が出来る。
数は、順番、順序を定める。
数は、位置や空間を特定する事が出来る。

数は演算を可能にする。
演算の根本は、分割と結合、組み合わせである。
演算には、加算、減算、掛け算、割り算がある。

演算には、結合法則、交換法則、分配法則等があり、これらの法則は数の体系の論理的枠組みを構成する。

分割には、分解と分類がある。
数は、対象を分解し、分類する。

数える事を目的とした数は、集合を基礎として成り立っている。
数えるための数が成立するたまには、数を数えられるようにする必要がある。

数えるというのは、数える対象の集合と、数の集合を一対一にに対応、即ち、結びつける事を意味する。
単に数えるというのならば、数えようとする対象が個々、バラバラに存在していればいい。
数えるというだけなら、統一性も、整合性もなくてもいい。
例えば、部屋にある物を数えるというのなら、部屋にある物と数とを単に結びつければいい。
厳密にいうと、物という属性に制約されてはいるが。
つまり、数を数えるというのは、数と数える対象が。一対一に結び付けらればいいのである。
この様な関係が成り立つ状態を写像関係にあるという。

市場は、物の集合と人の集合をお金の集合が仲立ちする事で成立する。
物と人は、有限な集合であるから、お金も有限な集合でないと市場は正常に働かないのである。
お金は自然数の集合であるから、上限を何らかの仕組み、制度で制約をしないと制御できなくなる。
お金の本質は、値、つまり自然数であり。自然数は、上に無限に開いているのである。

数を数えるためには、数を数える対象を、何らかの共通した要素、(例えば、人とか木とか)で抽出する必要がある。数えようとする対象の前に小石を置くような行為。小石によって数を象徴させる。

つまり、数とは、抽象である。
一や二があるとわけではなく、一とする、二とする。
それは、ONE、TWOでも、UN、DEUXでも、EINS、ZWEIでも同じ。
任意な、合意が前提である。

数は対象を分類する。

数は、一つの属性を抽出することによって成立する。
言い換えると、一つの属性を除いて他の属性を剥ぎ取る事で成立する。
数は、属性を細分化する。

次に、抽出した対象を、数と、一対一に対応させ、番号をつける。
これが、写像である。
つまり、数というの対象の持つ数という属性だけを投影する事で成立する。

これが、数が成立した、一つの要件である。

数は、一つの属性を抽出することによって成立する。
言い換えると、一つの属性を除いて他の属性を剥ぎ取る事で成立する。
数は、属性を細分化する。
数は、対象を属性によって分類し、細分化し、階層化する働きがある。

数は、階層を成立させる。
数は、階層を構成できる。
数は、階層を表現できる。

世界の人口、日本の人口、労働人口、性別の人口、静岡県の人口、静岡市の人口。
年平均、半期平均、四半期平均、月平均、週平均、一日平均等、数は、対象を細分化し、階層化する。
そして、細分化、階層化される各段階で、定義や基準を設定することが求められる。

一対一に対応させるのか。するのか。
任意なことなのか、所与なことなのか。
この点から議論が分かれるところでもある。
数は、任意な存在なのか。所与の存在なのか。

数を、数で数えるという行為が象徴している。
数を、数で数えると言うのは、数に番号を振る事を意味する。
可附番(possible number)、可算(countable)である。
また、非可算順序数がある。

規模が自然数より大きいはずの実数すべてに自然数で番号をつける。常識で考えたらいい加減な話である。
しかし、このいい加減さを呑み込まないと、数学も科学も理解できない。
要するに、無限には、限りがないのである。
厳密と言っても、数学や科学には、ある種のいい加減さが付きまとう。
物理数学で重要なのは、誤差の是正と近似である。

数を順序に従って並べると直線を形成する。
それが数直線である。
数直線を組み合わせると座標が構成され、空間を形成する。
数直線を組み合わせると、空間が設定され、位置と運動と関係を測定する事が可能となる。

対象は、何らかの属性によて抽出される事によってさらに細分化する事が可能となる。
例えば、人なら、男と女。
木なら、杉、松、檜、楡、桜、白樺等。
細分化される事で対象の特性はより明瞭になる。
数は対象を分割する。

数のこのような属性は、統計の素となる。
数の根源は、本来統計的な概念でもある。

また、数と数を掛け合わせる事により、価値の一元化を計る事が出来る。
それが、貨幣価値である。
時間とか、物とか、労働力という物の単位と貨幣単位とを掛け合わせると貨幣価値に一元化する事が可能となる。
貨幣価値に一元化する事によって時間の価値と物の価値を同一の次元で演算する事が可能となる。
例えば、馬とリンゴの価値を足したり引いたりする事が可能となるのである。

数は、対象の属性を象徴する事が出来る。
例えば、全体である。

一とは何か、ゼロとは何か。
数える数には本来、ゼロは存在しない。
位取りをする時の便宜的なゼロだけである。
測る数は、ゼロを起点としないと成り立たない。
測るための一は、一定の幅を必要とするからである。

全体を一とする場合の一がある。
また、一は、単位を表す事も場合もある。

仕事の基本は、集めて、分け(仕分け)して、計算(加工)し、再構築する。
お金を集めて、仕訳けて、集計して、決算する。
人は、集めて、グループ分けし、役割を分担し、統合する。
数も、集めて、分類し、演算して、結論を導き出す。

複数の数直線を組み合わせる事で位置を特定することが可能となる。

数字は位置を表す事もできる。
位置が定まれば、方向を定める事も可能となる。
数は、位置や空間を特定する働きがある。

数は、力や方向を表す事が出来る。
数は、力や方向を示す事で、はたらきを表現できる。

数は位置を特定する事で変化を表現できる。
変化は、時間の関数である。

位置は、高低、温度、価格、強弱、軽重、多少などが含まれ、方向は、増減、速度等が含まれる。

数には、スカラーとベクトルがある。
働きは、方向を持つ。
時間が陽に働く数を、ベクトルとする。
時間が陰に働く数を、スカラーとする。

変化を表す数を変数とする。
方向を示す数をベクトルとする。
変化に関わらず値が一定している数を定数とする。
ただし、変数と定数は前提となる座標軸によって変わる。
相対的なのである。

変数は、変化し続けている数をいう。
定数とは、相対的に位置が一定している数。
変数とは、連続的に位置を変化させている数を言う。
変数は、一定していない数。
故に、時間の関数でもある。

変数というのはジッとしていない数。
絶え間なく動いている数。
だから、極限が意味を持つ。
変数が静止して見えるのは、時間が陰に作用している場合だけ。
この点を、日本人の多くは、理解していないんではないのか。

売り上げや利益を変数としたら、利益率も変数である。
変数と変数の関係が一定であれば、定数になる。
この様な定数は、変数に対して、決定的な働きをしている。

このような定数も十進数と、二進数、十二進数で同じ値をとるのか。

変数と定数を組み合わせると数式を構成することができる。
数式は、働きを表しており、数式を構成する数の働きが重要となる。
数式は、数式を構成する数の位置と運動と、関係を表している。
数は定性的属性を持たない。
数の運動の働きは、方向と、幅で示される。

数式は、モデルである。
モデルとは、現実の現象や対象を、いくつか要素、働きに分解し再構築した形式である。
モデルは、象徴でもある。
数式は、現実の現象や対象を数の空間に写しだし、変数と定数を組み合わせた形式である。
数式の機能は、操作性と視覚性がある。

数式とは、現実の現象や対象を写しだした、モデルである。
導き出された値の働きを正しく理解するためには、数式の形や、数式を構成する要素の働きの方向や強さなど分析する必要がある。
例えば、利益率を解釈する場合、先ず、何を利益とするのか。
粗利益なのか、営業利益なのか、税引き前利益なのか。
そして、粗利益、そして、粗利益率を導き出す数式の、形と個々の要素の働き、方向、強さを見る。
何にの注目するのかによって解釈は違ってくる。
例えば、原価を構成する石油価格の動向に注目するのか、為替の変動に注目するのか、物価や人件費の動向に注目するのかで、或いは、売上に問題があるのか、市場に問題があるのか、生産性が問題なのかで利益率の変化に対する解釈は違ってくる。

野球の結果は、選手一人ひとりの働きが導き出した結果ととらえる事も可能である。
そうなると、野球も一つの数式とみる事ができる。

変化を表す関数とは、一つの集合が一定時間経過したとどのような集合に推移しているのか。
関数の一つの目的は、時間が推移する前の集合と時間が推移した後の集合を引き比べ、相違があるか。相違があった場合、どのような力が働いたのかを導き出す事にある。
故に、写像という概念、写像の在り方が鍵となるのである。

数式で重要なのは、数の働きである。
数式で鍵を握るのは、同値関係で、反射律、対称律、推移律である。
反射律、対称律、推移律、反対称律は、数式の論理構造を制約している。

数式は空間を切り取る。

経済や経営を分析する時、重要の数は、ベクトル、行列、テンソルである。

経済的実体や経営組織には、全体と部分がある。
部分を構成する要素の位置と働きと関係が全体に及ぼす影響を検証しないと、経済や経営の将来を予測し、対策を立てる事はできない。
そのためには、個々の部分のベクトルとテンソル、そして、全体の動きを表す行列、ベクトルを明らかにする必要がある。

組織を構成するのは、人、物、金、情報である。
人には、各々、役割、能力、適性があり、組織を人と人を結びつける、規則、権限、そして、責任がある。
また、報酬や評価基準、予算、実績などによって組織は動かされている。
全体としては、目的や方針、政策、予算などの働きがある。

つまり、個々の人、物、お金、情報のテンソル、ベクトル、そして、組織全体を表す行列やベクトルが肝心なのである。

数に対する認識を変えない限り、経済の問題は解決できそうにない。

だとしたら、今日の経済の問題は哲学の問題だ。