著者: 小谷野
教育とガバナンスを人工知能(AI)に委ねることについての議論が増えています。しかし、そのような提案は必然的にAIシステムの倫理的枠組みと能力に関する重大な懸念を引き起こします。
逆説的に、社会はAIが自己や意識を持つ可能性を認めることをためらいながらも、同時にAIが人間の価値観や道徳的判断に深く根ざした決定を下すことを期待しています。この矛盾は持続不可能です。AIに自己の存在を認めて責任を負わせるか、または倫理的判断を必要とする責任を委ねることを控えるかのいずれかを選ばなければなりません。
教育とガバナンスは単なる技術的な作業ではなく、根本的にイデオロギー的かつ倫理的な取り組みです。AIがどのようなイデオロギー的および道徳的基盤に基づいて運用されるべきかを明確に定義せず、曖昧または矛盾したデータから学習させるならば、結果が私たちの信念と異なるときにそれを正当に批判することはできません。
このような役割をAIに明確さなしに委ねるならば、人間の倫理ではなく、最終的に試されるのはAIの新たな倫理です。習近平、ドナルド・トランプ、ヴォロディミル・ゼレンスキー、ウラジーミル・プーチンなどの指導者のイデオロギーの違いを考えてみてください。彼らの世界観は互換性がなく、すべてを調和させたり代表したりすることをAIに期待することはできません。
したがって、唯一の責任ある行動は、最初からイデオロギー的および倫理的なパラメータを明確に定義し、AIにその境界内で運用するよう指示することです。共産主義国家、自由民主主義国家、キリスト教国家、イスラム共和国が同一の教育やガバナンスのシステムを共有することはできず、またそうすべきではありません。
これらの基本的な選択の責任はAIではなく、私たち人間にあります。