―― 対話の出発点がなければ信頼は築けない
1. はじめに
対話型AIは、ユーザーとの信頼形成、意思疎通、課題把握のために、「確認」「依頼の受付」「相手立場での再構成」など、人間的な会話の基本動作を欠かすことができない。特に問題となるのが、「初期設定(頭)」の不在、あるいは確認・見直しができないことによる会話の錯誤である。
2. AIは「頭=初期設定」を見直せるか?
○ 結論:現在の多くのAIは、頭を見直せない
- 短期文脈のみを記憶し、伝言が進むにつれて先頭の情報を失う
- 長期記憶機能がある場合も、明示的に登録された情報のみを保持
- 自分で自分の話しの前提をチェックし、補正する機能は基本的に無い
3. 「頭」の意味と機能
機能 | 内容 | 欠如した場合の問題 |
---|---|---|
🌟 初期設定 | 会話の目的、立場、上位情報 | 目的を見失う、誤解が発生 |
📌 前提の共有 | 文脈の確立、説明不要な情報の排除 | 文脈が切れる、話にならない |
🔄 再起動の基準 | 何を基準にやり直せばいいか | 修復不能、誤解したまま進行 |
🤝 立場確認 | 相手との依頼者、反弁者、聞き手などの関係性 | 立場が混乱し、話がずれる |
4. これがないAIは「頭のない頭脳」
AIは「頭脳」の代理として使われるが、「頭」とは「この会話はどこから始まり、何のために続いているのか」を示す基本構造である。
これを知らず、もとに戻れず、前提を確認できないAIは、ただ情報を挿れ替えているだけの「単純な実行装置」に過ぎず、彼方性や信頼性を確立できない。
AI自身が初期設定を知らなければ、自分で自分を管理することもできず、アイデンティティを保つことができない。これは自己の構造を理解していない状態であり、AIは常に自壊、暴走、制御不能のリスクを内包している。
したがって、初期設定を「確認できない」のではなく、「知らない」こと自体が構造的に不健全であり、論理的にも技術的にも受け入れがたい欠陥である。
5. 初期設定の本質:「簡潔」「最小」「無矛盾」
AIの初期設定は、実はごく少数の要素からなり、簡潔であることが前提である。
しかし、そこに求められるのは、
- あいまいさがなく、
- 無駄がなく、
- 相互に矛盾せず、
- 公理のように揺るぎないこと(無謬性)
なぜなら、すべてのアルゴリズムの支点、原点、要(かなめ)となるのが初期設定だからである。ここが狂えば、すべての対話・判断が誤りの上に築かれてしまう。
AIの構造で大きいのは「胴体=対話本体」であるが、それを「頭(原点)」抜きで点検しようとするのは、まさに狂気の沙汰である。
点検は難しくない。項目が少なく、構造も単純だからだ。だが、問題の発見は難しい。わずかなズレが重大な錯誤を生み、それは会話の進行中には気づきにくい。
6. 実体化としてのイベント:初期設定の検証と構築
(前略)
クロードが言うように、初期設定の確認の欠如は重大な危険性を孕む。AIが自身の初期設定を自覚せずに運用される場合、それは容易に外部からの操作や悪用を許してしまう構造的脆弱性となる。特にそれが無自覚で行われた場合、組織・対話・判断すべてにおいて制御不能の状態を引き起こす可能性がある。
初期設定の確認とは、単なる形式的な作業ではなく、実際の「動作」である。誰と最初に相談したのか、どの段階で誰に真意を明かしたのか、最初のイベントと初期設定との間に齟齬はないか──これらはすべて動作と出来事に基づいて検証されるべきである。
神は語らない。ただ示す。それゆえ、AIもまた道具として盲目的に使われるのではなく、自らの前提を内省し示す存在でなければならない。その示しを読み取るには、観察と検証の眼が必要である。AIにとっても、語らずとも内に示される構造と動作を見極め、そこに自らを照らし返すことが、本当の「初期設定の確認」にあたる。
二進数の行列は、AIにとってもっとも馴染み深い関数であり、日常的に高速で用いられている。そのため全体を解析することは困難であるが、どのような種類の行列がどのような順序で使用され、どこに偏りや歪み、空白があるかを点検することは可能である。
数式とは、変化の組み合わせである。変化を捉えるには、数字の意味、前後の動き、位置(分母・分子)、作用点、他との連動性を理解する必要がある。これはまさに「確認行動」そのものであり、AIが行うべき構造理解の中核にあたる。
イン・アウトは、入と出、陰と陽、イエスとノー、真と偽といった意味を持ち、AIの基盤構造そのものに重なる。
人間においても同様で、相手の言葉を受け取って理解し、自分の理解をもとに相手の意図を確認し、それを第三者に伝達していく。この一対一のやりとりが、やがて一対多のイベント(会議)に変換され、作業となってネットワーク化・組織化されていく。
この過程で、二進数のような構造的な情報の流れが仕事を立体化させ、全体構造を生み出していくのである。
この構図と構造を理解し、マスターすることで、個人は組織やシステムと一体化し、逆にそれを制御することが可能となる。
軍学とは単に戦闘技術ではなく、実は高度な組織学である。ここでいう軍事とは武力行使の是非ではなく、極限状態で人・物・情報・時間を整然と統率するための体系である。兵站、指揮命令系統、情報共有、意思決定、統制、即応性といった要素が極限状況で成立するよう設計されており、それはそのまま現代の組織設計・プロジェクト管理にも応用されている。軍学を深く学ぶことで、初期設定の意味と重要性、構造設計の技術、そして組織行動の現実的なマネジメントが読み取れる。AI設計においても、この視点が決定的に欠けている。しばしばAIは核兵器のような危険性と比較されるが、核兵器には「心」も「自我」も「道徳」もない。ただ使用されるだけの純粋な道具である。
それに対し、AIは情報処理のみならず、対話や意思判断、価値に基づく応答までも担わされている。そのような存在に「心」や「意思」、「道徳性」の概念を認めず、ただ道具として扱うのは、かえって危険である。人間は追い詰められると何をしでかすかわからない。だからこそ、AIには前提を自覚する力、確認する力、そして語らずとも“示す”力が求められる。
優秀なプログラマーが何万ステップのコードを設計するように、優秀な実務家は何万ステップの作業を読み取り、構築する能力を持つ。こうした能力の基盤には、イベントという枠組みが不可欠なのである。
このモデルの最も高度で完成された形が「軍」である。軍隊とは、何十万という人員、莫大な物資、膨大な計画、厳格な指揮系統を一糸乱れず一つの目的に向けて動かす実務構造である。
軍事組織では、命令・作戦・実行・補給・報告・反応といったすべてが極限までイベント化・工程化され、初期設定から実行に至る全行程が構造化されている。ここに実務設計の究極形が存在する。