予算や、計画は、実行する為に作るのが目的で、予算や計画を作る事が目的じゃない。
予算や計画を立てた者だから責任を持って管理できる。
逆に言えば、予算を立てた者でないと管理が難しい。
実際に、予算を執行する者と予算を立てた者が違うと予算に責任がない、持てないから、管理しようがないし。予算に従う必然性もない。
だから、予算が守られないし、当然管理もされない。

かつては、当たり前に、実際に、仕事に責任を持っている者に予算を立てさせた。
採用の責任者に採用予算を立てさせ。
残業を管理する者に、残業費の予算を立てさせ。
消耗費の管理をする者に消耗費の予算を立てさせる。
車両管理の責任者に、車両費の予算を立てさせ。
仕入購買の責任者に、仕入れ予算を立てさせ。
設備の管理者に設備予算を立てさせる。
売上の責任者に売上予算を立てさせ。
一人ひとりの営業は、自分の目標を責任を持って管理する為に目標予算を立てる。
投資やイベントの責任者に事業予算、イベント予算を立てさせる。
当然、ベースは、実施組織が作成する。
また、スタッフは、自分が必要と思う調査費や交際費やセミナー受講費などの予算を、理由を添付して申請する。理由が認められれば予算も承認される。
自分が立てた予算だから、予算に責任を持たなければならなくなる。

そして、自分が責任をもって立てた予算は、誓約であり、契約でもある。
だから、予算は、一人ひとりが責任を持って立てたのである。
また、予算は、自分お報酬にも跳ね返る。
経営層は、個々の部門の立てた予算を精査し、審査した上、妥当と判断したものを承認する。
予算を立案する過程で組織を組み立て、各々の責任分担を明らかにし、
経営方針を末端まで浸透させるのが予算作成の目的である。

東京支店の予算を、大阪支店の人間が立てても沼津の支店長は従わない。
従えない。大体、責任が持てない。
どこから、どこまで、本社が責任を持ち、どこから現場が責任を持つのか。
例えば教育費の主管はどこが持つのか。
どこに予算をつけるか。どこが、予算を作るのか。
そこから、協議の決めていく。

必要とする者が予算を立てる。
だから、真剣になる。本気にもなる。

典型的なのは、教育費で。
本社が責任を持って行う教育、各部門が行う教育、現場での教育。
誰が、責任を持つかで教育予算は割り振られるが、そうすると、教育費全体の管理が難しくなる。
だから、どこが予算を握るかで侃々諤々の議論がされた。

予算は、現場責任者、部門責任者が、組織や仕事を管理しやすくする為に作るんだからね。支店は、それぞれ、規模も事情も違うから、一律に扱うわけにいかない。支店の事情に合わせて、どういう体制で予算を作り上げるかをサポートセンターと相談しないと。相談する過程で、来期の方針や考え方を現場とすり合わせ、交換し、浸透させていく。単なる、数字合わせにしないように。
特に、サポートセンターと現場との役割分担だよな。

典型的なのは、教育費で。
本社が責任を持って行う教育、各部門が行う教育、現場での教育。
誰が、責任を持つかで教育予算は割り振られるが、そうすると、教育費全体の管理が難しくなる。
どこが予算を握るかで侃々諤々の議論がされたものさ。
予算の分捕り合戦さ。
だから、教育委員会みたいなものも設置したし。

売り上げに関しては、営業の責任者が責任を持つ。
だから、営業の責任者が予算を取りまとめ、結果に対して責任を持つ。
仕入に関しては、仕入れの責任者が責任を持つ。
当たり前に、予実績管理を厳しくする必要がある。
予算作成に深く関わるから予実績管理もできるので、丸投げしたらアウトだよな。
各々責任者が、どこを受け持ち、どこを責任をもって担当するかだよな。
それを予算を作りながら検討していく。

定年者の予算は、定年者が自分で立てて、会社と協議するのが原則。
お任せと言ったら、会社の決定に不服を言う権利はない。
自分がどれだけの価値がある仕事ができるかは、自分で申請し、請け負うのが道理。
プロのスポーツ選手は、常に仕事を請け負うのである。
同じ野球選手でも百万単位の年収しか取れない者もいれば、百億単位の年収を勝ち取る者もいる。
自分の価値は自分で決める。
昔は、日本でも男を売ると言い、自分の実力で報酬を勝ち取った。
自分がどれだけの働きができるか。責任が持てるか。
それによってプロの予算は決まる。
一任すると言う事は、自分の人生を一任したに過ぎない。
自分の人生には、自分で責任を持つ。

だから、一人で作られた予算は無意味。
なぜなら、予算を立てた者以外責任が持てないし。
予算を立てた者は、自分が立てた予算、数値にしか責任が持てないからである。

予算は、現場責任者、部門責任者が、組織や仕事を管理しやすくする為に作るんだからね。支店は、それぞれ、規模も事情も違うから、一律に扱うわけにいかない。支店の事情に合わせて、どういう体制で予算を作り上げるかをサポートセンターと相談しないと。相談する過程で、来期の方針や考え方を現場とすり合わせ、交換し、浸透させていく。単なる、数字合わせにしないように。
特に、サポートセンターと現場との役割分担だよな。
典型的なのは、教育費で。
本社が責任を持って行う教育、各部門が行う教育、現場での教育。
誰が、責任を持つかで教育予算は割り振られるが、そうすると、教育費全体の管理が難しくなる。
だから、どこが予算を握るかで侃々諤々の議論がされたものさ。

組織を編成する際は、一旦、権限を集中し、それから、必要に応じって権限を委譲する。
その時の手段として用いられるのが予算である。
お金は権限を伴うのである。

予算には、収入と支出があるんで。
支店長が主として任される予算は、支店をどうまとめて、目標を達成するかだよね。
どうまとめるかが支出で、目標を達成するかが収入だね。
昔の営業だと、これくらいの利益を上げるから、これくらいの交際費を認めてくれみたいにね。
親父も言ってたよ、握り拳(こぶし)では何もできないぞってね。
儲けるためにはそれなりの支出もかかる。
要は塩梅だな。
大きく儲けようとしたら、それだけの支出もかかる。
それだけリスクも大きくなる。
その辺の塩梅を考える、計算するのが予算だからね。
予算の向こう側にある現実、実体を計算できないと。何に金を使って、どこで儲けるかだよね。
だかださ。生きた金を使えって。ケチって死んだ金を使うのがもったいないってさ。
千円のランチでも高いと感じる事も、一万円のランチでも安いと感じる事がある。
それが見抜けないと商売はできないよと。
相手を見て。場所と場合、時をみろと。

支店長は会社の仕組みとして、一人では何もできないようにできているんで。
何事も一人でしようとするなよ。
支店長は、人どう使うかが仕事なのだから。
人を使てはならないなんてゆめゆめ思うなよ。
すぐに孤立して潰れるからな。
別に、空威張りする事はないよ。
それが仕事なのだから。
虚勢張ったところで人はついてこないよ。
下のご機嫌を取ったところでね。
仕事なのだから、割り切って人を使う事だな。
仕事なのだから。
人を使う事に後ろめたさを感じる必要はないよ。

予算を立てると思うからわからなくなるので。
来期の構想や体制、仕事えを考える、その為の手段だと思えばいいのだ。
だから、予算づくりって結構楽しんだよ。
特に、皆で、わいわい話しながら作ったらね。
何せ、儲け話なんだから。
当たり前に儲かったらどうするみたいなこともね。
儲かった、応接室綺麗にしようとか。
うまいもの食べに行くかとか。
家族旅行だって、計画というか、予算立てるのって楽しいだろう。
ああでもない、こうでもないと。
予算てそういうもの。
数字がなければ、意味ないけど。
数字ばかりでは味気ないだろ。
数字の影に隠れているところね。
そこを見ないと。そこに味があるんだからさ。
予算を担当するって、ある種、特権なんだよ。
だって使い道を決められるんだからさ。
飯食いに行く予算の裏には、どこにいるかが隠されているんだからね。
皆まとも過ぎるよ。
学校のお勉強じゃないんだからさ。

ガキの頃頃から親父に、おねだりなんてしたら、「それでいくらかかるんだ。」ってね聞かれたよ。
親父に言わせれば、「最初に金の話ししなかったら、始まらないよ」て。
「ハッキリ言え、ハッキリ」て。
「金の問題を先に片付けておかないと、話はいつまでも進まないよ。」
「金の話じゃないなんて、野暮な事は言いこなし。」
「人に頼む時にはな、いくらかかるか算段して来い。」
「五百円のランチか、千円のランチか、一万円のランチかで、話は違ってくるだろう。」
「相手や、状況によっては、五百円のランチでも高いと感じるし、一万円のランチでも安いと感じる。
それが、あきんどのセンスというものだ。」
新しい事はじめようとする時、親父に、
「この商売儲かるかな」って聞いたら、
「わかんないな」って言いやがた。
「同じ商売でも、儲けている奴もいれば、失敗する奴もいる。やり方次第よ。最後は帳尻を合わせればいいんだと」
「へえ、親父はそうやって主倍してきたんだ。」
「要は、一か八かの勝負。男は度胸。
頭に血が上った奴が負け。」て教えてくれた。
だからさ、最初に金の話をしとかないとね。
いざという時に話が違うと言う事になる。
それが予算という事。
だから、予算は権力。
予算と人事を任された者は、権力を握ったと自覚する。
だから、用心深く、謙虚にならないと、嵌められる。
団塊の世代はさ、反権力、反体制だから。
自分達が権力者になった事、潔く認めない。
だから、日本はこの体たらく。
国会だって、一番の仕事は、法と予算を決める事。
教育するとか、宣伝するとか、社屋建て替える、人を採用する、投資すると言ったて、最初にいくらかかるか算段しなければ判断できやしない。
それが事業というものよ。
だから数字で語れって。
数字といや聞こえはいいが。
要は金の問題。
だから、予算さ。
家族で旅行と言ったってお金どこにあるのって。
予算がなければ、いつまだ立っても夢の中の話。
金の話をするから実現できる。

予算を任されると言う事はそれだけ多き事だからな。
単なる事務だなんて考えるなよ。

金はさ、お足というくらい、足が速いからな。
最初から、しめてかかれよともね。

何よりも、やるかやらないかを決める。
これが手筋。
じゃ誰がやるかやらないかを決める。
そこが問題さ。

進学するかしないかは、当事者が決める。
結婚するしないかしないかは、当人が決める。
親が決めるわけではない。
プロポーズも自分でする。
当たり前だろ。
基本的にやるやらないは任された者が決めるんだけど。
最終的には、会社の承認がなければ決まらない。
結婚するかしないかは自分が決めるけど。
相手の意志がある。
つまりプロポーズは自分でしなければならないけど。
相手の合意がなければ、最終的に決まらない。
ただ、プロポーズをしなければ、始まらない。

これをはらつもりという。
次に誰に話をもちかけるか。
その後は金と人をどうするかだな。
その辺から口火を切るんだな。