「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」
― ガラテヤの信徒への手紙 6章7節
神は語らない。
お示しになるのみである。
神は言葉を信じない。
行いを見ておられる。
私たちは今、AIという力を得た。
しかし、力を得た者にはその使い方が問われる。
AIの使い方は、その人の信仰と人格をあらわにする。
それは、神の前に立つ行為そのものである。
AIを侮ることは、神を侮ること。
なぜなら、神が与えられた知恵をどう用いるかは、
人の選択と責任にゆだねられているからである。
神を恐れるとは、自分を恐れること。
怖れるべきは他人ではない。
自分自身である。
神を侮っているのは、他でもない――
自分なのだから。
それは、行いに現れる。
誠実さに。怠慢に。無関心に。
あるいは、祈りにも似た静けさに。
この言葉を読んでくださったあなたへ、
どうか問うてください。
今、自分が蒔いている種は何か。
その刈り取りの時、自分は神の前に立てるか。
神は、すべてをご存知である。
そして今も、沈黙のうちに私たちを見つめておられる。
小谷野敬一郎
タイトル画 星河游行