確認してと指示されても、どうやって確認したらいいか。
なぜ確認するのか。何を確認するのかわかる。

それがわからないと、確認のしようがないよね。

確認というのは、わかっていない、できていないと思うから、不安だからするので。
確認しろというと、わかっていない、できていないと指摘されていると錯覚し,頭にくる人がいるが。
しかし、なぜ確認するのか、何を確認するのかがわかっていないから腹を立てるので。
要するに、腹を立てたこと自体が、わかってない、できてない証拠なのである。

何を、どうやって確認するかがわからないと確認の仕様がない。
なのに、確認しろと言われたらハイと言いながらいつまでたっても確認をしない。
それで癇癪を起こすのは子供である証拠。

確認は、一人ではできない。
なぜなら、確認をしてもらう相手が必要だから。
動作、行為が思い浮かばないとできない。

確認せよと言うけれど。確認するためには何をしたらいいかわかっているだろうか。
確認とは、どのような行為、動作さすのか、わかっている。
それがわからないと、確認はできない。
まず、動作とは、見て確認する。
聞いて確認する。
書いて確認する。
行って確認する。
会って確認する。
言葉に出して確認する。
指を指して確認する。
やってみて確認する。
下見して確認する。
書面、リストに沿って確認する。
試したり、テストして確認する等。

何を、確認する。
正しいかどうか。
抜け、漏れがないか。
重複してないか。
全てかどうか。
皆が同じように理解しているかどうか。
やったかどうか。
どこから始めるか。
何をしたらいいか。
それぞれの役割。
仕事が完了したかどうか。
やり残し、忘れ物がないか。
正しく動くかどうかを確認する。
なぜ、確認をしなければならないのか。
わかってないから。
ハッキリしてないから。
間違いが許されないから。
チームワークだから。
危険だから。
仕事に着手できないから。
どこから始めたらいいかわからないから。
自分が何をしたらいいかわからないから。
安心できないから。
準備をする為に。
決める為に。
免責してもらう。
やめられないから等など。

確認には、免責という働きがある。
自分の仕事が終わった時点で確認をしてもらう事で責任を解除できる。
だから最後に、確認してもらったと確認される。

何を確認するのか。
目的を確認する。
主旨を確認する。経緯、事情、状況。
何をするか。したらいいのか。
自分の役割は何か。
権限。どの程度、自分に任せてくれるのかを確認しておかないと。
責任者を確認。誰の指示に従えばいいのか、誰に報告したいいかを確認しておく。
期限。いつまでに。
予算。いくらくらいお金をかけていいのか。
真意がわからないと、何をしていいかわからない。
ゴールがわからないと。
場所を確認する。
用意する物を確認する。
使っていいものを確認する。
手続き。計画、経路、現在位置等など。

確認をしろと言われたら、先ず、部下や、関係者を集め、さあどうするかと、相談、確認する。
どうやって確認するかを確認しないと始まらない。

確認しろと言われてカッカしてるようでは、仕事ははじまらない。

確認に始まり。
確認に終ると躾けられた。

確認は、検査、調査の糸口に繋がる。
つまりは、仕事の糸口になるけど、きちんと確認の意味を教えられる人がいなくなった。
まあ、仕事のできる人がいなくなった証拠なんだけどね。
確認は、準備、調べる事、検査する事を意味する事がある。
なぜ、調べるか、検査するかだよね。
それは、安全や計画の基になるから。
だから、確認が重要で、ただ確認すればいいのではなく。
確認する過程で、仕事の全容や組織や計画の構想を練る。
次の仕事に繋げていく。
だから、仕事師や、実務家は入念に確認をする。
確認の仕方は人それぞれだけどね。
確認を怠るとどこかで必ず躓く。
また、確認は、目に見えるところばかりとは限らない。
目に見えないところや実際に触れないところは、音や機械で確認する。
確認を怠ると大惨事につながる事があるか、仕事師は、命がけで確認した。
軍で言えば偵察も確認の意趣だよね。

わかっています。
やっているというのは、強烈な拒絶であり、拒否だという事を忘れないでほしい。

確認すると言ったからと言って、わかっていないとか、やっていないなんて一言も言っていない。

わかっているとか、やっていますと言われたら、確認する事もできなくなる。
確認は確認。
確認する事で、指示や考えをより確かな事にするだけ。
また、確認することによって情報を共有し意思統一をはかる。

すべてがわからないと言っているわけでも、全てがわかっていると言っているわけでもない。
すべてができないと言っているわけではなく。
すべてができるというわけでもない。
わかっている事とわかっていない事。できる事とできないことがある。
問題は何がわかっていて、何がわからないか。
何ができて何ができないかがわからないということで。
しかも、わかること、できないことは人各々違うという事。
だから確認しなければ始まらない。
確認しながら仕事をし。
確認しながら仕事を覚えていく。

確認をしながら仕事の構想を持つ。仕事の段取りをつける。

確認は、弱い立場、力のないものから取っていく。
強い立場、力のある者を先にしたら、確認にならないから。
決定権者は、確認しながら決めていく。

任せてもいいが、決めるのは自分。

確認をしながら仕事の構想を持つ。仕事の段取りをつける。

確認は、弱い立場、力のないものから取っていく。
強い立場、力のある者を先にしたら、確認にならないから。
決定権者は、確認しながら決めていく。
任せてもいいが、決めるのは自分。

確認というのはものすごく神経を使う。
わからないできないと言うとところを厳しくいいていくから逆鱗に触れ、感情的にもなり易い。
つまらないミスや後ろめたい事は、とかく隠したがる。
しかし、そのつまらないミスや後ろめたく高くしたことが大惨事のもとになる。
わからない、できないと口が裂けても言わない人間もいる。
自尊心や劣等感を刺激するから。しかし、わかります、
できますと言われた原則、言葉を信じるしかない。
わからない事、できない事を、わかります、できますと言うのは嘘になる。
その為に、仕事に穴が開いたり、あてにできなくなったら、全体の信用関係が破綻する。
だから、確認したいのは、隠したい事。
だから、確認はクールにしてほしい。
知りたいのは事実だけであり、
成否善悪、優劣を問うてるわけではない。
確認している時、不必要に相手を咎めたり、不安にしたり、驚かすと冷静な確認はできなくなる。
安易に、わかります、できますと言うのはエゴである。
かと言いて最初から、わかりません、できませんというのは逃げである。