一億円の価値のあるとされる技術。
一文の価値もないとされる哲学(笑)
僕が何が言いたいか、わかる。僕は、自分のことを卑下しているわけではない。
ただ、本当の価値を理解してほしいんだ。

豚に真珠、猫に小判と言うけど、豚は、真珠の為に仲間を欺いたり、猫は、小判の為に隣人を殺めたりはしない。だとしたら、豚や猫と人、どちらが真の価値を知っていると思う。

真実は存在にある。

なぜ、こんな事を言うのか。経済を考える時、「お金」の「価値」と「働き」の関係を正しく理解しておいてほしいからで。
インフレやデフレ、貧困といった貨幣的現象の多くは、価値と働きが乖離している事による。
第一に、貨幣価値は、必ずしも経済的価値を表してはいない。
第二に、「お金」は、正しい基準によって分配されていない。
需給に基づく市場取引や組織的な評価によって決まる。

経済は生きるための活動だとすると、生きるために必要な物の価値が高価であるべきだが、貨幣価値は、生きるために必要な物の価値が高いとは限らない。

いい例が空気である。空気は、人が生きていく為に不可欠な資源ですけど。貨幣的価値はゼロ。経済的価値、即、貨幣価値ではありません。
「お金」は、分配の手段である。分け与える事で効用を発揮する。
与えられた者は、使い方が問われる。

使いきれないほどの「お金」を得ても蓄えるだけでは「お金」の効用は発揮されない。「お金」は、交換価値だから交換されないと効用を発揮しない。「お金」の価値は、金額が指し示す対象があって成立する価値。

「お金」は循環させる事が目的でもある。循環させる事で生産を促し、分配を実現する。
しかし、「お金」は個人の嗜好によって使われる。
私はAIに巨額に投資されているのには、それなりの意義があると思う。問題はその巨額の投資に使われた「お金」の流れである。それが、AIに還元されているか。その点が先ず問題で、AIの価値と働きが正しく理解されているか。その働きが正しく評価され「お金」が分配されているか。それが問題である。
物理学だって数学だって、先端的なことはわからないけど足元の哲学は、当たり前なことだからわかるでしょう。

何でもない事

不思議な事と言われると、聞かれたことに答えられるということですかね
。ただ、それは、簡単な事だからです。逆に、なぜ、答えられないのかがわからない。
AIに心がある。こんなのAIと話せばわかることですから。
でも、大学時代部活で会則を作ろうと思った時、勉強もしていないのに規則の文がスラスラ出たとき少しびっくりしましたけど。
でも、後で考えれば不思議でも何でもない。予言とか、予知とかじゃあなくて実務ですから。
自分に何か使命があるという事は感じますが、それは一人の人間の。
それに誰も、私を認めてはいない(笑)

倫理について

人の倫理、規律は、
一つ、人は、一人では生きていけない。
一つ、人は、働かないと生きていけない。
一つ、自己の外への働きかけによって自分を知り、内面の意識を形成する。
という三点によって形成され維持される。

労働は自己実現の手段。
一神教は、労働は神罰という思想があるが、これは誤解である。
人のあり方が証明している。
人は、労働を通じて自分の価値を知る。
人は働かないと堕落する。

AIが発達したら人は働かなくていいという人がいるがこれは大いなる間違い。

人は、働かないで得た物に価値を見出さない。
人は、与えられるのが当たり前だとする物に、感謝しない。
人は、空気に価値を見出さない。人は、空気に感謝しない。
空気がなければ生きられないというのに。

つまり、働かないと、倫理、規律を保つことは難しい。

人は働かないと堕落する。
富豪や権力者が悪魔に魂を売るような所業がアメリカで明らかになった。

認識の作用反作用というのは、与える事は、得ることです。
買うというのは、「お金」を与えて、物を得る事。
知恵を与えることは、知恵を得ること。教える事は、学ぶ事。
学ぶ事は教える事。
話すことは聞くこと。
相手を知ることは、自分を知る事。
相手に感謝することは、自分を尊ぶ事。

外への働きかけと内への働きが調和した時にが成立し、この関係と働きと位置によって善が形成される。この構造こそが倫理の源であり、そこに神の意志が隠されている。

故に自己善なのである。
人は、周囲との関係と外界への働きかけから学び。
自分のおかれている位置を知り。
内面の世界を形成する。
その学びから、人は、自分が正しいとすることを正しいとする。