目の前でやらせる。
見てる前でさせる。

これって、形を決める上で、結構、意味があるし、大きい。
後ろ盾になるという事ね。

無論、当事者に任せるんだけどね。
見てる前で指示を出させたり、会議を仕切らせる。
それで、身体で、実体験で覚えさせていく。
自信をつけさせていく。

自分が指示するのではなく。
目の前で指示をさせる。
いつまでも、自分がやっていたら人は育たない。
始めは目の前でやらせる。
最後は独りでやらせる。
なるべく若いうちに責任のある仕事を任せる。
最初から、最後まで一貫した仕事をやらせる。
簡単で短期的な仕事から任せていく。
目の届く範囲で、
最初から最後までやらせる。

形から教えていく。
内容は任せる。
形を教える。

皆の前で、スピーチさせるのも大事。
基本組み立てから任せるけど、事前と事後に確認しておく。
それを何回か繰り返した後、完全に任せる。
そうやって場数を踏ませて覚えさせていく。

学習は、座学だけでなく、修行、修養もある。

自分の目で見て。
自分の舌で味わあなければ。
本当のところはわからないさ。
自分で痛い目に合わないと痛さはわからない。

俺たちに教えられるのは、駒の動かし方と定石。それと、基本的ルールくらいかな。
後は、場数を踏んで覚えるしかないよね。
それでも、中学生くらいで、師匠を越える将棋指しが出てきて、世間を騒がす。
スポーツの世界でも、力だけなら、高校くらいでピークを迎える。
恩返しは、土俵の上で言われたよ。
師は、弟子が自分を越えていくのを怖れては駄目。
親は子が自分を越えていくのが楽しみなものさ。
大きく育てと。
小さく生んで、大きく育てる。
実力の世界さ。
それが本当なんだよ。
いつまでも、自分の実力を錯覚していたら破滅させるだけ。
自分の限界を骨身に沁みて自覚させる。
その上で一つ上の限界に挑戦させる。
限界を知って挑戦目標が定まる。

最近、AIに敗けたというけど、あれは別次元の問題。
自動車に、競争で人間が負けたからと言って当たり前じゃあない。
だからといって競争するとか、短距離の記録を出すのは無意味だというの。
そんな事ないよね。
機械に敗けたからと言ってどうって事ないじゃあない。
機械は、所詮、道具なんだよ。
機械に支配する事を怖れるなんて馬鹿げている。
怖れるべき相手は、機械ではなくて、機械を使って支配しようと企む人間がいる事だよ。

何が目的なの。
人を育てる事じゃあないの。
歳をとって自分の力が衰えたら、それはそれで認めようよ。
歳をとるとさ。
自分が若い頃の事すっかり忘れてしまうんだよ。

若いからできる事もあれば、若いからできない、劣る事もある。
それを自分の力が衰えた事を棚に上げてさ。
伸びるチャンスを奪うのは、年寄りのエゴだよ。

年寄りができる事は見守る事だよ。

実際に打つのは打者。
打者は、迷ったらバットが振れなくなる。
バッターボックスに立ったら打つ、打たないの最終判断は、打者に決めさせる。
打者を臆病にさせない事だ。
一度もバットを振らずに見逃しの三振だけはさせるな。
一度でもいいから。目を瞑ってもいいからバットを振らせる。
目の前で打たせる。

自分が若い頃の事を思い出してみてさ。
俺が若いころと比べたらしっかりしているよ。
本当、そう思うよ。
少なくともさ。今の俺より実力は上だよ。
こいつは確かだね。

息子もでかくなったな。

最近しみじみ思うよ。