指導者になろうと志したら。
人を、強い意志をもって育てる事さ。
最初から出来上がった人を求めず。
埋もれた才能を発掘して磨くことだよ。

完成度の高い人など、自分のいう事なんて聞くはずないでしょ。
未熟だからこそ、自分の指導を受け入れるんじゃない。
だから、一緒に仕事をしようと思ったら。
指導者は、相手が未熟である事を前提とし。
従う者は、自分が未熟である事を自覚しているものでないと…。
指導者も、従う者も、お互いに、相手を受け入れない。
だから、余人を入れず。
できるようになるまで、わかるようになるまで、徹底的に話をするしかない。
自分で、躾けるしかない。

日本人は、指導者を受け付けようとしない傾向がある。
戦争に負けてから、余計、その風潮が強くなった気がする。
叛逆の美学とか言いてね。
やたら、逆らう事を奨励する。
これも、占領政策かな。

主従とか、上下とか認めようとしないけど。
人に従った方が自分の力を発揮できる人の方がたくさんいて。
その方が、幸せな人が多い。
誰もが、指導者になれるわけではないし。
人には、向き不向きがある。
指導者は指導者だよ。
それなりの使命感も、責務も求められる。

「お前より、俺の方ができる。」とか。
「歳が上。」とか、「同い年じゃないか。」なんて言う人間は、
指導者を、指導者として受け入れないから。
結局、いずれは、権力争いになる。
自分を認めぬ者の上には立てない。
一度こじれると親子兄弟の方が始末が悪い。
骨肉の争いというだろ。

人間というのは感情的な生き物。
人は、感情の力で決断する。
物事を考えたり、論理を組み立てるのは、理性的に。
しかし、決断は感情。
決断は、論理の飛躍なんだ。
決断がどっちに、転ぶかはわからない。
同じ理由で、やるという決断にも、やめるという決断にもなる。
好きになる理由が、嫌いになる理由にもなる。
コメをよこせとは逆した者が、国の為にと死んでいく。
どう相手が決断するかは、賭けである。
だから、指導者は最後の段階で勝負する。
決定は一つ。
故に、決定は、一人でする。
個々の決定は、一人ひとり違う。

一人ひとりが、賛成に決するか、反対に決するかは、一人ひとりの感情による。

些細な事でも、決定は覆る。
年下の癖にとか。
言い方が気に入らないとか。
なんで、お前の言うことを聞かなければならないのかとか。
お前に負けたくないとか。
女の癖にと言った。
お前の事嫌いだ。
逆に、お前の事好きだから対等でいたいとか。
とるに足らない些細な事で、決められなくなる。
それで、友達とは、手が組みにくいというのは、古来からの鉄則。

指導者は、強い意志で、全体の決定を一つにまとめる。

だから、自分が中心になって、事業を起こそうとしたら、己の未熟さを自覚している者か。
自分の力を認めている者がいい。
自分を見下している者とは手を組めない。
必ずと言って、離反する。
ただ、離反するなら、傷は小さくてすむが、徒党を組まれると組織が割れる。

未熟だからいいので。
それを未熟だから駄目だと言った瞬間、相手の心は離れていく。
肝心なのは、指導者に対する、畏敬心、忠誠心。
どこまでも、何があってもついていきますという人は、育てられるけど。
どんなに優秀でも、従わない人間は、かえって始末が悪い。

手つかずの綺麗な人。
最初に勤めた会社の価値観や癖は、なかなか抜けない。
いやで辞めたとしても、一番最初に入社した会社の癖は、簡単にはとれない。
だから、新入社員を、ちゃんと躾けておかないと、後々、信用にかかわる。
後で、恥をかくよと。注意されたもの。
育てるなら、なるべく、変に染まっていない人がいい。
素直という点では、大体、一回り下くらいがいい。

どんなに優秀でも価値観が違えば、共に、大事をなすことはできない。
志すところが違えば、共に同じ天を仰ぐことはできない。
苦節は共にできても、栄辱は共にできず。
目的に向かて夢中になっている時は許せても。
ある程度、成果が出てくると、お互いの、功績に対する評価、取り分に不満が出てくる。
それは、きれいごとでは済まない。
世の中から争いは絶えないのがその証拠。
憎しみや、怨念、恨みのもとになる。
禍根を残す。
成果の奪い合いは、えげつないほど、人のエゴが出る。
誰もが、自分の正当性を言い張るために、果てしなくなる。
それは歴史が証明している。

誰も、相手を認めないと言ってるのではなく。
自分を納得させる事ができないのだ。
相手より自分が劣っていると、認めたくない。
何も、貢献していないと言ったところで、
当人は、自分は活躍したと自負しているから、平行線になるだけ。
言えば言うだけ、溝は深まっていく。
どこかで見切りをつけるしかないさ。
理由なんて、あるようでない。
感情なんだよ。だから始末が悪い。

年上の人はそれだけで相手を低くみる。
同年齢は、従う以前に競争心が先に出る。
どっちにしても、勝手な言動を放置すると、統制がとれなくなる。

年齢は、目に見えない壁や、溝となるのが世の常。
だから、世代交代や、新旧の争いは絶えない。
後継者問題、権力の継承は、恒久的テーマ。

力は、若者には、年よりかなわない。
しかし、経験は、年よりの方が当たり前に豊富である。
経験がないと言って若者に任せないのは、年よりのずるいところ。
しかし、力が劣ると年寄りを侮ると、豊富な経験を生かせない。
だから、儒教では、年功序列、長幼の序といって年寄りの意見を尊重するように仕向けた。
しかし、それでは、変化が激し時代では、適合できなくなる。
いつまでも、経験を盾にとられたら、年を無為に重ねるだけ。
若者の芽を摘んでしまう。
自らの出処進退を明らかにするのは、年寄りの務め。

次世代への継承に失敗すれば、会社は倒産、家は断絶、国家は滅亡する。

だから、指導者は、私心を捨て、強い意志で人を育てる。
要は、未練は持つな。

大切なのは親心。
子供は、親の期待に応えようと一生懸命になるさ。
それを、どう親として受け止めるかだね。
生まれたばかりの子が世話がやけると育児を放棄したら、子供がまともに育つわけがない。
言いつけを守らないと、子供を虐待したら、いじけてしまう。
その子のいいところ見つけて辛抱強く伸ばすしかない。

あの子は駄目だって、親が見限ったら。お終いさ。
人を育てるのも同じ。
親にとって自分の子は特別な存在だから。
親の愛が伝わるように。
誕生日をお祝いしたり。
あなたは、特別なんだ。特別なんだと繰り返し。
その子が、挫折しないように。叱咤激励をしながら。
ともに笑い、共に泣き。
何でも相談し、投げかけ。

子供は他の子に気を向けるとすぐに嫉妬する。
だから、必ず、その子に話をするし、根気よく話を聞く。
子は、親が考える以上に親の方を向いている。
見ている。
その子を見る。
その子の方を見て話をする。
人を育てるという事はそう言うこと。