トップが正しい判断をしても、それが末端まで正確に伝達されなければ、組織は間違った結果を出す。
組織は、情報系であり、指示命令も含め、いかに、情報を伝達するかがカギを握っている。
故に、情報が正しく伝達されているか、裏をとり、管理検証をする必要がある。

データを加工する事で、インフォーメイションが得られ、インフォーメイションを分析する事でインテリジェンスが得られる。
データを仕訳け、集計などの加工をする事でインフォ―メションが得られ。
インフォ―メイションを分析したい、解析する事で、仮説を立てたり、法則化することで、インフォーメイションはインテリジェンスに昇華される。

データというのは、何も加工されていない、生の情報、原情報といえる。
ただ、情報を取得した時点で加工されている情報もあるが、それも基本的にはデータの意趣と見なす。
つまり、収集者の意図が働いていない情報と言っていい。

インフォーメイションというのは、データに何らかの加工処理がされた情報と言っていい。
分析をするための前処理がおわった情報。この段階でも、一定に意味を持たせることはできる。

インテリジェンスは、何らかの仮説や、法則のようなものを導き出し、直接、意思決定に結び付く情報を言う。

データは、即物的判断には役立つ。
インフォーメイションは、暫定的な判断に役立つ。
インテリジェンスは、最終的判断に活用される。

データか、インフォーメイションか、インテリジェンスかによって情報伝達の手段、目的等が違ってくる。

情報の要点には、一つ、速度、二つ、経路、三つ、精度、四つ、手段。五つ、範囲、六つ、バランス、七つ、感度、八つ、適応力、九つ、判断力、十に、方向、十一に、機密性、十二、重要度、十三に、鮮度がある。

また、情報伝達の要点には、一つ、伝え方、二つ、伝えた相手、三つ、伝えた場所、四つ、伝えた時がある。

情報の伝達の手段には、単純な伝達と判断を要する伝達がある。
情報の性格には、単純な伝え方、指導的、または、補足的情報を加えなければならない情報がある。
単純な伝達と複雑な伝達を組み合わせて伝達される事がある。

情報を伝達する経路にどのような意味があるのか。
それは、伝達する情報の性格にもよる。
例えば、経路の要所ようしょで判断や、加工する必要がある場合がある。
状況や条件の違いに適応して指示に従って判断する場合などを言う。

情報を梱包して伝達する場合と、むき出しで伝達する場合がある。

情報の機密度には差がある。

情報伝達の経路には、単線と複線がある。
複線型には、同じ情報を流す場合と質の違う情報を流す場合がある。
例えば、機密性の高い情報は、複数の情報経路を使い、ある地点で、複数の情報を合わせる事で指示が完成するように伝える事がある。

先所に情方を伝える伝達相手によってチャンネルや経路が変化する場合がある。
典型は、稟議の経路である。

また、情報の伝達場所には一つは、集めて、二つには、個別、三つには、グループ単位などがあり。
情報を伝達する目的に応じて、伝達場所や手段を選択する。
情報伝達の速度や懸賞の為にバイパスを通す場合もある。

情報には、始点と終点がある。
そもそも、情報伝達の始点が曖昧だと、最初から、情報伝達の品質を維持する事はできない。

情報は入力と出力によって伝達される。

また、情報伝達のタイミングでは、時間の指定があるのとないものがある。
日露戦争や、真珠湾攻撃の際、日本海軍は、指定された時間に開封するように設定された命令があった。

情報は、流れる経路にも特別な意味がある。

情報伝達の経路の要点ようてんにあたる人にはそれぞれ役割があり。
各々その役割を理解していないと、情報は正しく伝わらない。
雇えば、トップから部門長、支店長、担当長、担当とした場合。
始点がトップで終点が担当とした場合。
部門長に、部門長の役割、支店長には支店長の役割、担当長には担当長の役割がり。
その役割によって、伝達場所(集めてやるのか、個別か)、伝達手段(電話、メール、チャット、口頭、会議等)、伝達のタイミング(定時ミーティング、即時、指定された時間等)
また、隙間なく、伝達した経路と、一日おいて伝達した経路とでは、軽く、一週間の差が出る。
一人が逡巡して伝達し忘れたら、一ヶ月も一年もかかる事がある。
当たり前に組織全体に情報の偏りが生じ、下手をすると組織全体がバランスを失い混乱をする。
例えば、十の部隊を動かすにしても、瞬時で伝わる部隊と一日かかる部隊とでは、進軍命令一つでも、一日の差が生じる。

途中で情報を操作されると、組織は、正常に伝わらなくなる。
指示命令の内容や、要件を改ざんしたり、変更されると情報が中断したり、一部の情報が欠けたりする。

指示命令は抜け欠けは許されない。
よく指示内容を自分の都合に合わせて、変えたり、丸めてしまう者がいる。
そう言う人間に限って伝える事で自分のアリバイを作り、伝えましたと言い訳する。
こういう人間が一番質が悪い。
集合時間を間違って伝え、或いは、寸前で伝え、遅刻者が出た時、遅刻者が悪いと責任を押し付ける。
情報には、情報を伝達した時が重要となる。

質の悪い人間は、自分が情報を遮断しておいて、下の者には上が悪い、上の者には下が悪いと伝える。
この様にされると、情報経路は寸断され、組織に亀裂が走る。
上下関係が裂かれるのである。
それでいて、情報が遮断され、原因が掴みにくく、改善が難しい。
しかも当事者は情報を軽んじているから、自分が悪いとか、原因という自覚がない。

その上、伝達しなかった者は自己申告しない場合があるから、なおさら、原因がつかめなくなる。

しかし、軍でいえば、伝達が届かないと、部隊が全滅する事もある。
それほど、情報伝達は大事なのである。

雑にやれば、雑な仕事になり、しかも原因がわからなくなる。

情報には鮮度がある。直後の情報と一週間後の情報、一年後の情報では情報の価値が違う。情報は、時間とともに劣化する。情報は、すぐに、陳腐化する。

情報には流れる方向がある。情報には、不可逆的、一方通行の流れと双方向の流れがある。

情報は、拡散する性格がある。特に悪い情報は拡散する。
情報は、目的に応じって伝達する範囲を特定する必要がある。

情報は言い換えると認識である。認識である以上、感度が重要となる。つまり得た情報化何を感じるかが重要になる。
情報はただ伝達だけでなく、取集という作業もある。感度が鈍いと情報の収集はできない。
重要な兆候を見逃し、致命的判断ミスを犯してしまう危険性が高くなる。

情報には、優先順位がある。

用語も統一しないと。打ち合わせと言ったり、会議と言ったり、ミーティングと言い変えると情報は正しく伝わらなくなる。
一つでも要件がかけると違う命令になる。
集合場所や、集合時間が抜けたり、間違うと、間違って伝わった部署は集合はできない。

この様に、単純に伝えると言っても、それを現実に執行する為には、これだけの要件を詰めなければならない。
簡単に考えない事である。

指示命令は悪いなんて言うどころの騒ぎではない。

場を設定する。

我々が常々言われたのは、場を作れ、場を設定しろ、場を変えろ、場を考えろ。
場とは何か。
分かり易く言えば、野球やサッカーなら、フィールド、つまり試合場のようなもの。
まあ、試合場は、公式、正式な場で、試合場だけでなく練習の場もある。
同じ場所を使ったも、試合の場と練習の場は違う。
目的に応じて、都度つど、場の設定する事で仕事の段取りを整理するのである。
詰まり場を設定する事で、やる事の意義を変えれのである。
例えば、あの時立ち話して伝えたでしょうでは、仕事の上では正式に伝えた事には、ならない。
それは、場が設定されていないからである。
場には、公式の場と非公式の場がある。
何故、場を設定するのか。
場を設定する事通じて仕事にする事が出来るからである。
どういうことかというと、場を設定する為には、目的、非公式か公式か、メンバー、場所、日時、責任者と担当と言った仕事に必要な要件を満たす必要があり。
それによって、自動的に仕事にする事になるからで。
また、場を設定する事で、そこに、いた人いない人などのチェックもできるようになる。
つまり、場を成立させるために必要な要件は何か。
場でされる事の仕事の意味や役割。
働きは何かが明らかになる。
また、追跡が可能となるからである。
仕事は、そういう場の設定から始まると思っていい。
場が一度設定されると場は意識から消える。
多くの人は場のルールを過去の自分の基準で決めつける傾向がある。
しかし、場のルールは、確定していない場合が多い。
孔子も郷に入れば郷に従えといっている。
ゲームでもローカルルールがあるように、絶対的な困りがあるわけではない。
だから場を設定する事の意義がある。
場を考える事で仕事の段取りができるようになる。
要するに、場とはイベントね。
次の場を考えて段取りをつける。
だから、場を設定できないと段取りも枠組みもできない。
仕事や工数の計算もできなくなる。
例えば、開始の場、打ち合わせの場、集合の場、士気高揚の場、誓いの場、会議する場、作業場、繋ぎの場、確認の場、休憩の場、転回の場、祭りの場、式場、契約の場、連絡の場、神聖な場、反省の場、表彰の場、宴会の場、終了の場などなど。
社員旅行を考えればわかるだろう。

仕事は、場つなぎなんだよ。

メモをつける事の意味。

頭が良い人、自分が納得しないとなかなか、身につかない。
あまり、自分を卑下しない事。
私も、納得しないと先に進めない質だから。
でも、なかなかね。納得の行く説明をしてくれる人はいないから。
怒り出すからさ。その時は僕に聞いてね。

メモをつけるのは、記録することが目的ではない。
報告は、自分のためにする。
無論、相手がわかるように報告する。
相手がわかるように報告する事で、確認したり、段取ったり、整理する。

先ず、仕事を整理する事を覚える。そうすると、何故、メモを取るのか、報告するのかの意義も見えてくる。
なぜ(目的)、何を、どうやってを考える。それから、誰が、いつ、どこで、どの様に実施するかを考える。そして、それで最後に自分がどうしたらいいか。結局、自分が何をしたいいかが分かればいい。

何故。メモを作るのか。

何故 言われた事を忘れないため。(注文を確認する為。)
何を 言われた事をどうやって メモ帳につける事で。

次に
誰が 自分がいつ 言われた時にどこで その場で何を 言われた事をどの様に メモ帳につける
その上で

誰が 
自分がいつ 言われた日に
どこで 相手の家に
何を 相手が言った事
どの様に 言われた事をどうするか。
と自分が何をしたらいいかを導き出す。

下の部分は、同じ項目で整理する。
メモ帳には、下の項目だけで予め書いたものを用意しておくといいよ。

報告について

何故 自分の仕事を整理する為に何を 今日やった事をどうやって 報告書にして報告する事で整理し、次の仕事の段取りをする。
誰が 自分がいつ 指示された事どこで 指示された場所で何を 指示された事をやったの結果どの様に 報告書にまとめる。
どうする。報告して、次どうしたらいいか指示を仰ぐ。
次に、裏返して考えるのね。
誰に 松岡リーダーにいつ 夕方どこで 支店で何を 指示された事をやった結果をどの様に 報告書の書式に従って
どうする 報告書に沿って報告して、次にどうしたらいいか指示を仰ぐ。
下の部分は繰り返し出てくる。僕らは転がすとか、転回すると教えられたけどね。
誰にいつどこで 何を どの様に 
誰にも、いつも、一つ、一回ではなくて。都度つど出てくるから気を付けてね。
要は、何回目の、いつ、だれという具合に。
また、裏表もある。
面倒くさいけど、でも、なれればゲームみたいなものさ。

書く事の意味。
書く事で記憶する。
書く事で整理する。
書く事で見せられるようにする。
書く事で記録する。
書く事で確認する。
書く事で伝えられるようにする。
書く事で間違わないようにする。
書く事で、仕事の構想、準備をする。
書く事で考える。
物事を整理したり、記憶するのは、手間暇がかかる。
一度見ただけでは、頭に入ってこないし、一度、聞いたたくらいでは覚えられない。
だから、手間暇をかける。
つまり、書く。

書かないとわからない事もある。

逆に言うと、記憶するまで書く。
整理つくまで書く。
説明できるようになるまで書く。
書くのは手段で、目的は記憶する事。
書くのは手段で、目的は説明する事。
書くのは手段で、見せるのが目的。
書くのは手段で、整理するのが目的。
書くのは手段で、目的は、確認する事。
しかし、書かないと整理がつかない。
書かないと覚えきれない。
写メの欠点は、書かないですませると言う事。
メモを取るのは、記録する事だけが目的なのではない。
メモつける事で何をしたいのかを常に意識する。
そうしないと、メモをつける事が目的となる。

人はね。一日で74%忘れるそうだ。
だから、メモを取る。忘れるのは、自分だけでなく相手もだからね。

「エビングハウスの忘却曲線」によると、一度覚えたものは一時間後に56%忘れ、一日後に74%忘れる。

ジョージ・A・ミラーによれば、人が、一度の覚えられるのは、七つ程度。

これが一般的。
覚えられなくて当然、忘れるのが当たり前。
だから、記録するのだし、書いて記憶するので。
書かないと覚えられないし、忘れるから記録する。
それが目的なの。
書かないと記憶できないし。
書かないと整理できない。聞いただけでは、覚えられないと。
一度書いただけでも覚えられないから、何回か転記するんだ。

何で、メモつけるのか。自分で考える。
何で報告するのか、その目的は、相手でなく自分で考えてみる。
だって、相手の目的なんてわからない。
その上で、相手がわかるように報告する。
まあ、ゲームみたいなものだな。
まず自分を知る事さ。そうしなければ、相手を理解する事もできない。
だから、自分が中心でなければフィードバックできなくなる。

正直、俺も苦労したけど。
でも、決して、あきらめなかった。
諦めた自分がなくなるもの。

民間の組織では、トップから権限は委譲されるもので、事前に確定していることでも、固定している事でもない。
つまり流動的であり変動的な事である。
人と役割と作業と権限これをいかに組み合わせるかそれが組織、人事である。

例えば、境域をどこが担当するか、決まっているわけではない。
まず教育の要件を定義して見ればわかる。

先ず教育対象によって担当は違ってくる。
 対象の区分には、新入社員、中堅、ベテラン、管理職、支店長、上級幹部、経営層。
部門によっても違ってくる。
 現場支店、事務職、営業、業務、配送、充填、検針。
内容によっても違う。
 一般常識。マナー。
 会社のルール、規則、手続き。
 専門知識。
 資格試験
教育の場によっても違う
 OJTかOFFJT か
講師によっても違う
 社内講師か、社外講師か。
トップの考え、方針によっても番う。
 経営理念、方針。
 メンタ―制とか。
 先輩が指導するとか。
 何々塾みたいに。
 海外研修。
 社内留学。
 QCサークルなど

また、人によっても違う。
 若手新人に担当させる事もある。

また役割によっても違う。
 企画を、どの部門が担当するのか、実施するのはどの部門化。準備はどの部門がするのか。

組織によっても違う。
 企画から実施まで一貫してラインが担当する。
 企画はプロジェクトチームがやる。
 決定は教育委員会がやる。

予算の割り振りも変わる。

この様に、人、役割、作業、権限を一つひとつ結び付けないと教育は組織的に実施出来ない。
それが組織であり、人事である。

イベントや教育などを任された場合、勘違いをしない事である。
イベントや教育の根源的目的は何かというと、トップの考え方や思想を全車に浸透する事。
例えば、ホンダは本田宗一郎、京セラ、稲盛。ナショナルは、松下幸之助。トヨタは。トヨタ喜一郎。出光は出光佐三の思想考え方に基づいて教育するので。
一番難しいのは、トップが交代した時で、イベントや、教育は、その時のトップに合わせて作り替えていく必要がある。
よくあるのが、自分は、教育の専門家だからと言って、強烈な、自分の思想を前面に出してしまう。
こういう場合は必ずと言って、トップと対立を引き起こす。
イベントや企業教育のプロというのは、トップの考え価値観をうまく引き出し、自分のものとして、教育プログラムやイベントを編集できる者をいう。
この点を正しく理解しているプロが最近減ってきた。
よくいわれたのが、自分の考えで教育をしたいなら、自分の会社を作るのだなと。
カリスマと言われるコンサルタントがよく犯す間違いは、自分の方が経営者より偉くなり、経営者を指導しようなどと思いあがある事。
これでは一線を越えてしまう。
会社のリーダーは誰か、それを見誤ったら、正しいイベントも教育もできない。

では、何から、着手するか。
先ず、トップの考えを理解し、中核となるメンバーで共有する事。
共有すると言葉でいうのは簡単だが、それを、実際の作業に置き換えるのは難しい。
自分が、理解すると言うだけでは駄目で、中核となるメンバー全員に理解させる。
気づいた人いるかもしれないが、教育はこの段階から始まっている。
最初の段階で困るのは、先入観や偏見、強い自分の主張が強い人。
こういう人は、トップの考えに批判的になったり、自分の主張を通そうとするために、感情的になったり、相手に話を聞こうとしなかったり、理解しようとしない傾向がある。
最初から、我を通そうとすれば、なる事もならない。
まず、トップの話をニュートラル、素直に聞き、冷静に客観的に理解する事が求められる。

トップの話を聞いて、それぞれの考えとの距離感、差を知り事、その調整から入る必要があるからで。
そうなると、何も知らないから、使えないと思うのは勘違いで。
むしろ、汚れていない白紙の状態の人間、無心に聞いて記録した者の方が、トップの考えを引き出すのに適している。
それは、リーダーと担当者の立ち位置の問題で、そこから作業を組み立てるのがマネジャーの役割。
結果ありきではなく。結果に至るまでの道筋を見極めるのが大切。
だから、道筋を明らかにし、役割分担を決め、当座の作業が、見極められればいいのである。