基本は、仕事を割り振ること。
会社の方針や自分の出した目的を理解させ、自分の指示で仕事ができるような体制を作ることが目的だから。
実際にこれから予算作成や展示会の準備を組織的に始めなければならないのだから。

例えば、職長の考えている目的をいかにして自分の部下に理解させ、浸透させるか。
そのためのコアになるメンバーに先ず、目的を予算作成作業を通じて共有させること。

意見を求めているのか。質問を求めているのか。
その辺をハッキリさせないとね。
意見を聞いても仕方がない時、事、場合があるからね。
下手に意見を聞くと藪蛇になるから。
反対を誘う事にもなる。

例えば、職長の方針、目的に担当責任者や担当者に反対されたって困るのだから、説得する時間も無駄。
そうではなくて、担当責任者に聞きたいのは、職長の考えを理解したか、共感したか。
そして、実現するために自分たちはどうするのかだからね。

だから、結論が出た事を、蒸し返すとケジメがなくなり。
決定した事がなし崩しに帳消しになる。
そうなったら組織なんて始めから成り立たない。
決まった事は決まった事として処理する。
意見はありませんかと誘う必要はない。

逆に、結論が出る前は、大いに意見を出させる。
結論が出てから、実は反対だったと言うには卑劣である。

悪質な人間は、賛成、反対どちらにでも取れるような意見を言っておいて。
どんな結果になろうとも、自分が言い訳できるようにする。
要するに、始める前、結果が出る前から言い訳をしているのである。
こういう類とは、共にことを謀る事はできない。

アリバイ工作をしたり。
無責任に批判したり。
曖昧な返事をしたり。
要は、都合が悪い事が起きた時、自分意責任が及ばないように巧妙に謀る。

あの時、言ったじゃないかと。

後で、言った、いわないでもめるのが、一番質が悪い。

だから、質問をする時は、質問の意図を明確にする。
意見を求めているのか、質問をしているのかを明確にする。
記者会見などを見ていると時々このケジメのない者が混じる。
そうなると記者会見そのものが成り立たなくなる。

学生時代から、俺は辟易してるんだよ。
「何かと、意見ありませんか」と。
無理に意見言わせて、三分で終わる会議が三時間にも、四時間も、討論になる。
それもわけのわからない意見が多くて。
多くが、反対にための反対。
無理に言わせれば、無理に反対をこじつける。
本当に反対する奴は、それなりの覚悟して、単刀直入に核心を突く。
ぎゅむ上の会議の基本は、質疑応答。
質問とは、いかにやるかを前提としているから建設的になるし、具体的。

日本は、討論と業務上の会議とを区別できない人が結構いる。
だから、会議の目的を常に確認する必要がある。
決定が下された事で意見は聞かれない。
業務上の会議は基本的に質疑応答である。
自分は昔から、意見はあるかとは聞かない。
一旦結論が出た事は正式な手続きを経ないと覆らない。
一時不再理という事もある。
しかも、我々の世代は、意見イコール反対剣と思い込んでいる人がいるから始末が悪い。
やると決めたらやる。
いつまでも反対意見を出されて蒸しかえされたら始末が悪い。何も決まらなくなる。
トップが決めた方針に、反対意見を出されても意味がない。
建設的な考えが聞きたいだけ。
仮に、職長が出した目的に最初から意味もなく抵抗する者がいたら、異動かすしかない。

トップの考えと皆が出してきた目的を照合して矛盾してなければ次の作業に進むんだな。
次の作業はわかるだら、各々のチーム作りさ。

だから、ヒアリングの目的は、コアとなるメンバーは、誰か。
コアとなるメンバーば正しく理解し、協力的か。
そして今後どのように分担して仕事を勧めていくか。

誰が、自分の事や考えを一番理解しているか。
また、自分に忠実か。
それが中核メンバーだからね。
どうしたら、そのメンバーがわかるか。
咄嗟の仕事、急な仕事、無理な仕事を無意識に、指示しているかを考えればね。わかる。

自分が休んだ時とか、朝礼や大切な会議を仕切らせた者が、腹心だよ。
特に、無意識にね。
なぜなら、信頼できないと任せられないからである。

最後の詰めの段階になると固有名詞や金額の話になる。
そうすると、あいつかとか、あそこかとか、いくらかという話になる。
そうなると血の滴るような話になる。
生臭くなるのである。
しかし、そこは、避けては取れない。
詰めの段階なのである。
決め時なのである。