仕事には、文脈、順序、段取り、手順がある。
そして、仕事は厳格にこの手順を守らないと成就しない。
仕事が論理的と言われる所以である。
プログラムと同じである。
自分たちが今どの段階にいて、今なんの話をしているかをわからなくなりと、すぐに道に迷い混乱する。
例えば一年かかる仕事というのは一年かけて目的地に達する旅行のような事。
頭の中に道筋、地図がないとゴールにはたどり着けない。
仕事は一巡で覚える。
最終的段階は、動作管理、行動管理、作業管理なので、必然的に行動が要求される。
行動に移れないと、前段階まで戻される。
要は決断である。最後は実行、実施である。
それが叱られているように感じたら、ゴールにたどり着くことはできない。
最終的には行動である。
だから、打ち合わせの質ががっらと変わる。
主旨目的の段階で細かい事を出すと咎められるが、実行段階で細かいことが詰められないと決められなくなる。
実施段階では行動できるよう準備が終わってなければならない。
行動に移れば、それまでの話が確定する。
行動に移れなければ、それまでの話が白紙に戻る。
それが決断である。
故に決められるようにせよ。
行動に移せるようにせよ。
いつまで、何を、だれが、どのようにして、だれに報告するのか。
いつ、みんな(誰を)を集めて、だれから、どこで、どのように、何を伝えるのかを要件で一つ一つ厳しく詰めろ。詰めさせろ。一人でやるな。
故に、打ち合わせでは、なんの打合せなのか、目的や、今、どの段階にいるかを常に確認する必要がある。
これがマネージメントである。
ボールの投げ方の話をしているときにルールの話をするのは時間の無駄である。
予算の立て方を詰めているときに主旨目的を議論したら話を蒸し返すことになる。
予算を立てることで、全社員に会社の方針を全社員に浸透させ、それぞれの役割、責任を自覚させるという主旨目的。
そのために、全社員で、組織的、計画的に予算を立てるという方針にのっとれば。
全社員に何らかの役割作業をさせるという指針立っても。
それを実行段階で具体的な動作、行動、作業に結び付けられないで、一部の人間で実施しようとすれば、主旨目的から見直さざるを得なくなる。
めんどくさくなって自分一人で実施した瞬間、前段の取り決めはすべて無効になる。
だから、最終段階が重要なのである。
最終段階は予算作成作業と成果物に基づいて実施計画を立てなければならない、
例えば、一年後に野球の試合があるとして。
一年前にする打ち合わせと、半年前の打ち合わせと、三か月前にする打ち合わせと、一か月前にする打ち合わせと、前日にする打ち合わせと、試合直後にする打ち合わせは違う。
具体的内容は決められなくても。要件、項目、使用は決められる。
後、打ち合わせまでに用意する資料、やっておくこと、手続き、作業を読み合わせる。
こういうことがマネージメント。
基本動作は紙に書く、電話をかける、運転する、スイッチを入れる、運ぶ、行くといった事で。
動作を絡めて話せば話がブレない。
実施段階では基本的に動作と成果物を含む作業中心の打ち合わせになる。
我々は、仕事の打ち合わせの半分は具体的に何をするかをするように。
厳しい場合は中間の打合せは、作業に限れと。何故なら結論結果は出ていないのだから、それ以外のことは話す必要がないだろと。
最初の打ち合わせで結論なんか出せない。しかし、直前の打ち合わせではどんどん結論を出していかなければならない。
一ヶ月前くらいから決断モードに切り替えなければならない。
当然、準備する資料も内容も全然違ったものになる。
一回いっかい、モードを変えていく必要がある。
階段を昇るように。
最初の段階と最終段階、決定段階と出は、決められることは違う。
最初に最終的結果、最終的結論は出せない。
当たり前である。
だから、最初に求められる結論は、最終的結論ではない。
その時出せる結論である。その時出せる結論とはその時できる事である。
我々はだから、今どの段階で、何を目的に打ち合わせてるか。確認しろ。
間違えるなと。
一年前なら、どうすると聞かれたそうですね年内には結論を。
が三か月たてば、秋にはになり、さらに三か月たてばで、さらに三か月たてば、十月にはにで。
一月前には、十月三日の三時という具合に。
また半年前に場所を予約しなければならなければ、その期日に合わせて決定モードに入らなければ仕事にならない。
実行当日になっても何も決まっていないではやる前から結果は出てしまう。
打合せ当日でも目的も、準備する事もわからないでは。
ある段階で決めの体制に入る。
決めのモードはそれまでのモードは百八十度変わる。
決めるぞと覚悟していないと決めきれない。
一年前に百人、半年前に五十人、三か月前に、二十人と絞っていって、最後に一人。
最後は一。
それがマネージメントです。
一年前に先発ピッチャーを決めるなんてありえないし。
同じように試合直前に先発ピッチャーを決められないというのもあり得ない。
一年間同じ話をしているという事は実務ではありえない。
決定段階では、必ず行為、動作に結びつける。
つまり作業に置き換える事で、作業は動作である。
動作とは、持つ、運ぶ、書く、話す、行くといった行動である。
集まる、打ち合わせるは動作レベルまで詰めていまい。
動作というのは、いつ、だれが、何を、どの様にして、その結果をどうするかが明らかでなければならない。
例えば、会議が終了したら、自分の所属する支店に行って、□△に指示して翌日の午前九時に会議室で打ち合わせをするから、○○と〇△、△△に伝えるようというふう。
このように、人、場所、時間を明確に指定しなければならない。
これが決定段階とその前の段かいとの明確な差。
試合が始まる当日までは最終的に誰にピッチャーをやらせるか確定していない(当日体調を崩すかもしれない)が、試合開始時点では明確でなければならない。
実務とは、決めるべき時に、決めるべき人が、決めるべき事を決め。
やるべき時にやるべき人が、やるべき事をやる事。それだけ。
バットを振るの決めるのは打者。
どんなボールを投げるかを決めるのは投手。
盗塁するかどうかを決めるのは奏者。
監督ではない。
監督がサインを出しても最終的に決めるのは選手で。
自分のプレーに責任を持つのも選手。
神は約束なんてしない。神に約束をするのは、人である。
人は神に誓うのである。それが人の神への約束。
だから、神は約束を破ったりはしない。
約束を破るのは人である。
なぜなら、神は約束なんてしていないからである。
だいたい守れもしない約束なんて神はしない。
タバコはやめると神に誓う。
なぜ、神に誓うのか。
神に誓わないとタバコがやめられやないからである。
故に、誓うので。
約束を破るのは人である。
神がタバコをやめるわけではない。
神がタバコをやめさせるわけではない。
タバコをやめると約束するのは人であり。
タバコをやめると誓うのは人である。
何故なら、そうしないと人はタバコを止められないからである。
夫婦の誓いも然り。
人はすぐに心変わりするからである。
故に、約束を破った報いも人が受ける。
