あんまり自分の事、駄目だ、駄目だと言わないほうがいいよ。
十年も言い続けたら、本当に駄目になるからな。

すいません。すいませんと謝るのもね。口癖になるから。
悪くもないのに、誤ること覚える必要ないだろう。
本当に、悪いことして謝らなければならない事をした時、謝れなくなるよ。

他人と比較したって、本当は、意味ないんだよ。
だって、誰も、自分とは代わることできないんだから。
結局、自分なんだよ。
自分は、自分なんだな。
そいつを間違ってはいけない。
どんなに、性格が悪くてもね。
力がなくたってさ、自分は自分なんだ。

目の見えない人に目を開けろというのは愚劣。
だから、できないと思わないことは叱らない。
ただ駄目だ。甘いとも言わない。

知りたいのは、

それがどうした。(お前はどう思うの)
それでどうする。(お前はどうしたいの)
誰に、何をしてほしい。(お前は俺にどうしてほしいの)

「駄目でした。」
「それがどうした。」
「このままでは、本当に駄目になると思います。」
「それでどうする。」
「自分の駄目なところを改めたいと思います。」
「それでどうしてほしいの。」
「駄目なところを教えてください。厳しく鍛えてください。」

というのはいいよね。

「駄目でした。」
「だからどうなの。」
「だから、駄目だと言ってるんです。」
「どうしたいの」
「どうしようもないですよ」
「なにをしてほしんだよ」」
「ほっといてください」

これでは、助けようがないよな。

俺は、駄目な奴というのは簡単だよ。
でもそれで終わり、先がなくなる。

失敗はね。学ぶ事が多いんだよ。
でもね。失敗から学ぶためには、失敗を失敗と認める事が必要なんだ。
失敗を失敗と認められないのでは、何も学べない。
かといって、失敗したから、駄目だでも、何も学べない。

「失敗しました。」
「それがどうした。」
「次は、絶対に成功させたいと思います。」
「それで、お前はどうするの」
「どこが悪かったか、徹底的調べたいと思います。」
「それで、俺にどうしてほしも。」
「あなたは経験豊富だから、助けてほしいんです。」

「失敗しました」
「お前はどう思うの。」
「もう駄目です。」
「それでお前はどうするの」
「辞めます。」
「俺にどうしてほしいの」
「・・・・・。」

これではね。

お前は俺にどうしてほしいの。
憐れんでほしいの。
同情してほしいの。
慰めて欲しいの。
馬鹿にしてほしいの。
叱ってて欲しいの。

それとも。

俺は、「お前は駄目だよな」とか
「甘いよ」と漠然といわない事にしている。

だって、指摘された者は、やりようがないじゃない。
駄目といったら、どこが駄目で、どうすればいいか、応える義務がある。
甘いと言ったら、どこが、どうして甘いのか教える責任がある。
ただ、駄目なやつとか。お前は甘いと言うのは無責任極まりない。

それは、目の見えない帆とに目を開けろと言うような事だ。

人事というのは人の事。
一人ひとりと向き合い、その人のうちに眠っている潜在的能力を引き出し、組み立てる事。
だから、方程式はあるようでないものさ。