上司より指示されたら、受令した者は、速やかに、発令者より指示項目、内容を確認の上、仕事に落とす。
仕事にするのは、受令者の責任である。間違わないように。
指示命令は、発令者と受令者が共同で行う。
発令者は、指示命令の目的、意図、優先順位を理解しているが現場の事情や受令者の都合はわからない。
逆に、受令者は、指示命令の目的や、意図、優先順が解らないが、現場の事情や自分の都合には責任がある。
故に、発令者と受令者は、ピーナッツの裏表の関係にある。

受令者は、指示を受けたら指示項目にそって内容を整理し、確認する。
ボタンの掛け違いがないよう。ボタンを掛け違えると最後までひびく。
発令者の真意を正しく理解してか、目的や真意を取り違えると仕事を最初から間違う。
指示命令は、一般に、要件を満たしてない。
不備な点、未定な点、未完成な部分、実際にやると間尺が合わない点が必ずある。

確認は、列車が動き出す前にしろと言われた。
列車が動き出してから、忘れ物に気が付いても、目的地が間違っている事、やっておかなければならない事に気がついても列車は止められない。

日をおいて確認するというのは難しい.
営業ならわかると思うが、日をおいてお客様との約束の確認をとるというのは意外と難しい。
日がたてばたつほど敷居が高くなる。

かといって仕事は待ってくれない。
仕事には期日がある。
それに、指示には、鮮度がある。
日がたつと、指示は、確認のとりようがなくなる。
確認がとれなくなったらやりようがなくなる。
すぐに着手しないと指示命令が無効になり。
改めて指示を出し直さなければならなくなる。
仕事は象牙の塔の様な物。
外からは、とりつく隙がない。

だから、我々は、その場、即日確認しろ躾けられた。
確認を怠ると、着手するタイミングを失い。
結局、間際になってやっつけ仕事になるが、当人は、原因がわからない。
確認しなかったからとは認めたくない。

確認ミスによる失敗は、ボーンヘッドだけに、気が付かなかったり、認めなかったりする。
だから、大惨事を招く。未然に防ぐのが難しい。
痛い目に合わない時が付かないし、認めない。
でも、気が付いた時は手遅れ。

我々は、危険物を扱っている。
ベテランほど、命にかかわるようなことでヒヤリハットした経験が一度や二度ある。
その大多数が、確認ミスというか、ウッカリして確認を怠った事による。
自分の経験に基づくから、しつこいし、くどい。でも若いうちは、経験が不足しているから、言ていることはわかっても、身につまされない。
気が付いた時は手遅れという事が多い。

だから、プロほど、確認を怠らない。
始業点検とか、終業時点検というのは確認を定型化したこと。
それでもマンネリ化を恐れる。
なぜなら、大事故、第惨事の原因を突き詰めると確認だから。

まず指示されたら確認しろ。
わかりましたと言った時こそ怪しい。危うい。
そういう時こそ確認をしろ。
自分の怠慢を他人のせいにするな。

最初は、発令者と受令者の息を合わせる事に傾注すべきなのである。
最初から、息が合うというのはまれである。
まず、互いの認識、考えのズレを修正する必要がある。

発令者と受令者をジョイント、結び合わせる、接合しておかないと、仕事は、すぐに分解してしまう。
組織はバラバラに分解する。最初にしっかりと結びつける。
要を、絆を固める事である。

仕事を設定する場合、まず、配置、つまり、駒組み、チーム編成をしなければならない。
まず、仕事の目的を明確にする。
目的に応じてチーム作りをする。
目的によって手段が変わるから、必然的にチームの性格、役割も変わる。
必然的に編成も変わる。権限や位置づけも変わる。
また、チームの役割も個々のメンバー立場、役割によって処遇も変化する。

配置を決めるためには、各々の立場役割を確認する。
オーナー、上級幹部、マネージャー(事務方)、ユーザー、関係者、専門家、担当者、リーダーでは役割が違う。必然的に、チーム編成でも扱いは違ってくる。

例えば、結婚式でも、親兄弟、親族、仲人、職場の上司、同僚、友人、恩人、式場のスタッフでは、役割も席次も違う。まず、役割に応じて、その時、その時、配置を決める。
その時、その時というのは、婚約、結納、結婚式当日、披露宴、その時、その時で役割が変わるから。
どこから着手するかが、仕事始めの決め手となる。

仕事は、勉強会から着手するのが、順当。
なぜなら、共同作業、チームワークをする場合、関係者の知識や技術のレベルを合わせ、共通認識を形成する必要があり、そのためには勉強会は、最も、有効だからである。
つまり、前提条件の統一の作業が勉強会なのである。
特に、システムの様に作業が広範囲に及ぶ場合、言葉の定義も統一しておく必要がある。

仕事合わせは、スタート・ラインを揃える事、チームの意思統一が第一に求められる。
だから、勉強会なのである。
勉強を通じて、チーム全員の水準を合わせる。

目的に応じってメンバーも処遇、役割、手段も変わってくる。
また、状況によって、状況のグループ分けをする事も考える。

故に、勉強会を指示された者は、目的を確認し、担当者を指名したうえで、仕様を速やかに上申する。
仕様は、メンバー、時間と場所、手段(パネルディスカッションとか、ワークショップとか、読みあい等)。

指示・命令の確認の際の結論は、何から着手するかで。
何から、着手するかは、受令者が責任をもって上申する。
何から着手するかが確定されて、指示・命令は、発効したとみなされる。
故に、確認は、やむおえない場合を除いって、即刻、即日。
受令の確定、即ち、着手日の確定も即刻、即日を原則とし。
着手日の上申がない場合は、業務命令無視とされた。
正当な理由なく、業務命令を無視した場合は、解雇事由となる。
これは、スポーツの判定と同じ扱い。
今後、指示日より、三日以内に何から、いつ、着手するか上申しなければ、業務命令違反とみなす。

俺達は、仕事に節は作るなと言われたものさ。
仕事に節ができると途切れるからと。

即刻、確認しないと節ができる。
なぜなら、確認しないと忘れるからである。
三日たてばすべてを忘れる。
忘れなくても、記憶をたどる事である。

記憶に頼れば頑固になる。
記憶は、記憶。移ろい易いからである。
だから、必ず、言った、言わないの争いになる。

即刻、即日、確認しなければ、いつ確認する。
即刻、即日、確認しなければ確認する時を失うじゃないか。

即刻やれと言われたら即刻できる事。
三分でできる事と言ったら、三分でできる事。
即日できる事といたら、即日できる事をやればいい。
即刻できる事と言うのは、口頭なりで、メモに基づいて確認する。
三分でできる事は、一度、自分の席に戻って、指示されたことを整理し。
確認すべき事をメモしておく程度。
即日できる事は、即日できる事。
即日できるのは、指示されたことを確認した上、仕事におとす。
つまり作業仕様や大枠、チーム編成を提案し、どこから着手するかを決める。

まず、やるべきを事やる。
やるべき事もしないで、要求するには、お門違いだよ。

指示・命令を確認する過程で、受令者は、指示されたことを自分のものにする。
自分の仕事にしろとどやされって俺は、育ってきた。
自分の仕事にしなければ、仕事の段取りも組み立てらないし。
どこから手を付けていいのかも見当がつかない。
逆に、本気になった奴は、自分が仕事をできるように、鋭く確認し、食らいついてくる。
それを見て、親父たちは、仕事を任せてくれた。
自分の仕事にできない奴は、いつまでたっても信用されない。
やる気がないと叱られたものさ。

着手点のハードルを上げるは、やる気がないと言ってるようなものだ。
着手は、今できる事でしかない。
やる気があるなら、くらいついてこなければ。
着手しなければ何も始まらない。

何から着手するかを決めるというのは、公式に何から始めるかを、明らかにすること。
最初は、何もわからない、決まっていないのだから。
とりあえず、関係者を集めて、指示を伝達し、事情や考えを聞く。
担当者を決め、チームを編成し、顔合わせをする日を決める。
発令者に、指示の、主旨や、制約条件を聞くと言ったこと。
また、場所から入るか、人から入るか、日程から決めるか。
優先順位を確認しておく必要がある。

最初は自分の意志だ。
やる気を見せなければ任せられない。
他人の性にしてる限り、仕事は自分のものにならない。
自分の仕事に責任持てない。
それで、終わる気。

聞く耳を持たないのに、聞くのは野暮だよ。
教わる気もないのに教えてくださいというのは、馬鹿にしてるよ。
互いに、相手を尊重できなければ、共同で仕事はできない。
耳順。
互いに相手の話を聞きあい。
互いに相手を尊重しよう。
それが、礼だよ。

先輩に、部下から、指示・命令を確認する時は、事実関係に留め。
極力、自分の考えはさしはさむなと指導された。
一言いいたくなるのはわかるけどね。
実際のところは、やってみないとわからないし。
最初は何もわからないんだから。
何から着手するかに留めておかないと、実行した際、思惑が外れたら、恥をかくことになるよと。
まず、相手の話をよく聞いて、どこから始めるかを考える事だな。
余程、おかしなことでない限り、相手の考えに従う事さ。
一番、慎重になっているのは、実際に、やるものだからな。
臆病になったり、やる気をそぐようなことをしない事だよと。

なあ、皆、いい加減、勉強をしようよ。
最初からできる人はいないし、何もわかっていない。
ある程度経験あると言っても、世の中は日々進歩している。
少しでも、手を抜いたら置いていかれる。
全ての事に精通している人はいないし。
平均のとれている者も、特定の分野を極めている人には、その分野の事はかなわない。
経験がものをいう分野もあれば、知識が物を言う、あるいは、資格や技術がなければできない分野もある。
現場の事は、現場に聞け。
事情、状況が変われば、結論も、まったく違ってくる。
自分の力なんて大した事ないんだよ。知れてるんだよ。
少しばかりの知識や経験を鼻にかけていたらお終いさ。
勉強し続けるから向上するし、成長もする。
勉強をやめたら、すぐに追い越されてしまう。
一生、勉強なんだ。

仕事を任されたら、最後までやりきろう。
俺達は、仕事は、終わってからが勝負だ。
特に、失敗した時が肝心だ。
責任は、取ってやれ。
でも後始末、最後まで、自分でやらせろ。
謝るのも、後始末、後片づけは手を出すな。
自分でやらせろ。
今の子は、準備、支度、用意、後片付け、後始末は、人がやてくれると思い込んでいる。
そう躾けた者、社会は酷い。
子供を何の準備もせずに大海に放り込むようなもの。
せめて、泳ぎくらいはできるようにしておかなければ。
だから、子供は、社会に適合できずに引き籠る。
今の子は、礼儀、常識を知らないというが、そう育てたのは誰だ。

始めなければ。
何も始まらない。
自分の人生の傍観者にだけはなるか。
自分で生きるか。
始めなければ、何も始まらない。