慌てなくっていいよ。
手順通りやれば、確実に結果は出るから。
逆に、手順がわからなかったらいくら焦っても結果は出ないから。
急がば回れというだろ。
結論を急ぐ必要はない。
結論は、手順にしてがって解いていけば、出る時の出る。
手順を踏まずに答えを出すのは賭けに過ぎない。
憶測、推測で結論は出さない。
事実だけに基づく。
仕事は、一歩いっぽ確実に作業を積み上げていく事。
試験日が決まったら、着実に勉強をする、計画的に。
いくら焦っても、勉強が進むわけではなく。
結局一夜漬けになるだけ。
慌てず、騒がず、確実に一歩いっぽ積み上げていく。

先ず、足元を固める事。
ローマへの道も一歩からというだろ。
まず一歩さ。
それも、一歩は、自分の歩幅ね。
二メートルでも、五メートルでもなく、自分の足が届く範囲。
最初から完成度なんて求めない。
今の自分ができる範囲。

完璧にされているならば、踏襲、ただ、教わればいいのだが、通常は、不完全で、問題があるものだから、都度見直し、検証し、更新する必要がある。
学ぶ必要がある。

仕事は、日々、環境、状況が変化し続けている。
見直し、検証し続けないと変化についていけない。
完璧だと思ったらおしまい。

自分は、これまで四十年以上、経営に携わってきたが、完璧だと思ったことは一度もない。
だから、常に学び続けてきた。
また、時代の変化、環境の変化に合わせて綱に自分を改めてきた。
完璧にできないのが恥かしいのではなく。
自分が未熟で過ちが多い事を、認められないのが恥だと私は思う。

日に新たに、日々に新たに。

営業は、お客様から注文を受けたら一旦、注文の内容を整理し、それから、やる事を洗い出し。
その日のうちにやっておくことを抜き書きすると言うのは当たり前な事だけど。
内勤者ができないのはおかしいよね。
ユーザーは誰か。
オーダー(注文、指示、命令)を受けたら、一旦、指示された内容を紙に書き整理し。
やるべきことを書きだし、優先順位を決め、その日にやっておく事を書き抜く。
ここまでは、誰にも言われなくてもやらないとね。

次を決めると言うのは、次回までに、各々が何をやってくるかを決める事だからね。
基本的に役割を分担したら次回までにやってくる事があるはずだから。
いつやるかは、次までにやってくる事から判断する。
次回いつやるかだけ決めて、それまでにやってくることを決めなければ意味ないからな。

一ヶ月の期日の仕事は、一ヶ月かかる作業があることを意味し。
三ヶ月の期日がある仕事は、三ヶ月掛かる作業があることを意味し。
一年の期日の仕事は、一年かかる作業がある事を意味する。
まだ一年あるなんて悠長なことを考えていたら、あっという間に時間が過ぎ、結局、やっつけ、一夜漬けの仕事になる。
仕事に王道はなく、一日一日の作業の積み重ね。

一ヶ月後に会議を開けと指示されたら、会議が、開けるように準備するのは、指示された側の仕事。
お客の注文に応じって、料理を作るのは、料理人の仕事で、注文を出したお客の仕事ではない。
一ヶ月後というのは一ヶ月かかる作業が隠されているからで。
今日決められる、できるなら、一ヶ月後のする事はない。
明日運動会をするよと言われてできるか。
それは、指示自体が無謀なので。
会議の席上で十頁ある資料を渡されて瞬時に内容を理解して適切な意見が言えると思うか。
出席者は、超能力者ではない。
資料は可能な限り事前に配布しておく。
自分一人、資料に精通してたら会議は成り立つか。
一ヶ月期間があっても、一週間前に、着手すれば一週間の仕事でしかできない。
三日前に着手すれば三日間の仕事しかできない。
それで時間がないのは、自分で仕事をなくしているだけ。
言い訳に過ぎない。
自分の仕事は、自分で責任を持ってやる。
一ヶ月の仕事は、一か月間の作業が詰まっている。
例えば、十頁の資料を会議の席上で配る場合は、次の会議までに資料に目を通し、次の会議までに各自、自分の仕事をやって来いとしう意味でしかない。
頭の会議で、結にはならない。
準備しておかないと結の会議が頭の会議になってしまい。
その分、先送りなる。
気がつかないと、ずっと足踏み状態に陥る。

一か月先ではなく今。
今確認できなくて一か月後に確認できると思う。
次回、出席者は次回までにやってくる事を確認出来たら。
次回までに、何を誰にいつまでにやらせるか、やってくるかを事務局までに報告する事。
仕事は、一人でしない。
例えば、予実績管理や、売上の未達の原因などは、支店長一人わかても仕方がない。
いかに、当事者、売上未達などは、営業員一人ひとりに自覚させるか、考えさせるかが肝心。
その為に、自分で計画を立てさせ、調べさせる必要がある。
決められた事を、どのように実行するかが肝。だから、一ヶ月かかる。
三日前、一日前では、支店長が一人でやるしかなくなる。
それでは、次回会議の結果は、やる前、一か月前に出ているようなもの。
会議終了直後にどこまで詰め切れるか、それで勝負は決まる。
今、各自、次回までにやってくることが確認できなければ、三日前に確認する事自体できない。
だから、直後に確認し、速やかに作業に移る必要がある。
どんな簡単の事でも三か月かかる。
今、三か月後の結論、結果を求めているのでは、最初の一歩をもとめている。
最初の一歩は、誰にでもできる簡単な事。
つまり、決まった事を確認する事。
しかし、これを怠ると日に日に敷居が高くなり。
絶望的に難しくなる。
それは、簡単な事を怠り、自分で難しくしているだけ。
一か月かかる事を一日でやろうとすれば、時間がないに決まっている。
今、次回の会議の事で何がハッキリしているか。
先ず、日時、場所、主管部署、議長、進行、事務局、記録係、前回の議事録、次回の議事録、提出資料。
見ればわかるように会議の大方、外枠は大体出来上がっている。
問題は、次回までに、誰が何をやってくるのか、用意するのかが詰められているか。
それが、予測できれば、当日の計画は立てられる。
イベントの準備は、前日だけでするわけではない。
資料に関しては、何を、いつまでに、誰に事前に配布しておく必要があるか。
これは、基本的に事務方が準備し、議長、進行の承認を得ておく必要がある。
議長はあくまでも統括で、こもごまとしたお膳だって、準備は事務課がする。

今なら一か月あるの。
一週間たてば、残りは、三週間になり。
二週間たてば、残りは、二週間になり。
三週間たてば、残りは、一週間になる。
時間はどんどんなくなりやれることは限られてくる。
その上、記憶は曖昧になり。
各々、やるは、マチマチ、ばらつきが出て、解釈の違いも大きくなる。
つまり収拾するのが難しくなって統制がとれなくなる。

準備が先で、実施は後、結果はさらに後。
準備をしろと言ってるので、結果を出せなんて一言も言ってないし。
それほど、俺も馬鹿ではない。
準備をしなければ、実行はできないし、結果はあたりまえに出ない。
それが道理。
準備も実施もしないで結果を求めるだけ野暮。
いきなり結果を求めたら話にもならない。
道理をわきまえないと。
会議の準備もしないで会議を開いても、会議の成果は出ない。
会議の準備は、議長が一人でするわけではない。
むしろ議長ができる事は少ない。
出席者、全員が準備し、協力して実行しない限り、会議は成立しない。

仕事は、何が、わかっていて、何がわからないか。
何ができて、何ができないかを確認する事から始める。

最初は、何もわからない、何もできないのが普通だよね。

次に、皆がわかっていること、できることを確認する。
なぜなら仕事は、チームワーク、共同でする事だからな。
そして、ハッキリしている事を整理し、できる事から着手する。

知ったかぶりされるのが一番困る。
全てが曖昧になり、何から着手していいかわからなくなる。
一番の問題は、チームの信頼関係が最初から崩壊する。
だから、わかってます。できますという応えは最低だよね。
知ったかぶりというのは、言い換えると嘘。

最初にできる事は限られている。少ない。
それは、悪い事ではない。
逆に、やる事が限られているから、今何をすべきかがわかってくる。
最初に、何がハッキリしているか、何がハッキリしていないかを見極める事さ。

四日市の公害を摘発した、当時の海上保安庁の田尻課長は、自分達は何もわかっていないからと高校の教科書を引っ張り出し、勉強会から始めたと言っていた。
実務屋はこういう人を尊敬する。

わかっていますと知ったかぶりして、何もしない奴は最低だよね。

やることが決まったら、慌てる事はない。
急がば回れだよ。
慌てず、騒がす、急げさ。

どうせ、言われたとおりやっても、だめだと言われるからと振って腐っている人見受けるけど。
そういう人間は自分が言われた鳥の仕事をしていないから駄目だしされると気がついていない。

だいたい、そういう人間に限って。直後に確認していない。
一回聞いた程度で、わかりましたと言って、何もしない。
だいたい、直後に確認したかと聞いてもなんだかんだ言ってはぐらかそうとする。
今やってる仕事があるんですが、大体、そういう人間の言い訳の定番。
確認なんてすぐにできるはずだぜ、今、確認しないでいつやると叱られた。
大概、案の定、直後に確認しないから、できる事、できない事が成立つかずに固ままってしまう。
後は、いい訳だけをぁんが得るようになる。
言い訳は、巧妙にうまくなる。
でも、自滅的、自虐的になるよね。

お前は言われた通りしてるつもりでも、上が、客が違うと言うなら違うんだよ。
それを、上の性に、客の性にするな。
上の性に、客の性にしてる限り、自分の為にならないぞと。
そんな癖付けたら一生苦しむ。祟るよと。
大体確認したか。
確認しなかったら、何も言えない。
言い訳はできない。
以前は、確認してないだけで、全て、最初から、やり直しを命じられたくらい。
わからない事があたら、わかるまで聞け。
くどい、しつこいは、実務では誉め言葉だと思え。

引継ぎをしろと言われた時に、わかっているのは、引継ぎをすると言うことぐらいなの。
さあ困っただよな。
先輩たちに、困ったら聞けよって怒られた。
わからなかった、わからないままにするなと。

困ったからと言っていきなり答えを出すなよ。
そういう時出せる答えは、無視するとか、やらないとか、辞める。
極端なんだよな。

聞きに来ないと、昔の上司は困った。
それでわざと。聞かないとできない指示を出しておいて。聞きに来ないとなぜ聞きに来ないと叱った。
今困るのは、聞きに来なくても、聞かなくても困らない上司部下が増えた事。
こうなるといつまでたっても、できない、わからないままになる。

議事録を読むと結論は出てるよ。
結論として受け止めない方に問題がある。
もう一度、議事録を読み直し、それぞれに与えられた課題。
また、共同して取り組む課題は、関係者を特定し、集め、速やかに次の会議までに何をするかを決めて、事務局まで報告するように。
出された結論に基づき仕事にするのは、各部門長、担当部門長の責任だからね。
議事録を読まないでも、会議中に自分が関係していると思われる個所は、メモしてるよね。
自分のメモと議事録を照合し、また、関係者のメモと照合したうえで自分がやるべきことを特定するよう。
議事録で仕事するなと。
もっとも、最初から議事録なんてあてにしてなかったけどね。
なぜなら、議事録ができるまで間が開くから。
そんなものあてにしていたら間抜けと
よもや、それは、自分の仕事ですかなんて言わないよね。
そんな事言ったら、人間性を疑られるよ。

この件どうすると問われたら。
「僕に任せてくださいとか。」
「こっちでやりますよ」と場躯体の先輩たちは、かって出た。
自分から、手を上げないと後で、「なんであの時、自分からかって出なかった。馬鹿かお前は。人がいいね。なぜ譲った。」と馬鹿にされた。
自分が引き受ければ、自分の権限は増えるし、成功すれば評価が上がる。
例え、失敗しても、自分からかって出ておけば、それなりに評価してもらえる。
要するに入札みたいなもの。
そこで、引いたら、自分の権限も仕事もなくなり、要するに自分の立場がなくなる。
おまえ、「俺の仕事を奪う気か」と食ってかかたもの。
黙っていたら、やる気がない、無責任、無能のレッテルが張られかねない。
そんな事をしたら、格下げ、配転、給料の減額を自分で招く事で。
誰も同情もしてくれない。
自分の仕事に割り込んできたら「余計なことするな、筋が違う」と激怒した。
要は、仕事の奪い合いをした者。
「それ僕の仕事ですか」裏でせせら笑い、馬鹿なやつよ、恥知らずと嘲笑われた。
自殺行為だね。

半沢直樹を見てもわかるように権限の奪いあいだからね。
譲ったらお終いさ。
人がいいでは済まされない。
自分は仕事しないといたようなもので。

何もハッキリしていないと思うのは、思い込みである場合が多く。
客観的事実を上げてみると結構ハッキリしていて、ハッキリしてない事の方が少ないものだ。
わからな事、ハッキリしていない事に囚われるから、全体が見えなうなる。
例えば、日時、場所、議長、主管部署、記録係、事務局、出席者はハッキリしている。
議事録もある。
次回にやる事の結論が出ていれば、次回までにやっておく事、用意する物や資料もハッキリしている。
結論がハッキリしてなければ別だけど。
要するに、結論が出てない事、やってみなければわからない事が、ハッキリしてない事。

その上に、いろいろな事を加味する。
例えば、三月はどんな月。
基本的に、半期の決算月、異動月。締めの月。
これを前提とすれば、三月の会議の構想を立てるのはさほど難しくないはず。
会議は議長一人では成り立たない。
出席者全員が何らかの役割を担っている。
この事を忘れない事だ。

遠い事は決めやすい。
近い事は決めにくい。
これもよく言われた。
例えば、レストランの予約でも三か月先の予約はとり易い。
選択肢も多い。
しかし、今日、明日、予約しろと言われても難しい。
人数が多かったり、有名店だったらなおさらの事。

要するに、失敗する人の多くは、失敗を自分で招いている。
失敗するためにやっている。
反省すべく店を間違えている。
それに気がつかない限り、いつまでたっても、同じところで失敗する。
失敗したい。失敗したいと仕事をしているようなもの。

手順に自然体でやれば、無理がない。

多くの人は失敗の原因をアイデアとかセンスの求めるが、多くの場合は、段取り、手順を間違えているからで。
それなら、それに気がつけば治す事が出来る。
治せるところから改めればいいだけ。
治せないところを責めても何にもならない。
目の見えない人に、よく見ろと言うのは酷な事。

人の忠告は素直に聞く事だ。

仕事は、いい習慣を身につけているか、どうかで決まる。
仕事のできる人は、一連の仕事を淀みなくできるような習慣を身につけている。
それに対して、仕事が雑な者は、気紛れで我儘、変な癖、偏った癖を持っている。
そういう者は、仕事に、無駄やむら、無理がある。
いい時はいいが、悪い時は、悪い。
調子にのると思わぬ結果を出したかと思うと、スランプに落ち込むと際限なく落ち込んでいく。
仕事には始まりの形、締めの形がある。
始まりの形を覚えないと仕事全体が、けじめがつかず雑になり、終わりの形を覚えないと締まらなくなる。
始まりの形と締めの形を習慣にしてる者は、仕事に間違いがない。

指示の本旨は、〇〇が出来るようにせよだからね。
引継日に、引継ぎができるようにせよ。
会議日に、会議が開けるようにせよ。
引き継ぎの日と場所を決めただけで、引き継ぎができるわけではない。出席者全員に日と場所、引継日までにやってくること、準備する事、用意するものを伝え。
すべての作業、準備が終わり。用意する物、資料が揃っていることを確認しないと引き継ぎはできない。

会議で分厚い資料を手渡されたら、資料を検討することはできない。
必然的に、その会議は、資料を配布するのが目的になる。

会議は基本的に進捗状況の確認と作業の組み換えが主で、討論は、副次的な事。
会議と会議、打ち合わせの間に何をするかが本論なので、会議は、その中継、点に過ぎない。
だから、会議は、前回の決議事項で、今回までにやってくること、用意することになっている物の確認から入り。
次回までに各自がやってくること、用意することの確認で閉める。

会議を成立させるためには、事前に必要な資料は、出席者が会議で検討できるよう、事前に配布しておく。
事前と言っても、資料に目を通すことができる時点に配布しておかなければならない。

準備、用意が終わらずに引き継ぎや会議の日を迎えたら、結果はやる前からわかる。

試合の日と場所を決めれば、試合ができるわけではない。試合の日と場所を伝えたら仕事が終わるわけではない。
手術の日と場所を決めたら手術ができるわけではない。
試合の日までに各自が何をするか、しておくかが肝心。
手術の日までに手術ができるように準備しなければ手術はできない。
一つでも必要な準備が終わっていなければ、手術はできない。

監督には、監督の役割、投手には、投手の役割、守備範囲、外野手には外野者の役割、守備範囲がある。
投手が、外野フライを捕球する訳にはいかない。

野球は勝つ事だけが目的なのではない。

組織は、同時並行作業で成り立っている。
野球は、ピチャー、一人ではできない。
ピチャーが、投球している時に、外野手がペチャペチャしゃべっていたり。
携帯電話をしている内野手がいたり。
監督が違う仕事をしていたら試合はできない。
試合中は、試合に集中する。
それが常識。

そもそも、ピチャーを誰にするか決めていなければ始まらないし。

監督は、一人では何もできない。

コーチが一人で練習しても、チームの技能が高まるわけではない。
コーチの仕事は、自分の技能を高める事ではなく、チームの技能を高める事。

守備力を高めろと言われて、打撃練習をしても目的は達成できない。

自分が、相手から何を求められ。
相手は、何を必要としているかを正しく理解していなければ仕事はできない。

おいしいものが食べたいと言ってるのに、いい靴屋がありますと教えても相手は納得しない。
野球の練習に行くというのに、剣道の竹刀を渡す者はいないだろう。

チャンと指示したことを理解しているかどうかは、指示した直後に、確認すればすぐにばれる。
わかっていないのに、わかりましたと答えるのを空返事という。
空返事をするなと叱られた。

的確に的をとらえて返せば、一本のとれる。
志ある者は、相手が隙を見せたら一本取る。
勝負する時は、勝負する。

いい指導者は、後輩や、部下から一本取られることを喜んだ。

運動会の準備は校長一人ではできない。
何も校長はしてくれないなんて、ぼやく、教師がいたら、人間性が疑られる。

試合の前日に、選手を集めているマネジャーや、試合当日に試合を準備しているマネジャー。
野球ができる状態で試合場に来ない選手は、常識以前。

じゃあ、会議は、どう。
一か月後の会議の準備はいつ始める。
開催日から逆算して、三日前に始める。
それとも、会議をする事が決まった直後。
どっちが常識。

会議の準備は一人ですればいいの。

組織をリードする人は、全体を把握する必要がある。
全体を掌握するためには、三点を抑える必要がある。
つまり、前方、側面、後方である。

例えば、集団を移動させる時は、先頭と最後尾、そして、側面を抑える。
先頭は、前方を偵察しつつ、誘導する。
最後尾は、後方に備えつつ、遅れている人を保護しつつ、後を閉める。
側面は、前後の連絡を取りつつ、中継地点を繋ぐ。

ガードの場合は、前方を注意し、死角を抑え、後方に備える。
その上で、中心をどこに置くかで全体の推進力を制御する。
前方におけば、陣頭で全体を引っ張り、中間におけば、安定的に引っ張り、後方に置く場合は、後方に備えつつ、全体を押し出す。

補佐役は、バックミラーとサイドミラーである。
死角をなくす。

時系列で言えば、序盤・中盤・終盤。

それで、仕事ができると思うか。
会議が開けるか。
引き継ぎができるかと聞かれたさ。

仕事が最終的に確定できるのは、一両日。
運動会が出来るか、できないかが確定するのは、大体、当日の朝。
運動会は、日と場所を決めただけでは開催できない。

その時に決められることを決める。
今、何が、決められるかを考える。
何も決められなくても、次いつやるか、それまでに何をしてくるかは決められる。
試合の前に試合の反省はできないが、準備することは決められる。

物事を決めるためには、順番がある。
手順を覚える。

今日、明日の作業は、分秒単位。
今週の作業は、時間単位。
今月は、日単位。
三ヶ月は、週単位。
半年は、月単位。
一年は、旬単位で読んでいく。

誰に、何を決めさせる。

その人に決められる。

なぜ決められないの。

目的を理解してないから。
方針が解らないから。
手順を理解してないから。
誰の指示に従っていいかわからないから。
誰に意見を聞いたらいいかわからないから。
権限がないから。
知識がないから。
経験がないから。
情報がないから。
一人では決められないから。

そうしたらどうする。

例えば、情報が不足しているとしたら。
なんの情報が不足しているのか。
どこへ行けばその情報を得られるのか。
どうすれば、その情報を得られるのか。
自分で調べたほうがいいのか。
教えてもらったほうがいいのか。
といった事を一つひとつ詰めていく。

例えば、事故調査を誰にさせるか。
事故の当事者に、事故報告和佐させ、事故処理をさせる事が公正なのか。
事故の当事者に顛末書を書かせてば事足りるのか。
事故を起こした者は、動転し、記憶も定かでない場合が多い。
また、自分の目の前で起きた事しかわからない。
自分の行為を正当化しようと言う動機も働く。
かといって利害がある人間に任せても。
だから、善意の第三者に、事故調査をさせるのが一般的。

何が、道理かを、理解しておく、理解させておく必要がある。

その時に決められることを決める。
今、何が、決められるかを考える。
何も決められなくても、次いつやるか、それまでに何をしてくるかは決められる。
試合の前に試合の反省はできないが、準備することは決められる。

物事を決めるためには、順番がある。
手順を覚える。

今日、明日の作業は、分秒単位。
今週の作業は、時間単位。
今月は、日単位。
三ヶ月は、週単位。
半年は、月単位。
一年は、旬単位で読んでいく。

決められないことを決めようとして。
決められることが決められなくしている。
最終結論を出そうとして。
方針が決められなくなる。

会議の結論は出せないけど役割は決められる。
順番を間違うと急ブレーキがかかる。

いきなり個別の問題の入り込むのではなく。
部分を取り上げて、その部分だけを改善しても抜本的な問題解決にはならない。
むしろ禍根を残す。
初に項目を上げ、全体像をつかんでから、方針や優先順位を決め、確認の上、作業に着手するよう。
早い段階で決めつけをせず、裏付けをとる。
結論を出してしまうと、手詰まりになって、仕事にブレーキがかかるよ。
チームワークだから、自分一人がわかっていて共同で仕事はできない。
仕事の、主旨目的、経過が全員にわかるようにしておくことだよと。
まあ、最初はしずしずと途中から加速度がついてくるから。
相手のおかれている、立場、状況も理解し、無理のないように計画を立てる事。

詰めは厳しくね。
仕事は、きわめて、論理的だからね。
曖昧さを嫌う。
詰めが甘くて泣かされるのは、実際に仕事をする担当者だから。
いい例が、今日中にやっておいて。
今日中の実質的、期日は明日朝一だからね。
ところが、今日中という指示を出して者に限って、今日中にやっておけと言っただろとその日に叱る。
その日にやっておいてほしい場合は、今日の午後三時までの様に時間を指定する。
自分の帰宅時間に間に合わない時は、今日中にやっておいて僕の机の上に置いておいてみたいに指示する。
詰めが甘いと、作業に着手した瞬間、迷うからね。

問題や、困った事が生じた時、誰に報告し、報告を受けた者がどのように処理したかを確認する。
情報の流れをね追跡し。
それを誰がどのように処理するか、それを明確にする事から始める。
それだけでも、解決できることが結構あるから。
弁解や言い訳しても、聞いても意味ない。
問題をどうか帰結するかで、改めればいいのだから。
事実に基づいて事務的に処理する。

最近の若い人は、地図がかけないtぴわれている。
一般に、一枚の紙に地図を描く場合。
出発点と目的地を書いてその間の道や目標を書くが。
今の若い人は、出発点か積み上げるように書くため紙をはみ出すと。
これは仕事の段取りができない事と結び付けて言われた。
つまり、仕事の、目標を定めないで、仕事を積み上げていくから、期日が守れない。
或いは、収拾がつかなくなると。

先ず、終着点、目標を定めてから、足元から仕事を組み立てないと仕事の段取りはできない。

会議の進行役を任された、自分が会議の進行ができるようにせよなんだよ。
つまり、自分で自分の仕事ができる様にせよなんだ。
そこを勘違いすると、最初から仕事にならない。
自分が、自分の仕事ができるようにするのは、自分以外ない。
以前は、自分以外の人間は、邪魔してくるに決まっているとされた。
他人任せではうまくいくはずがない。
ただ、出席者だけが決まっていても、会議の進行はできない。
積極的に自分が関わっていき、会議を作っていかないと、会議をリード、進行する事はできない。
当日、なんの準備もなく、「皆さん、ご意見ありますか。」なんてやったら、最初から収拾できなくなるのは明白。
だから、会議のキーを握る人、中心になる人を探りだして。
その人から、会議の目的やテーマを聞き出し。
出席者に予め役割を割り振っておく。
その上で、それぞれに事前に仕事をわいあっておくことで会議の構想、シナリオが書ける。
そうしないと、会議の計画も立てられないし。制御もできない。
よく、試合が始まるまでにすべての準備を終わらせ、試合ができるようにしておけ。
それが仕事だと。
会議の成否は、会議が始まる前に八割がたは決まっている。
だから、会議の案内で出席者だけが書いてあり、役割が書いてない案内状は、わけがわからない。
配役の乗ってない芝居の案内、配置の決まっていない野球の案内みたいなものだけら。
そこから、何も読み取れない。

会議をなりたたせるようにするのは、会議を請け負った者の仕事。
仕事にするのは、仕事を任された者。
他人ごとと捉えてる限り、自分の仕事はできない。

わかる人は、わかるけど、わからない人は、わからないでは仕事にはならない。
共同で作業をする者は、全員が、同じ目的、同じ方針に従わないと、当たり前に目的を実現する事はできない。
自主的に、テンデンバラバラ、自分勝手に、自分の目的、考えで仕事をしていい訳ではない。
強制のない組織などないのである。
組織は合目的的な仕組みであって、目的が違えば、組織は分裂する。

部下は、上司が決断できるようにせよだからね。
上司が決断できるように、できるように、情報を集め、問題点を整理し、状況を分析するのが仕事。
上司を、迷わせたり、惑わせたり、混乱させてたりしたら、本末転倒だからな。

問題は、自分で設定する。
特に、問題を解く目的は自分で決める。
そうしないと、問題を解く意味がわからなけなる。
特に数学はね。
学校では、問題の解き方しか教えてくれない。
だから、学校を卒業すると理由がわからなくなる。
役に立たない。

自分で問題設定できなければ、学校を卒業して世の中に出たら馬鹿になる。
なぜなら、学校と違って、予め、問題設定されている事なんて普通一般的な社会ではないから。
問題を解きたくとも、問題そのものがハッキリしない。
世の中に出たら、自分で問題設定をする。

結婚をどうしたらできるかとか。
素敵な人と出会うためにはどうしたらいいか。
どうやったらもてるかとかね。
そうしないといつまでたっても結婚どころ、彼女、彼氏もできやしない。
誰を好きになるか、誰と結婚したら、幸せになれるか。
その答えは、自分で出すしかない。
答えが一つしかなければ、皆、一人の人が好きになる事になる。

問題の目的は、自分が知りたいこととか、必要としていること。
だから、自分しかわからない。
問題は、自分で決める。
予算も数学。
予算の目的は、自分がなにを知りたいか、必要としてるかで決まる。
他人に聞いても理解できない。
自分の生活や、家族を養うためには、どれくらいの「お金」が必要か。
その「お金」を得るために、どれくらいのお金を稼ぐ必要があるか。
そのために自分はどれくらい稼ぐ必要があるか。
継続的に利益を上げるためには、どうしたらいいのか。
無駄な支出はないか。
どの様な基準で分配すべきか。
もうけを全て使い切ったらどうなるか。

目的は、それぞれ違う。それでは全体がまとまらなくなるから、それぞれの目的を聞いてトップは、全体の目的を決める。
学校の授業みたいに、予算の目的とは何か答えがあるわけではない。
時代の変化、毎年、前提条件も環境も、考え方も違ってくる。
だから当然目的も変化する。

どっかの学校の先生のように、予算について講義する者がいるが、そういう人間は、予算の意味が解っていない。
予算の意味が若手いないのに教えようとする。
自分の学生時代にも十年以上も全く同じ授業をしていて、
ノートを先輩からもらえばつける必要がないなんて言う先生がいたけど、こんな事、異常だからね。
こんな会議は、普通の社会では考えられないから。

予算の目的も、各々が見直し、全体の目的と整合性をとっていく。

予算会議や予実績会議は、答え合わせでも、数字合わせでもない。
予算を立てる事で将来を予測したり、投資や資金計画、売り上げ目標、人件費計画などを設定する。
要するに、問題意識がなければ、予算は立てられない。
問題意識とは何か。
それは、それぞれが何を必要としているか。

裏返すと、目的だよね。

問題があって目的があるのではなく。
目的があって問題がある。
この辺は、学校は逆に教えるから。
わけがわからなくなる。
要は莫迦になる。
目的が先で、問題は後。
試験のために勉強するのではなく。
生きるために、仕事をするために学ぶ。
生きると言う目的がわからなければ、なぜ、勉強するのかはわからない。

予算を立てる、目的は、各々違う。
また、前提や条件が変われば違ってくる。
だから、目的について最初に、話し合い、全体の目的を最初に設定する必要がある。
時間と共に、前提条件も状況、環境も変わる。
だから、予算は、随時見直す必要がある。
十年前に決めたことですと言える神経がわからない。
それを得々となって、若い連中に教えようなんて。
予算は、日々、学び、昂進しないとわからなくなる。
第一、為替も、物価も、金利の、原油価格も、規制や法も、日々変化しているのだから。

俺は、誰でもいいから、成功してほしんだよ。
そうすれば、次は俺だってなるだろ。
なんだかんだ言ったて、まだまだ、皆、いざとなると、尻込みしているからね。
信じてほしいんだし。
信じさせたい。
一人でも成功すれば、それが呼び水になって。連鎖して。
俺も、俺もって。勢いがつく。
小さなことでもいいから、成功体験を積み重ねて。
諦めないで。
諦める事を覚えさせたくない。
だから、応援するよ。
挑戦してごらん。
人の目を気にしないで。
一度や二度の失敗が何なんだ。
いつでも、何度でも、チャンスはやるよ。
イジイジされる方が、辛気臭い。

慌てる必要はない。
仕事は数学。
手順撮りといていけば答えにたどり着く。
学校で習う数学と違うのは、自分で問題を設定する。
自分で、問題を設定する事で自分の問題にする。
大切なのは、目的で、数学は手段だから、何故、自分が問題、課題を設定するのか肝心。
答えは、一つではなく。自分で出す。