経済を制度設計の前提をメモしました。
近代の国民国家を構成したのは。多くの民族、人種、宗教、その多様性に対処するために近代は形(制度)と働き(法)によって統一性を保とうとした。
形や働きに共通性を置く事で思想的ドグマ、宗教的ドグマから解放された。
思想的、宗教的ドグマから解放されたからと信仰を捨てたわけではない。
神を否定する者は、自らを神とする。
人は、全能感にとらわれやすい。なぜなら、自分が見えないからだ。
その上、自分の目の前しか見えない。
しかし、それは、神を侮り、否定する事で、神の怒りをかう。
全能感に囚われと法外の存在に自分を置く。
社会の法、自然の法則すら自分で思い通りに変えられると思い込むからである。
この様な全能感に囚われるのを防ぐために近代国民国家は自分を超越した存在に宣誓を求める。
この点を日本人は理解していない。
信仰を理解しないから祭礼や儀式が魂を失い形式している。
近代国民国家は超越的信仰を求め、それを宣誓という形で示す事を求めるのである。
神はあなたが信じる神。
人は生かされている。
自分を生かしている存在。
自分は生かされていることを忘れると。
自分の存在根拠を見失う。
スポーツも近代以前は神事だった。
なぜ、スポーツ大会は宣誓で始まるのか。
オリンピックで聖火が、ギリシアから運ばれ、期間中、灯されるのか。
宣誓の時、復唱が求められるのか。
日本人は、ただ形だと思う。形に霊があるとは思わない。
形と働きに集約する。
形と働き集約することで事実が根拠となり。
それから、思想的ドグマから解放されました、民主主義体制、実証主義、簿記会計が成立した。
そこから、位置と運動と働き。
位置は、民主主義に
働きは、個人主義に
関係は、自由主義に。
一体、経済は、何を目的とし、どのような状態を目指しているのか。
それを明確にしないと、経済を分析しても意味がない。
易の構造ですね。
太極を始点に多様な状態に対応する。
社会は、違いや差を前提として成り立っている。経済も政治も同じである。
この違いや差を正しく理解しないと差別が生じる。
現代の経済は、現象に囚われすぎている。現象の背後で働く構造や仕組みに注目すべきである。
私は、他の人と違う、差がある。
これを前提とする事で社会、経済は成り立っている。
この差や違いをどう管理し、制御するかが経済の大問題なのである。
差や違いを事実として受け入れる。それが経済の始まりである。
経済の大命題は人を生かすです。
経済の大命題は、この世に存在する全ての人を生かすこと。
そのために必要な資源を生産し
満遍なく分配する事。
費用対効果だけでは経済を測りきれない。
貨幣経済では、市場で生きていくために必要な資源を手に入れるために必要な「お金」を全ての人に配分しておく。
そして、「お金」は、常に供給され続けなければならない。
経済主体
経済主体は、出力(物、お金)入力(物、お金)からなる。
経済主体の最小単位は個人。
個人が集まって生産主体、分配主体、消費主体を構成する。
生産主体。個人事業(収支)、企業(損益)役所(統制)
分配主体
消費主体(家計)
自由主義では、生産主体と分配主体が一体。
市場経済。
対価。私有財産制。生産手段の私有。
ベーシックインカムは生産と分配を分離する危険性があす。
共産主義は、生産主体と分配主体は、独立している。
統制経済。計画経済。
内部基準。国有財産制度。生産手段の国有。
市場を経由せずに計画によって直接生産を統制しようどういうのが計画経済である。
自由主義経済、共産主義以外の経済体制には、社会主義、共同体主義等がある。自給自足。
現代の経済体制は、貨幣経済、市場経済を基礎とする。
現代では市場と貨幣制度不離不可分な関係にあるが、最初から一体だったわけではない。
貨幣制度の要件。
貨幣が循環することで経済の仕組みを動かしている。
「お金」が経済の隅々まで行き渡ること。
「お金」は交換の手段。
「お金」は、支払いを準備する。
「お金」は、数値情報。経済データは、基本的に数値情報。
「お金」の流れは血管のようなネットワークになる。
なぜなら、「お金」は、すべての人の間を巡り、繋げなければ機能しないからである。
「お金」は循環し、財と権利は、直線的に動く。
故に、「お金」は、再利用され、消費されない。消費されないために蓄積される。
現金とはその時点における貨幣価値を指し示す指標。
「お金」には実物貨幣と表象貨幣(紙幣)がある。
紙幣が成立するためには一定程度実物貨幣が出回っている必要がある。
紙幣が発行されると実物貨幣は表彰貨幣に変換されていく。
紙幣は、国が借金をする事によって市場に供給される。
借入金は、紙幣が市場に流れる方向と垂直方向に同額の債権と債務を派生させ、回収側にながれると減少する。
紙幣は売買によって市場に供給される。
債権は資産を形成する。
借金は、担保を必要とする。
担保は資産となる。
借金は、負債を形成する。
資産は実体的価値を、負債は、名目的価値を形成する。
債権から権利が生じ、債務から責務が生じる。
負債は、資本を生む。
市場とは何か、取引の場である。
取引とは何か交換である。
基本は「お金」と財の交換だが、物と物、「お金」と「お金」、財の代わりに権利が使わられる事もある。
取引には経済的価値を確定する働きがある。
需要と供給を調節するはたらきがある。
「お金」を循環させる働きがある。
取引には売買と貸借がある。
取引は、出し手と受け手からなる。
取引は等価交換である。
そうですね。働きです。ぼくは経済を生きる為の活動と定義します。でも、不思議な事に経済を定義している経済学にお目にかっかた事がない。定義せずに、いきなり、需要と供給とか搾取とか(笑)
経済学は本来、人々の幸せと豊かさ平和を追求する学問なのです。疎外、孤独、戦争、貧困、分断は、経済学の敗北です。
人を生かす事を考えない、経済学は害でしかない。
そう。システム設計に必要な働きは何か。それが解明出来たら。ぼくは戦争の原因は経済だと思うけど、食い物為に戦争するなんて言えないから大義を持ち出し泥沼化する。だから、経済を語れない者は、この世を救えない。ぼうさんはこの世は救えない(笑)
生々しくなりますから、事実を直視しなければならなくなるから、でも、AIの力を借りられれば。