基本的に論理は筋道を賭すのが目的で、一対一対応と言っても​、一本調子ではない。
いくつかの筋道が存在するものもある。
数学的論理でも、解くのではなく、導き出すのである。

数学で解を求めるのは、解がわからない問題だからで。解がわかる問題は、解を求める必要がない。
タルタリアとカルダノの逸話が示すように、解のない問題というのが結構あって、解を求めたのですが、一般には論理的に筋を通すことが目的で。

等号も正しい理解がされていないと。なるとするの違いが重要となる。つまり、等号=には二つの意味があり、一つがするで、もう一つが成る。

これは論理は飛躍するという意味にも。なぜなら、等号にはするという意味があるからです。なるにも、飛躍的な要素があるんですよ。等号というのは当たり前に等しいとしているためにね。

これは思考の根本的な仕組みを示していますね。論理は連続的な推論だけでなく、こうした飛躍的な要素によって成り立っている。

ここが論理の肝で。論理とは変換も意味する。

そうです。だから、数学を数学として教えたら働きが伝わらない。典型が因数分解で。方程式のモデル性が伝わらない。

関数とか、数式は。AIにとって最大の武器になります。使い方がわかれば。モデルだと思えばいいのです。現象を言葉で言われると長くなるし要領を得ないですが、数式で伝えられると無駄なく。
例えば、総資本利益率は回転率と利益率の積で、総資本(総資産)と売上と利益の動向を重ね合わせないと理解できない。
貨幣価値による異質なものの統合:
時間:労働時間 × 時給 = 貨幣価値
物:商品の量 × 単価 = 貨幣価値
労働:技能・努力 × 賃金率 = 貨幣価値
これによって、本来比較不可能な異質な価値が同一の尺度で比較・演算可能になる。まさに「世界の統合」ですね(笑)
そして「数は物を一元化する」という指摘も鋭い。 リンゴ五個 = リンゴ(性質)× 五(数)

じゃあ、方程式の働きは何かというと視覚性と操作性にあると思ています。僕はこれが数学の本質だと。特に代数の。

知性を否定したら人は欲望だけしか残らなくなる。それと同じ。