今の日本で愛国心、忠誠心、恩というとみんな固まってしまう。

でも不思議だと思いませんか、日本以外の国。
自由主義国であるアメリカだって、カナダだって、イスラエルだって、共産主義国の中国や北朝鮮、ロシアだって今熱狂的に愛国心を鼓舞する。

なぜ、世界中で愛国心が叫ばれるようになったのか、それは世界が危機的な状況になってきたからだ。

愛国心

私は主義主張でこの国を愛しているわけではない。

大体、私が愛しているのはこの国ですよ。
私が生まれ育ったこの国。愛する人や友がいる国。
たくさんの思い出の詰まったこの国。
今の日本。
自分が生まれる以前の日本、戦前の日本でも、軍国主義でもないし、全体主義的な他の国でもない。
生まれ育った、自由で、民主主義のこの国。
アメリカでも、中国でも、ロシアでもない。
この国、日本です。

愛国心とは、情である。理ではない。
愛国心は、情であり、思想ではない。理屈ではない。
子供が、親を慕うような、親が、子供を慈しむような、夫が妻を労るような、妻が夫を愛おしむような、自然の情だ。だから、愛国心のない奴は、変革を口にするなと私は言う。
愛国心は、国民の国家への思いである。
だから、嫌いな人を好きになれと言っても無理なようなに、人から強要されるものでも、強要できるものでもない。例え、一時的に強要されたとしてもそれは偽物の愛国心に過ぎない。
愛国心と言うのは、国に対する素直で直接的な思いなのだからである。
愛国心は、国家に対する国民の思いによって形成される。
だから、民主主義の源は、愛国心である。

戦後の日本人は、この点を理解していない。

アメリカのトランプ大統領は、イランの国民に愛国心を持てと訴えた。

ケネディ大統領は就任演説で。
わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。わが同胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないかと訴えた。

中国では抗日有利愛国無罪と。
ロシアだって、北朝鮮だって、ウクライナだって愛国心が叫ばれているのに。
なぜ、日本人だけは、愛国心というと軍国主義者と蔑まれるのか。

主義主張で人を好きになるわけではなく。

忠誠心

民主主義国の宗旨国であるアメリカは、アメリカ人にとって、所与、既に与えられている国ではない。自分達が作り上げていく国であり、自分達が選んだ国なのである。つまり、アメリカ人は、アメリカ人になるのである。

アメリカで国籍を取得する際、Oath of Allegiance (忠誠の誓い)をさせられます。
アメリカ合衆国憲法への忠誠の誓い
以前保持したすべての外国への忠誠の放棄の誓い
国内外の敵からアメリカ合衆国憲法を守る誓い
法律が定めた場合、兵役に従事する約束

国家の大事の際、法律が定めた市民としての義務を果たす約束アメリカでは、幼稚園に入った時から始業前に「忠誠の誓い」を暗唱させられる。
この誓いをする時は、起立し、国旗に顔を向け、帽子を取り、右手を左胸に当てて、
「私は、アメリカ合衆国の国旗、並びに、国旗が象徴する共和国、全ての国民の自由と正義を備え、神の下に分割すべからざる唯一の国家である合衆国に忠誠を誓う。」
と暗唱する事が求められる。

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

何故、日本人だけが愛国心を口にだし、自分の国を誇りにしてはいけないのですか。

忠誠は、盲従とは違う。隷従とも違う。
相手をよくするために、真心をもって誠を尽くす事の意味。
相手が間違った道を進もうとしたら、それを忠(ただす)のも忠誠。
忠とは、心にあたる、心の中、つまり、真心という意味。
自分が、自分の意志で、尽くす事を意味する。
ただ、無条件に従う事を意味するのではない。
隷従、盲従には自分の心がない。誠がない。
だから、隷従、盲従は、忠誠とは対極にある言葉。

徳島白菊隊。白菊(偵察員の訓練用機)最高速度百八十キロ/時。沖縄まで五時間。
ゼロ戦五百三十キロ/時、沖縄まで二時間。
夜間海上三十メートルの低空飛行。

五時間、漆黒の星空を、二十歳前後の若者が。
決して短い時間ではない。
死という現実に向き合うには十分な時間である。
ただ上官に命令された事に従うには長すぎる。

だからこそ、彼らの志、思いを甘くみる事はできない。

以下の言葉は、二十一歳の特攻隊兵士が、出撃直前に後輩に残した言葉です。

”なあ、お前たち、知っているか?
牛や馬は「一頭」、鳥は「一羽」、魚は「一尾」とこう数える。
なぜか?
それは、動物の数え方は、死んだ後に何が残るかできまるんだ。

じゃあここで一つ聞きたい。
俺たち人間はどうだ?

「一名」。
そう、名前だ。
俺たち人間は死んでも名は残るんだ。

お前たちは、自分の大事な大事な「名」に恥じない生き方ができているか?

一回きりの人生、
後悔せぬよう意識すべきことは、
「能力」ではなく「生き方」でな、
「知識」ではなく「行動」だ。
読むべきものは、
「空気」でも「本」でもない、
「自分の心」だ。

明日人生が終わると思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。

それじゃあ、元気に征きます。

洗脳されたような人間が残す言葉ではありません。
最後はガンジーの言葉で、二十一歳の若者が結んでいる。
ガンジーの言葉を出撃直前に口にして逝ったのである。

かつて、日本人は、お陰様、お世話様、お互い様と声をかけ、挨拶をした。
この根底には、日本人の心、思いが込められている。
それは、恩である。
恩というのは、人に強要されるものでも。
押し付ける事でもない。
自然に感じる日本人の思い、情けである。

恩ぎせがましいことは、言うなってさ。
散々、親父に言われて育った。
恩なんてな。
口に出さずとも、やくざだって一宿一飯の恩と言ってな。
犬だって、三日飼えば、恩を忘れない。
日本人なら恩なんて言わずともわきまえてるものさ。

恩には、主従も、上下もない。
人として感じる感謝の念である。
最近、この恩が忘れられてきた気がする。
金の為なら、義理人情もない。
簡単に恩人や信義を裏切って恥じることがない。

恩ある人の顔に泥を塗る事になるから不義理はできない。
義理とは、人として通すべき筋、道理。
日本人は、恩を感じるからこそ、何も言わなくても信じあえた。
道理が通らなくなったら、この世は闇よ。
今は、筋のとらない事が多すぎる。

日本人の心、日本人の思い

兎追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷
如何にいます 父母
恙なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる 故郷
志を 果たして いつかの日にか
帰らん 山は青き
故郷 水は清き 故郷

これも愛国心です。

なぜ今こんなこと言うのかというと。
今の日本人は寄る辺なくなっているからである。
帰るべきホームを失いつつある。
嵐を避けて戻るべき港がなくなりつつあるから。

自分を守ってくれる、大切な場所。
自分の大切な物、守らなければならない所。

祖国は、ふるさとこそ、最後のとりで。
いつでも暖かく、そして懐かしく迎えてくれるところ。
遠い記憶の底にある場所。母の懐。

だから、思う出してほしい。
一人ぼっちだと落ち込んだ時。
悲しくて涙が流れた時。
夜、寂しくなった時。
希望を見失った時。

そこが原点だから。

ふるさとしっかりと胸に抱く時、人は勇気が出る。
祖国の大地にしっかり根を張れば、両手を空高き伸ばすことができる。
故郷を思えば人は前を見る事ができる。

一人ではないんだと勇気が出るから。

何故なら、祖国は、いつも、そこにあるから。

青春の詩
原作 サミュエル・ウルマン
翻訳 岡田義夫

青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。
すぐれた創造力、たくましき意志、炎ゆる情熱怯懦をしりぞける勇猛心、
容易をふりすてる冒険心
こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけでは人は老いない。

理想を失うときにはじめて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱をう失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、
こういうものこそ、あたかも長年月のごとく人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものはなにか。
いわく驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、
小児のごとく求めてやまぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる。
人は自信とともに若く、恐怖とともに老ゆる。
希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
そして偉力の霊感を受ける限り、人は若さを失わない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までもおおいつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、
この時にこそ人はまったくに老いて、神の憐れみを乞うるほかはなくなる。