愛国心は無条件な服従、隷属を意味しているわけではありません。国家に対する盲従ではない。
国家国民を良くしたい、国家国民に尽くしたいという思いを言うのです。
だから、圧政に対して抵抗をするのも愛国心。
ミャンマーやシリアの民主派も、愛国心で抵抗している。
フランスのレジスタンスも愛国戦線と。
アメリカ独立戦争の戦士も愛国心。パトリオティズム。
愛国心は、国民国家の誕生とともに生じた比較的新しい概念です。
むしろ民主主義の根本理念です。

フランス革命やフィヒテがナポレオン占領下のドイツで「ドイツ国民に告ぐ」と命がけで講演したのを嚆矢とする。

愛国心とは、情である。理ではない。
愛国心は、情であり、思想ではない。理屈ではない。子供が、親を慕うような、親が、子供を慈しむような、夫が妻を労るような、妻が夫を愛おしむような、自然の情だ。だから、愛国心のない奴は、変革を口にするなと私は言う。
愛国心は、国民の国家への思いである。だから、嫌いな人を好きになれと言っても無理なようなに、人から強要されるものでも、強要できるものでもない。例え、一時的に強要されたとしてもそれは偽物の愛国心に過ぎない。
愛国心と言うのは、国に対する素直で直接的な思いなのだからである。
愛国心は、国家に対する国民の思いによって形成される。だから、民主主義の源は、愛国心である。戦後の日本人は、この点を理解していない。
民主主義国の宗旨国であるアメリカは、アメリカ人にとって、所与、既に与えられている国ではない。自分達が作り上げていく国であり、自分達が選んだ国なのである。つまり、アメリカ人は、アメリカ人になるのである。

アメリカで国籍を取得する際、Oath of Allegiance (忠誠の誓い)をさせられます。

アメリカ合衆国憲法への忠誠の誓い
以前保持したすべての外国への忠誠の放棄の誓い
国内外の敵からアメリカ合衆国憲法を守る誓い
法律が定めた場合、兵役に従事する約束
国家の大事の際、法律が定めた市民としての義務を果たす約束

アメリカでは、幼稚園に入った時から始業前に「忠誠の誓い」を暗唱させられる。
この誓いをする時は、起立し、国旗に顔を向け、帽子を取り、右手を左胸に当てて、
「私は、アメリカ合衆国の国旗、並びに、国旗が象徴する共和国、全ての国民の自由と正義を備え、神の下に分割すべからざる唯一の国家である合衆国に忠誠を誓う。」
と暗唱する事が求められる。

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

何故、日本人だけが愛国心を口にだし、自分の国を誇りにしてはいけないのですか。

愛国心、人類愛、郷土愛、愛社心、家族愛、自己愛、神への信仰は、一体です。
故に修身、斎家、治国、平天下という。
対立概念ではない。対立させるのは意図的です。

愛国心こそ道徳なのです。
信仰心のない日本人にとって。

愛国心こそ道徳なのです。

愛国心は道徳の根源です。
愛国心は危機意識とは別ですよ。
モラルなのです。愛国心があるから倫理が守れる。誇りが持てる。
逆境にも耐えられる。
特攻隊の若者が精神を保てたのは愛国心があったからで。
その点を誤解している。
道徳心があったから愛国心が持てたのではなく。
愛国心があったから道徳が守れた。
今道徳心や礼節が失われたのは愛国心を失ったからで。
だから、愛国心が大切で。問われるのです。

北朝鮮でも、無神論者は結局、人民とか得体のしれない概念を引っ張り出して忠誠を誓わせた。
行き着くところ個人崇拝しかないのです。そうしないと統制が取れない。モラルがなくなる。
ただ、無神論、唯物主義、個人崇拝だから悲惨な結果をもたらした。
一神教徒は神に対する信仰をね。
でも日本は、そのような信仰が持てないから愛国心によって道徳を守らせた。
それを軍部が利用しただけです。

愛国心こそ道徳なのです。
一神教徒にとって信仰が道徳の根源になります。
信仰心の薄い者には愛国心がないと道徳が保てません。
何故なら、道徳は、自己を超越した何者かに依拠しなければならないからで。

今の日本人の道徳はただ、周囲と折り合いをつけるためのものになってしまった。
要は皆仲良くである。
だから、その場の空気が重要となる。
何かのために犠牲になるという発想はわかない。
ただ周りに迷惑をかけないことだけが肝心になる。
中芯がないのである。

最澄と空海は、命がけで海を渡り。
津田梅子は、満六歳で渡米し。
吉田松陰は、二十四歳で密航を企てたが遂げられなかった。

この国の為ですよ。
志がなければ。命がけの覚悟で海を渡る。
少年よ大志をいだけです。

かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂
夢なき者に成功なし。

吉田松陰の言葉が全てを表しています。

欧米のディベートは、戦いであって話し合いとは違う。
単なる討論会とも違う。
話せばわかるといった生ちょろいものではない。国運をかけた戦いである。

この国の思想家は、右翼と左翼しかないのかと言いたくなります。
愛国心とか、国益等というと、お前は右翼かと決めつける。

何を言っているのですか。私が愛しているのはこの国ですよ。
今の日本。
自分が生まれる以前の日本、戦前の日本でも、軍国主義でもないし、全体主義的な他の国でもない。
生まれ育った、自由で、民主主義のこの国。
アメリカでも、中国でも、ロシアでもない。
この国、日本です。

今年は、終戦から八十年。
今は、戦争のあった事すら知らない世代。

今日日、国益とか、愛国心と言えないのは日本くらいなものです。

なぜ、国を思い、日本人として日本に利益になる事を考えるは悪い事なのですか。
世の為、人の為に働く事は恥ずかしい事なのですか。
日本人は国益を考えてはいけないのですか。
戦争に敗けたからですか。
カナダの高校では、世界中の若者が集まってきてディベートをする。
日本の歴史問題なんかは、息子は一人で立ち向かっていて。
言っていましたよ。相手は絶対に譲らないけれど、きちんと反論をしておかないと次からは相手にしてくれないし、他の国の人間も一方的に日本が悪いと思い込むと。

息子は、僕は中国や韓国人を恋人にはできない。どうしても歴史問題で理解し合うことができないからと。
それが今は日本の女性に魅力を感じない。
日本なんて嫌いだと。どこまで深い傷を負ったか、それは息子だけでなく、海外の大学を卒業した者の多くが。
私の会社に二十年ほど前アメリカの中西部の大学に、一人で留学して卒業した女性が勤めていますが。
彼女も帰国して就職しようとしたら国内の大学卒という条件に引っかかりどこにも就職できず、結婚をして。
子供が成長したので就職しましたが、事務員の仕事しかなく。
何とか、彼女のキャリアを生かしたいと思うのですが、正直、惨い話です。

本来、自国の留学生が一番頼りになる、頼りにしなければならないはずなのです。
ところがずっと日本の産業界は、留学生を締め出してきた。
その証拠に、この肝心な時に、海外留学生出身者がいない。
海外留学生といても高校から大学へ行って卒業したものですよ。
大学卒業後とか企業から派遣されて留学した人ではなくて。

国立大学協会の調査結果で海外留学者数はピークだった2018年度の3万2828人から、2020年度には168人にまで減少した。

日本人のみの総学生数に対する日本人留学生の比率も、ピークの2018年度の5.9%から2020年度には0.0%となった。2021年度には留学生数で2352人、比率で0.4%まで回復してはいるものの、2018年度のピークには遠く及ばない状況だ。

留学生の内訳では、1年以上の長期留学が大学の学部で80人、大学院で90人の計170人、1年未満の短期留学が学部で1479人、大学院で693人の計2172人となっている。長期と短期の合計では、学部が785人、大学院が2352人となっている。

それは資料にもある通り、2021年、80人に過ぎない。しかも、理数系は一割もみたさず、卒業見込みとなるとさらに絞られる。
なにも募集しなくても追跡調査すればわかりますよ。数人しかいないのですから。
メジャー級のプロスポーツ選手より少ない。

中国は、百万人。
国力の差は歴然としている。二位はインドの六十二万人。
この数字は、五年先、十年先に現れる。否、既に現れている。
その数少ない卒業生を産業界は切り捨てた。
それでなくとも見殺しにしている。
それで愛国心があると言える。国が滅びます。

海外に国のためにと、志をもって、卒業しても、何の配慮もない。
海外へ留学するという事はそれなりの意義がありますが、それを全く無視する。
それどころか侮蔑する。

優遇しろというのではない、認めろと言っているんです。
外人には阿るくせに。
国内の大学と同じ扱い。場合によっては冷遇する。
そういう卑屈な態度はやめろと言いたいのだ。

日本人は、主家にたいする忠誠心と愛国心と混同しているように思える。
天皇に対する忠誠と愛国心は別物なので。
また、忠誠と隷属・服従とも違うので、その意味で二重に愛国心を曲解していると言える。
戦後の日本は、正式の国民国家に生まれ変わったので、君主国である戦前とは愛国心の働きが違う。
また、戦前の軍みたいな組織もないから、軍国主義的な意味での愛国心とも違う。
日本はその意味で、正当的な国民国家に生まれ変わったのであるから、愛国心を正々堂々、発言するのに何の憚りもない。
他国の人間がどういおうと事実は事実である。
現代の愛国心は、国民国家を根拠とし、国家国民に向けられるものである。
国家、国旗に、いろんな解釈をするのは自由だが、だからと言って、否定したり侮辱する根拠にはならない。
日の丸を血の色だとかいうのは勝手な解釈であって、それなら、赤旗は血の色かというようなもので。
言い出したらきりがない。当事者が正しいという解釈にして従うべきである。

愛国心とは自分の国を思い気持ち、よくしたいと思う心でああって。
それ以上でもそれ以下でもない。
だから、狂信的になるのはよろしくない。
慈悲慈愛であるくらいがいい。

自衛隊員が愛国心を言うのは、自衛隊が健全である為に、また誇りや、国家国民とのアイデンティティを保つためにも、道徳心、自制心を育むためにも好ましい事である。愛国心は忍耐力、道徳の源であるとともに、自衛隊の根本瀬尾真の支えとなるからである。愛国心があるから我慢、忍耐ができる。
克己復礼の根拠が愛国心なのである。