何故、念押しをするのか。
一回、聞けば、読めばわかると言っても、それは、言葉の意味がわかるので、実際に、仕事にするためには、それでは不十分。
共同で仕事をするためには、関係者全員、腹落ちさせておく必要がある。

責任者になったら、担当を決めて、任せてもいいけど、決めるのは、責任者だよ。
なぜなら、社員旅行を例にすると、社員旅行など、人数が多いと、食事など、細かい事を全員を満足させる事はできない。
その場合、必ず、何人かは不満をもつ。
担当者が決めたことにすると、担当者が個人的に責められることになり、責任を負いかねる。
また、臆病になる。細かい事ほど、責任者が責任を持って決める。

最初は、大枠を決めて、徐々に絞り込んでいき、最後は、ビンポイントに決め打ちする。
だから、最初は、ボンヤリと設定するが、最終的には、鮮明にしていく。
故に、話は、最初は、一般論で曖昧な表現をするが、詰めの段階に入ったら、ハッキリと一つひとつ、固有名詞を使い決めていく。仕事は、曖昧さを許さない。

詰めは厳しく。
最終的段階的では駒を指す、駒を打つように決めていく。

決めにかかるから、それまでの曖昧さから、一転して、曖昧さは許されなくなる。
決めるという事は、一つを選んで、他を捨てることを意味している。
だから、勝負なのである。

考えて、考えて、あるところで、考える事をやっめ一気に決めていくのである。
決して断じる。それが決断である。

理性的に考え、感情によって決断する。
決断は勝負である。

部門長とか、打ち合わせといった表現から、〇〇部長は、△△に命じて、いついつまでに何々をせよというように切り替える。

決定のモードやロジックは、考えるモードやロジックとは違う。

ゆるく緩く、考えて、厳しく決める。
決断とは捨てる事である。
剣道では、一撃の為に何万回も素振りをするのである。

詰めの段階では、決め打ちするので。
将棋で、駒を盤上に打ち込む時のように決断していく。
駒を指す、駒を打つように決めていく。
決断は、待ったなし。

手順を間違うと、担当が方針を決め。
管理職が、段取りをし、トップが詳細を詰めるといった逆転現象が起こる。
トップが方針を決め。管理職が段取りをして、担当が詰める。
それが順当。

仕事は頭から決めていく。
詳細から決めていくのではない。

抜刀する気合で決断する。
試合では、投手は、一球いっきゅう、決断して投球する。
将棋指しは、一手いって決断する。
上がしっかりしなければ、若者が窒息してしまう。

別に頭を下げてほしいと言っているんではなくてね。
自分から頭を下げないと、学ぶ姿勢に、自分がなれないんだよ。
だから、いくら教えても、聞かない。聞かないどころか、教えたことと違うことをやり続ける。教えないほうが良かったということになる。
克己復礼

うまくさばいたじゃない。
やればできる。やればわかる。
やらなければできない。やらなければわからないんだよ。

学ぶ気のない者は教えられない。
誰も、俺に、どうしたらいいかわからないので、教えてくださいと頼まないんだよ、
段取りができない、着手の仕方が分かっていないのは、わかっているけど 、自分から教えてくださいと頭を下げてこなければ、教えられないんだよ。
教えたところで、聞かないから。現に、僕がいくら言ったって聞かないだろ。
結果でた直後に何をしたらいいか、誰も、聞きに来ない。
次回までに、今回の結果を反省し、次回の計画を今ま立てなければ同じ失敗をするよと教えたつもりなんだけどね。
じゃあどうすればいいんですか、教えてくださいとは、誰も、聞きに来ないだろ。
まず、そこから学ばなければね。人に物を教わるときは、自分から頭を下げていく、それが礼儀だということを。
学ぶ意志のない者は、教えた事をやらない。
だから、怖くて教えられない。

計画を立てなければならない。
じゃあ、どうする、そこからが勝負なんだよ。
一気に決めていかなければならない。

勉強をすればいいというのはわかる。
じゃあ、どういう勉強を誰からしたらいいかがわからない。

打ち合わせる内容は。
次、いつやる。
次、どうする。
それまでに何してきたらいいだ。

それが、難しいいんだよね。
わかっていれば苦労はせんよ。
わからないから、どうする、どうしたらいいと相談しているんじゃあない。

作業には、順序がある。
守備位置は、試合が始まる前に決める。
守備位置を決めるための打ち合わせは、守備位置を決める前にする。
仕事が始まってから、役割分担の打ち合わせはできない。

若者が自分で考え、自分で判断し、自分で責任を持って行動できるようにする事。

内容さえよければ、手順段取り、形などどうでもいいと言う人がいる。
逆に、形、姿勢、手順段取りさえよければ、内容などいい加減でも結果は出ると言う人がいる。
形は、肉体で、内容は魂。
肉体も魂も、どちらも大切。
内容が悪くても、手順、段取りが悪くても試合は成立する。
内容がよくても、段取りが悪ければ、そもそも、試合は成立しない。
事務方が達者だと、事務方なんて必要ないと言われ。
仕事が円滑に回らなくなると事務方が悪いと責められる。
民主主義というのは、思想信条などでまとめる事はできないから、仕組みでまとめようと言う思想。
つまりは、法や制度によって表された思想。

最初が肝心というけれど、最初、どうしたらいいか見当がつかない。
何せ最初は、何も決まてもいないし、なにもわからない。
だから、できるところから始めるしかない。
最初は、顔合わせとか、自己紹介みたいなどから正式にスタートするが、その前もある。
つまり、厳密に言うと非公式なスタートが別途あり。
これは、本当にカオス。無から有を生み出すような作業。
声かけから始まる。
とにかく、なんだて打ち合わせから始める。
一が二となり、三となる。
始まりは、一人から二人になる時。
つまり声かけ。
そして、最初の打ち合わせの日を決める。
「何々の打ち合わせをしたいんだけど。いつやる。」
声をかけられた者は、「それで、何がしたいの。どうしたいの。」
声を掛けた者は。相手に、目的や主旨を説明しなければならない。
そこで、主旨目的が最初に出てくる。
そして、主旨目的が明確にされないと、他の人に声がかけられない。
二が三とならない。
最初は、二人の打ち合わせ。小人数で打ち合わせを繰り返す。

打ち合わせのする日が決まった、打ち合わせの日までになにをするかを決める。
ボタンの掛け違いというのこの時生じる。
つまり、打ち合わせの日までやってくる事を一方が決めてあるのに、もう一方が何も決めていなければ、最初から、話がかみ合わなくなるからで。
この辺の事を、経験的に理解していない人間と理解していない人間が手を組むと往々にして掛け違いが生じる。
ボタンの掛け違いが原因で起こているトラブルは、ボタンを掛け違えたところまで戻って、ボタンをかけ直す必要が生じるので厄介なのである。

ボタンの掛け違いの多くは、最初は些細な思い違いのような事。
でも、最初は、些細な亀裂でも、徐々に拡大し、放置していると、組織に致命的な断裂を生じる。
御巣鷹山日航事故の原因の様に、最初は目に見えない亀裂が最後は苦衷分解を引きおこし、大惨事を招く。

出だしは、些細な、ボタンの掛け違いだとしても、甘くみると次第に収拾がつかない状態にしてしまう。
しかも、原因が分かりにくい。
最初の手順段取り、セッティング悪いと思わないから。
勢い、犯人探し、責任のなすり合い、個人攻撃が始まる。
だから、最初が肝心と。
そして、トラブルが生じたら、手順段取りに間違いがなかったかを見直す。

なぜなら、人の性格を変えるのは難しいが、段取り手順は変えられるからである。
変えられない事に囚われたら、問題は解決しない。
変えられる事を変えるから解決するのである。

皆が良ければいいというが。
皆がいいということはありえないのだ。
ある程度の人数が集まれば、必ず文句を言う人間が出る。
だから、誰かが決めなければならない。
決めるのはリーダーだよ。
担当の者が決めたら、責任が負えなくなる。

やりたいようにやればいいですよ。
ただ、事前に言っておいてくれないと、口裏が合わなくなり、自分が庇いきれなくなりますので、決めてほしい事は事前、私に伝えておいてください。
どうしても決めきれない事があれば、その時は、私が決めます。
目的、方針と手順に決めていきましょう。
自分の考えやりたい事をよくよく話してくださいよ。
まとまりがなくて整理がつかない、漠然としてとりとめがない、細かい思い付きの段階ではけ口のつもりで話してくれて結構ですから。
むしろその時が大切で、自分の考えを整理、まとめるつもりで話してください。

仮説があって、その仮説を証明するためにデータを分析するので。
データを分析した結果、仮説が立てられるわけではない。