皆は、人を使う事を覚える。
そうしないと、下の者に使われてしまうよ。
人を使う事は悪い事ではない。

組織を動かすと言うのは結構体力がいるからね。
組織は、一人では動かせないんだから。
そんなの、自動車を腕力で動かしたり、止めたりするようなもので。
ブレーキを踏めば、自動車は止まるようにできているので。
組織も手順よくやれば、一声で動かすこともできる。
仕事は、一つひとつの作業を、順序良く積み上げていくもので。
最初に、人をどう組み合わせるかで成否が決まる。
野球だって、サッカーだって、ラグビーだって、最初の配置の仕方で大方は決まるので。
ルール定石通りにセットアップできなければ試合どころの話ではない。
いきなり、監督が、バッタボックスに立ったり、ボールを投げたりしたら。
試合なんて最初から話にならない。
監督は、先ず選手の使い方、動かし方を覚えないと。

管理職というのは、人を管理するので、仕事を管理しているわけではない。
例えば、コロナだ人が休んだ時、その人の仕事だけを見ていたらすぐに補填が聞かなくなる。
その人が休んで空いた仕事の穴を、他の人を使って埋めるのだから、人が問題なの。
人を管理する以上、生臭い事になるさ。

学校ではね。
人を使うのは悪い事みたいに教えるけど。
そんな事はない。
組織を束ねる者は、人を使う事を覚えないと、組織を動かせない。
組織は、一種の仕組みだし、システムだからね。
車を運転するようなもの。
ただ、組織は、最初に、自分が動かせるように組み立てないと思うように動かない。
相手は人だからね。

それを、あたかも人を使うのは悪い事のように刷り込んで。
組織は、仲良しクラブではないからな。
みんな仲良くとはいかない。

人を使うためには、うまく、権威と権力を使う事、使分ける事。
この点もね。
戦後の運動家の多くは、反権威、反権力、反体制を装っているけど。
実際は、権力主義であり、権威主義であり、全体主義だよ。
運動家の多くは革命家だからね。
革命を成就したら豹変するさ。
革命の結果できた国を見ればわかるだろ。
ほとんどの国が、独裁主義、全体主義、権威主義、権力主義。
およそ、自由主義や、民主主義とは程遠い。
反権力、反権威、反体制を装っているけど、彼らは、権力や権威、体制の効用をよく知っている。
騙されてはいけない。
反権威、反権力、反体制に権化はアナアキストだけど、彼らは、暴力的にならざるを得ない。
なぜなら、権力や権威、体制がなければ、暴力によってしか社会の秩序は保てなくなるから。

だから、権威や権力が悪いわけではなく。
権威や権力の使い方が悪いのだ。
権威や権力も持ち方を間違うと凶器となる。
だからこそ、権威や権力の実体を冷静に分析しておく必要がある。
包丁も、自動車も、用い方を間違えれば、凶器となるように。
包丁や自動車を凶器にしてしまうのは、人である。

自発性とか、自主性なんてやたらいう人いるけど。
自発性とか自主性もね、意味も解らず使うと毒になるからな。
自主性とか、自発性というのは、責任を持たせるという事があるから。
責任を持たない自主性とか、自発性というのは、要するに、身勝手、我儘、独善でしかない。
自覚もしてない人間に自発性とか自主性なんて期待したら。
好き勝手、自分のやりたい放題にやれと言うようなもの。

僕の若い頃にね。
三歳くらいの子の、考えを尊重して、自主性をなんて、馬鹿げた事提唱した人いるけど。
その結果は、ハッキリ出た。
自意識もなく、価値観も定まらない子供の自主性なんて。

その流れで、何でもかんでも尊重しろと。
かえって迷惑だし。
自分が何も決められなくて責任を押し付ける結果になている。

一人前の社会人として社会で自律できるようになるまでは、親が責任を持って躾ける。

強制するのも悪い事ではないし。
強制しないとできない。やらない事、人もいる。

人を使ってはならないなんて教育するから、人の使い方を教えたり、学んだりできなくなって。
だから、乱暴になるんだ。
ちゃんと人の使い方を学ばないと腕力を使わざるを得なくなるからな。
それでパワハラだ。

皆は、人の使い方を覚えるようにね。
そうしないと暴力的になるからな。